江蘇省の教師・潘緒軍さん 出所10日前に迫害死
■ 印刷版
 

 【明慧日本2021年6月21日】(江蘇省=明慧記者)江蘇省徐州市沛県の教師で、法輪功学習者・潘緒軍さんは、2015年5月19日に沛(はい)県の警官らに連行された後、2016年に平県裁判所から懲役5年6カ月の実刑判決を宣告され、江蘇省洪沢湖刑務所に拘禁された。不当な刑期が満了する10日前、すなわち2020年11月8日、潘さんは迫害により死亡した。享年55歳。

潘绪军

潘緒軍さん

 潘さんが出所するはずだった10日前の2020年11月8日、家族は洪沢刑務所からの連絡を受けて刑務所に行った。その時、潘さんはすでに遺体安置所に置かれていた。刑務所の医者は潘さんの臓器を持って家族に見せながら「潘緒軍の死因は『脳出血』だ」と言った。当時、家族はその発言を受け入れられず、生きたまま臓器を摘出されて殺されたのではないかと疑っていた。刑務所は、潘さんの家族に賠償金を払うことを提案した。家族は賠償金を受け取ることに同意せず、訴訟を起こすと言ったが、刑務所が潘さんの所在地の県、市町村の幹部を通じて、家族と連絡を取り、すなわち脅迫や誘導を行った。

 それから3カ月後、潘さんの家族は私的な和解に応じざるを得なくなった。しかし、家族は具体的な金額を言いたくなかった。

 潘さんは江蘇省徐州市沛県の出身で、大学卒業後、同県中学校の英語教師になった。1996年8月に法輪功を学び始め、真・善・忍の基準で自分の言動を律し、より良い人になるよう努力してきた。

 しかし、1999年7.20以来、潘さんは中国共産党(以下、中共)関係者によって連行され、洗脳による迫害を受け、不当な判決を宣告され、暴力を振るわれ、長時間にわたって睡眠を剥奪されたり、無理やりに灌食されたり、冷水を浴びせられたりした。警官らはまた注射器で潘さんの鼻に強制的に水を注ぎ、凍えさせたり、足をお湯の中に入れたりして、特製のベルトで縛り付け、首を締め付けるなどの10種類以上の拷問を加えた。潘さんは6~7回も窒息死寸前の状態に陥ったことがある。

中共酷刑示意图:约束带捆绑

拷問のイメージ図:特製のベルトで縛り付けられる

 2001年2月の初め頃、偽りの「天安門焼身自殺事件」の直後、潘さんは県教育局の局長、学校長、および沛城派出所の警官らにより、学校から沛県留置場の洗脳班に連行された。

 留置場の洗脳班の壁には「法制教育学習クラス」という看板が掲げられた。潘さんは洗脳班で1年近く自由を奪われ、約1万元の給料を差し引かれた(勤務先は毎月610弁公室に1500元を渡していた)。

 2001年12月、潘さんと学習者の曹後存さん、王新春さんは、洗脳班から逃げ出した。沛県610弁公室は潘さん3人を逮捕するために、20万元(約300万円)の懸賞金をかけた。

 2002年8月、8カ月間放浪生活をしていた潘さんは、再び連行され、ひどく殴られて顔が腫れ上がって変形してしまった。2003年7月、沛県裁判所は潘さんに懲役9年の実刑判決を言い渡した。

 2003年9月末、潘さんは手錠と足かせを付けられ、江蘇省洪沢湖刑務所に移送された。刑務所で、潘さんは様々な拷問を受け、命を失うところだった。

中共酷刑示意图:毒打

拷問のイメージ図:滅多打ちにされる

中共酷刑示意图:浇冰水

拷問のイメージ図:氷水を浴びせる

 自分の信念を貫いた潘さんは、1日24時間地獄のような恐ろしい拷問を加えられたため、精神的にも肉体的にも傷つけられ、非常に衰弱し、全身に力がなく、低血圧(正常値は80~120)は43 mmHgしかなく、生命の危険状態に陥った。ある時期、潘さんは物忘れがひどくなり、その日の出来事さえ思い出せず、心臓の鼓動が極端に弱くなり、胸に手を当てても鼓動が感じられなくなり、強制労働の最中に、目の前が真っ暗になって意識を失った。

 潘さんは九死に一生を得て、頚椎、腰椎、心臓に損傷を受け、2010年11月に帰宅した。

 2015年5月19日の夜、潘さんは帰宅したところ、待ち伏せていた警官らに連行され、家宅捜索を受け、沛県留置場に拘禁された。留置場で潘さんは煉功を続けたとして、ひどく殴打され、動けなくなった。外に出る時、潘さんは数人に担がれて移動した。

酷刑演示:毒打

拷問の再現:殴打される

 潘さんは2016年に沛県裁判所で、懲役5年6カ月の実刑判決を宣告され、再び江蘇省の洪沢湖刑務所に拘禁された。そして、自分の信念を貫き「転向」を拒否した潘さんは、2020年11月8日に迫害により死亡した。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/18/427120.html)
 
関連文章