文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年6月11日】これまでは、発正念するときには、いつも自信がないと感じ、ときには焦りと怒りで慌てふためくこともありました。
数日前、私はふと師父の法の一節を思い出しました。「宇宙中の生命が法から逸脱する過程で、生命は既に法の存在及び、異なる次元における生命に対する法の本当の要求が分からなくなりました。このため、今日のような法を正すという重大な出来事を前にして、衆生の多くは自分と法との関係、大法弟子との関係、私との関係を正しく扱うことができていません」 [1]
そして、自分と法との関係、同修との関係、師父との関係を正しく扱うことができた後どうあるべきかを考えました。 自分は師父が大法の弟子に下さった能力を、実は過小評価していたことに気がついたのです。 師父は法を正しており、大法弟子は師に手伝い法を正しており、大法弟子が行うことは師父が望まれていることを表しており、これが大法弟子の力の源となっているのです。
再び正念を発すると、心がだいぶ落ち着いてきて、まるで自分は宇宙天体の高いところで平然と宇宙のゴミを取り除いて、宇宙の衆生が救われるのを慈しんでいるかのようでした。 頭の中は静寂になり美しさに満ちており、以前のように実力が発揮できない、焦りと怒りで慌てふためくこともなくなりました。
今では、発正念する前に、自分と法と師との関係をよく考えています。正念の力は「山を切り裂くほどの力」[2]だけではなく、「宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢い」[3]でもあります。 「『滅』という字を念じてください。この『滅』は宇宙天体の大きさと同じく強大になり、全ての空間は含まれないものがなく、漏れるものもありません」 [3]
旧勢力はどんなに次元が高くても、何者でもないのです。大法弟子こそ師に手伝い法を正す主役であり、師は私たちに与えてくださったものは想像をはるかに超えています。ゆえに、私たち自身の能力を過小評価しないで欲しいです。
以上は、私が最近、発正念する時の少しばかりの体験です。皆さんと交流し、共に法の中で精進して行きたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「正念」
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】