常人のものに執着して招いた難関
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文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2021年6月14日】2月初めころ、病の難関が突然やってきました。

 これまで様々な関を経験してきましたが、病の関はあまりなかったのです。記憶の中では、今回が初めてだと思います。当時、まだ関がやってきたことに気づかず、ただ食欲がなかっただけでした。しかし、それが長い間続いて、だんだん力が入らなくなり、歩くことさえままならない状態になったのです。トイレに行くときも、知らないうちに3時間ほど座り込んでしまい、立ち上がることさえできなくなりました。

 しかし、この状態になっても、まだ難関であることに気づきませんでした。病の関を乗り越えたことがなかったので、どうすればいいか分からなかったのです。

 ある日の夜、苦痛に耐えながらベッドに横たわるしかできませんでした。食欲は全くないのですが、食べないといけないと分かっていたので、おかゆを少してして食べました

 そして、いつの間にか意識を失ってしまい、その後どうなっていたのか、全く覚えていません。この全過程は後に娘から聞きました。

 翌日の朝、娘が師父の説法ビデオを流してくれました。師父の説法を聞いているうちに徐々に食べ物を食べられるようになり、身体の痛みも段々となくなりました。師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 電話で真相を伝えるチームの同修たちの助けにも感謝します。同修たちの励ましと正念に満ちた言葉を聞くたびに、力が沸き上がってくるような気がして、いつの間にか頭がはっきりするようになり、我に返ってこられました。

 今、思い返せば、旧勢力による妨害はもちろんあったと思いますが、それにより主意識がはっきりせず、自分が難関を乗り越えているのだと認識できませんでした。しかし、ずっと師を信じ、法を信じ、修煉者にとって生死の問題は存在しないと分かっていたので、悟るか悟れないかの問題だけでした。

 今回の魔難は主にビデオなどを見ることによって引き起こされました。ドラマだけでなく、新聞やエンターテインメント、評論など、何でも見ます。様々な人心を抱えながら、見れば見るほど止められず、そして、人心もますます沸き上がってきます。人心がある限り神にはなれません。

 私は特に新唐人の番組は毎回欠かさずに見ています。海外に来てもやめられませんでした。家族全員が同修なので、みんな私にやめるよう助言しました。後に私も常人のことに執着してはいけないことに気づき、いまでは、完全に放下しました。修煉とはすべての人心を取り除くことです。

 今回のことを書き出して、同修の皆さんの参考になればと思います。今回の教訓はとても印象深いものでした。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/23/422444.html)
 
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