北京市延慶県の姜海さん一家が受けた迫害
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 【明慧日本2021年6月14日】北京市延慶県の法輪功学習者・姜海さんは妻・于慧琴さんとともに法輪功を学んで、健康を取り戻した。しかし、夫婦は法輪功の信念を貫いたため、当局に迫害を加えられた。姜さんは懲役9年の実刑を受けた。法輪功のおかげで重い腎臓病が完治した妻の于さんは、労働教養を2年科され、中枢神経を破壊する薬物を注射されたため亡くなった。ショックを受けた姜さんの母親と于さんの母親は、于さんが死亡して1カ月以内に亡くなったという。

 法輪功は妻の命を救った

 姜さんは小さいころから体が弱くて多くの病を患い、癲癇(てんかん)の発作を3〜5日に1回起こしていた。大人になってから頻繁に頭痛を起こし、いろいろな治療を試みたが効果はほとんどなく、薬で維持するしかなかった。結婚してから、姜さんは息子と娘に恵まれ、一家4人は幸せに生活していた。

 しかし、ある日、姜さんは妻の顔と足が少し腫れているのをみて、妻を県の病院へ連れて行った。尿検査で尿タンパクの異常が見つかり、重い腎臓病で尿毒症の手前だと医者に言われた。その診断結果を信じなかった姜さんは妻を連れて、北京にある有名な人民病院へ行き、専門家たちの立ち合い診察を受けたが、同じ結果だった。妻は入院しなければならなかったが、10万元を払えなかったので、入院できなかった。それで、医者に毎週1回、薬を取りに来るように言われ、その薬代が毎回1000元ほどかかった。

 妻の病気治療のため、姜さんは友人や親戚から借金をし続けた。2年半にわたって薬を飲み続けたが、病気が治らず、妻の于さんは「もう治療を止める。こんなに多くのお金を借りて、どうやって返したらいいの?」と言うと、姜さんは「家があるでしょう。売ってあなたの病気を治してあげるよ。それでも治らなければ、二人で一緒に死ねばいい」と話した。

 1998年7月のある日、于さんは康庄大通りで多くの人が集まっているのを見て、「これは何ですか」と聞くと、「法輪功です」とそこにいる人が答えた。于さんはしばらく見ていたら、とても心地よいと感じた。帰宅して、于さんは姜さんに「先ほど、法輪功の音楽を聴いた。なんとなく体が軽くなった気がしたわ。私も学びたいの」と話した。

 それから、于さんは法輪功を学び始め、3カ月後に顔と足の腫みが改善した。1年後、于さんの腫みが完全に消えた。また、法輪功を学び続けて1年後、于さんは人民病院へ行き、検査を受けたが、腎臓病が治り、尿検査は正常だった。 

 その結果を見て、姜さんは「この功法は本当に素晴らしい! 私はあまり字が読めないので、学べないかと思った」という。于さんは姜さんに「あなた、字が読めないならば、法輪功の先生の説法の録音を聞いたほうがいい。法輪功の先生が良い人になる方法を話しているの」と伝えたが、「自分は法輪功の要求に程遠く離れている」と思った姜さんは学ばなかった。

 信仰を守り 夫婦ともに迫害を受ける

 1999年7.20、江沢民グループは法輪功への残酷な弾圧を開始した。于さんが法輪功を学んでいると知った地元派出所の警官は姜さん夫婦の家に行き、嫌がらせをし、家宅捜索をした。そして、法輪功に関連するものを全部押収した。

 于さんは法輪功迫害の停止を求めに北京へ行こうとしたが、当局の迫害を恐れた姜さんは于さんの兄2人を家に呼んで、于さんを止めさせようとした。于さんは姜さんに「私の病気がどうやって治ったかを忘れたの? 法輪功は冤罪をかけられたので、法輪功の潔白を証明しに行かなければいけない」と話した。それで姜さんは、法輪功の素晴らしさを目の当たりにしたことを思い出して納得し、于さんに「行ってください。私は明日から法輪功を学ぶことにするよ」と言った。

 その後、姜さんは法輪功を学び始め、昼に農作業をし、夜に法輪功の本を読み、功法を煉功し、健康な体を得た。

 1、県の留置場で拷問を受ける

 2002年1月のある日の夜、私服警官と制服警官たちは姜さんの家に押し入り、何の証明も提示しないまま、姜さん夫婦を連行し、プリンター機を押収した。姜さん夫婦は県の留置場に入れられた。留置場で警官の指示を受けた入所者らは、姜さんを殴打し、冷水を浴びせ、虐待したりして拷問を加えた。

酷刑演示:电棍电击

拷問の再現:スタンガンで電気ショックを加えられる

 留置場で姜さんはさらに、ベッドや椅子に縛られ、無理やり胃チューブを挿入されて胃から出血した。灌食され、スタンガンで電気ショックを加えられた。それから1カ月後に、解放された。

 帰宅して数日も経たないうち、姜さんはまた、康庄郷610弁公室と派出所の警官の洗脳班に連行された。洗脳班で姜さんは頭から湯を浴びせられ、殴打された。6日目に、迫害で意識を失った姜さんは県の病院に搬送された。その後、姜さんは解放された。

 2、懲役9年の判決を下される

 2002年4月、姜さんの家の前に黒い乗用車が止まり、黒服を着た2人が降りて、姜さんの家に押し入った。何の証明も出さず、強制的に姜さんを家から連れ出し、車に乗せた。豊台留置場に送られた姜さんは3カ月ほど拘禁された後、小湯山刑務所に移送され、7日間拘禁された。その後、姜さんは延慶県留置場に移された。10日後、姜さんは懲役9年の実刑を宣告されたが、裁判所は家族に通知せず、姜さんは不当な開廷をされたという。

 法廷で、姜さんは裁判官に「江沢民に伝えてください。法輪功への弾圧は間違いなのです」と言った。その数日後、姜さんは天津市茶淀の前進刑務所に収容された。

 3、前進刑務所で受けた迫害

 姜さんは刑務所に入れられた初日の夜、警官の指示を受けた受刑者らに立たされたり、しゃがむ姿勢を強いられ、トイレに行くのを許されず、睡眠をはく奪された。姜さんは刑務所で残酷な迫害を受けた。

 その末、2010年、姜さんは一度危篤状態に陥った。2012年3月27日に出所した。

 4、労働教養処分を科された妻

 2002年1月、于さんは連行された後、労働教養処分2年を科され、北京の大興新安労働教養所に収容された。

 于さんは教養所から出たとき、精神状態が悪く、全身が腫んでおり、嘔吐を繰り返す状態になった。「内容不明の薬物を注射された」と于さんは自ら話した。

酷刑演示:注射不明药物(绘画)

拷問のイメージ図:薬物注射を強制される

 5、妻の迫害死

 2005年4月16日、于さんは迫害により亡くなった、享年44歳の若さであった。

 息子は政府関係部門に行き、拘禁されている父が母の遺体と会えるように要求した。そして、2005年4月22日、姜さんは2人の警官に連れられ、病院で5分しか妻の遺体と対面できなかった。

 6、子供たちが嫌がらせを受ける

 姜さん夫婦が連行された年、息子はまだ18歳、娘は14歳にもなっていなかった。息子は妹の世話をするため、退学するしかなかった。兄弟は生活を維持するため、家にあるものを全部売った。さらに、警官は絶えず姜さんの家に行き、兄弟に嫌がらせをした。

 于さんが亡くなって10日も経たないうち、姜さんの母は息子夫婦の遭遇にショック受けて死亡し、于さんの母もその10日後に亡くなった。1カ月のうち、姜さんは3人の家族を亡くした。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/2/426496.html)
 
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