孫の豆豆
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2021年6月10日】私の孫の豆豆は今年8歳で小学1年生です。宿題が終わった豆豆は、片付けながら「おばあちゃん、昨日の夜夢で師父にお会いしたよ。師父は金色の服を着て、光を放っていて、天空がとても明るかったよ」、「おばあちゃん、僕は夢じゃない気がする。だって夢は暗い空でしょ、僕が見たのはとってもきれいではっきりしてた。きっと天上の宮殿はあんな感じなんだろうね」と言いました。

 私は豆豆に「師父はどこにおられたの? 立っておられたの、それとも座っておられたの?」というと、豆豆は「師父は僕のところへ飛んでこられたの。師父は僕の名前を呼んだよ」。私は「なぜあなたの名前を呼ばれたの?」豆豆は「豆豆と呼ばれたよ」、「師父は僕に早く精進するように、時間は本当にもう多くないと言われたよ。あとおばあちゃんは、これからも多く出かけて真相を伝え、人を救うように、ずっと家にこもらないようにだって。師父は、おばあちゃんは最近よく出来て、進歩しているよだって」。私は「師父は私たちが良く行えるように励まして下さっているのよ」と言いました。

 豆豆はまた、「おばあちゃん、それと僕が見たのは病毒がいっぱいで、どこにでもあったよ」。私は「病毒を見たの?」ときくと、「見たよ」。私は「病毒はどんなもので、どこから来たの?」ときくと、豆豆は、「病毒は空中にあって、テレビで見たようなもので、口もあって、口を開けると尖った牙の歯もあってとても気持ち悪かった」、「それから気持ち悪くなって、病毒は無くなって、見えなくなった」と言いました。

 私たちは県城にいますが、孫と一緒には住んでいません。豆豆は小さな頃から、私の所へ来るたびに、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じるように教え、師父の『洪吟』を覚えるように教えました。また私が『明慧周刊』を読むと、聞くのが好きなので、「心からの九文字を念じて福報を得た」の文章や、子供弟子の活動、神伝文化の話などを色々読んであげました。

 豆豆の天目は幼稚園のときに開きました。幼稚園の年長組のとき、ある日私がお迎えに行くと、「おばあちゃん、師父を見たよ」。私は「そう、師父はどこにおられたの? あなたが見たの?」。豆豆は「師父は空中で座ってて、とても嬉しそうに笑って僕を見ていたよ」。また師父の服装や、髪型、色を言い、2回きいても同じ答えでした。それから豆豆は『轉法輪』を持って、師父の法像を開いて「僕が見たのは、この師父と同じだよ。師父が座っていたのはね、テレビで観音菩薩を演じてるのを見たあれに座ってたよ」。私は「それは蓮華の宝座ですよ」と言いました。

 それから豆豆は頻繁に「おばあちゃん、学法しようよ。学法より重要なことはないよ。人を救うことより重要なことはないよ。おばあちゃん早く人を救おうよ。早く救おうよ」と言いました。豆豆が1年生になったばかりのとき、「僕は紅紅(同級生の女の子)に真相を伝えたよ」と言いました。どうやって伝えたのかときくと、「僕は彼女に人の悪口を言わないように言ったの。悪口を言うとね、君の身体に真っ黒なものが来て、業力と言うんだよ。それがあると病気になったりするの。君は『法輪大法は素晴らしい」と念じると、病気が良くなるよ」と言いました。。私は豆豆が真相を伝えることで、先生に知れることを心配しました。豆豆は「おばあちゃん、どうして怖がるの。僕は言うよ。人を救うことは正しいよ。僕と紅紅は縁があるんだ。後ろにいるんだけど、席替えしてもまた一緒になったんだよ。僕たちは縁があると思わない? 僕は彼女を救うんだ。僕は彼女に、お母さんや先生には言わないようにって言うと、『言わないよ』って言ってくれたよ」といいます。

 数日も経たず、豆豆は学校が終わってから「おばあちゃん、今日ね、法輪を見たよ。とっても綺麗だった。いろんな色でね、赤や、黄色、青色、大きいのや小さいのもあった。それでこんなふうに回ってて(手を使って真似して)、とっても明るくて、光もあって、僕はびっくりして『なんて美しいんだ!』って叫んでしまったら、同級生に『なにが美しいの?』ってきかれた」。私は「彼に言ったの?」と聞くと、豆豆は「言ってない。彼らに言ったらいけないよ。彼らは大法を修煉してないし」、「僕はもっと細かく見ようと思って、前に行くと法輪は小さくなって、後ろに行くと法輪は大きくなったんだ」

 私の修煉に漏れがあるため、豆豆のもう一方のおばあちゃん(母方の)に真相をしっかり伝えていませんでした。彼ら一家は大法に対して理解しておらず、あるとき陰で人と大法の良くない話をしていて、豆豆に聞かれました。それから豆豆は師父が「大法の良くないことを言う人は良い結果にはならない」とおっしゃったのを聞きました。

 豆豆は学法は多くありませんが、何かあったときは真・善・忍に従うことを知っています。学校や家だけでなく、トラブルがあったときは、いつも内に向かって探しています。一つの消しゴムが見当たらないときも、自分に何の心があるのかを探してみて、「僕が焦っている心を見つけたら、すぐに消しゴムも見つかったよ」と言っていました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/4/426571.html)