文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年7月9日】
尊敬する師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
前回の「2019年明慧法会」から2年が経ちました。この2年間、私の個人修煉においても、所属する明慧ラジオチームにおいても、大きな変化がありました。苦労も幸せもあって、遭遇した全ては良い事でした。
(一)内に向けて探した後の心の静けさ
2020年初頭のある日、急に熱が出て無力に感じました。ベッドにいる数日間、以前や直近のことも含めて、自分がしてきたことが透けて見えるように、目の前に一つずつ現れてきました。集中してじっくり見ていく過程で、私は当時の自分の考えや法から逸脱した行為、他人にもたらした傷害の数々が見えました。「私ってこんなに悪い人だ」と、恥ずかしくて後悔の念も覚えました。私は心の中で彼らに「申し訳ない」と言い、自分自身、そして師父にも「申し訳ない」と言いました。
最後に、私は「必ず善良な人として生きよう」と、自分に言い聞かせました。優しさは他人とは関係がなく、自分自身が貫くべきものです。気づかなかったことも含めて、他人に与えた傷害は後になって気づくことになり、魔性の伴った言動はいずれは認識するようになり、後悔し、耐えることになります。
ベッドに横たわりながら、グループ煉功に行ける同修、新聞配達に行ける同修、そしてラジオチームの同修たちを羨ましく思いました。これらのことができない今、大法弟子がすべきことをやれることがどれほど幸せなことか、より一層実感しました。
今回、業力を滅してから、自分が更に清らかになり、柔らかくなったと感じました。その直後の数日間、私は驚くほどの静けさに包まれていました。車で路上を走っていても、周りは静寂に包まれていて、「どうしてこんなに静かなんだろう」と車窓を開けて耳をそばだてても静かでした。「人間はこんなに静かにいられるのか」と、より深い意味での静けさが分かりました。この状態が数日も続き、その間、私はずっと「普度」と「済世」を聴きたくて、「こんなに美しい音だったのか、どうして以前は気づかなかったのか」と思いながら聴いていました。この静けさに包まれる状態は数日続いた後、ゆっくりと消えていきました。
法に則って内に向けて探し、自分を修めることは不可欠なことで、他人とは関係がありません。
他人の言動を見て自分を修めていくことは、実に面白いことです。例えば、グループ学法のとき、誰かが読み間違っていれば、その瞬間に自分が集中していたかどうかを自問するのです。他人のある反応を見たとき、自分も同じことをしたのではないかと自問してみると、絶対にありました。他人のより法に則った行動を見たとき、自分との差を考えて、何か学べることはないかと自問してみると、絶対にあるはずです。このように、内に向けて探せば必ず得ることがあって、必ず良い事になるのです。
(二)学法の力
私の正念、私の力強さ、私の能力、私のひらめきの全ては大法によるものです。
ある時、学法に集中していて、学び終えて頭を上げ、「今、何時?」と時間を確認しようとしたところ、「時間? 時間って何?」と、突然、時間とは何かが分からなくなりました。我に返って自分をこの時空に引き戻すと、「ああ、時間とはこの空間のものだ」とやっと気がつきました。また、集中して学法する時、身体が固定されたようになり、動きも全くなくなるのです。
時には、法を学び始めるや否や、自分の考えが変わったと気づくことがあります。それは、ある物事への対処の仕方かもしれませんし、執着していたものが急に面白くなく感じるようになったことかもしれませんし、自分のある行動が馬鹿げていると気づいたことかもしれませんし、次に何をすべきか分かるようになったことかもしれません。
学法は私にとって、師父が面と向かって、しかも私だけに話されているようなことです。プロジェクトにおける私のアイデアは、自分で考え出したものではなく、大法による啓示だと感じています。自分がすべきことは、法に則てどうすべきかを悟り、それを実行するだけです。
また、煉功や発正念、ときには学法の最中にも、修煉における体験やプロジェクトのことを考えていて、それが精進の表れだと思っていましたが、実際にはそれが罠にはまり、修めておらず、お茶を濁すことにほかありません。勇猛精進とは、往々にしてこれらの目に見えないところに現れるのです。集中している状態を保つことは簡単なことではありません。
今、振り返ってみると間違いだらけで、何かを話せば間違いがあり、何かをやればすぐに間違いをもたらすと感じていても、それもまた修煉過程でしか得られない認識であり、全てが良い事です。
(三)番組を改善させる
師父はこのようにおっしゃっています。「皆さんがご存じのように、この本を出版する時の校正は非常に難しいのです。それは法だから、魔の妨害もあれば、人間の思想にある業力も邪魔しているので、非常に難しいのです」[1]
これまで、ラジオチームには、平均して毎週のように、経文の読み間違いや修正が必要だというフィードバックが寄せられていました。2020年の前半、約1,000回の放送を聴き直す過程で、私たちは経文の読み間違いや発音の間違いを数百箇所も発見し、修正を加えました。その後、運営プロセスに「見直し」と「フィードバック」という2つのステップを追加したことで、間違いの発生をほぼ回避できました。これは、長年にわたるラジオチーム全員の修煉における漏れであり、大法に対する不敬であり、補うべきことです。
2020年10月から、明慧ラジオは中国に向けた短波放送を開始し、番組もタイムリーで内容が豊富であることも求められるようになりました。私たちは明慧ネットの毎日のニュース、迫害及び修煉体験、時事評論など、常人向けの番組を追加しました。その間に実感したことですが、常に修煉者らしく正念を持って歩んでいけば、私たちが必要とするものは、師父は何でも与えて下さるのです。
(四)さらに向上していく
師父はこのようにおっしゃっています。「われわれのこの功法は、真に性命双修の功法であり、修煉によって得た功は、身体の一つ一つの細胞の中に蓄えられ、きわめて微視的状態で存在している物質の本源である微粒子成分にまで、その高エネルギー物質の功が蓄えられることになります。功力が高まるにつれて、その密度が高くなり、威力もますます大きくなります」[2]
私たちのプロジェクトも同じだと悟りました。チーム内の同修のそれぞれが持つ高エネルギー物質の密度が高ければ高いほど、威力も大きくなり、放送や台本、様々な手配を含めて、プロジェクトの効果も大きくなるのです。
数ヶ月前に、ラジオチームは週に一度のグループ学法を始めました。確かに、番組数を大幅に増やし、大きな改善を行った後、更に前進しようとすれば、チーム全員が向上し、よりよく協力し合う必要があると私も感じました。修煉団体として、修煉が何よりも重要なのです。グループ学法が唯一の改善方法だと私も見ていました。
皆は時間帯がバラバラで、ラジオチーム以外のプロジェクトも抱えているため、どれだけの人が参加できるかは分かりませんでした。そこで、私はこう考えました。「何人来るかは考えずに、自分は必ず参加するようにしよう。そうすれば、グループ学法が持続する」
より多くの同修がグループ学法に参加できるように、ラジオチームは週に1回の多人数学法と、2回の小グループ学法を行うことにしました。私は3回とも参加しています。これは、最近のラジオチームにおける最大かつ最良の変化の一つだと思います。法を学んだ後、皆は学法して感じたことや個人修煉の話、またはプロジェクトの問題点や提案などについて、交流を行います。ちょうど最近、新たに『轉法輪』を暗記し始めたので、グループの皆さんに話したところ、何人かの同修も暗記していると知り、プロジェクトに強固な基盤があることが分かり、安心しました。
もっと早くグループ学法と交流を始めればよかったと思います。私には責任があります。
師尊に感謝し、感謝しきれない師父のご恩にも感謝しています。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『カナダ法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(2021年明慧法会交流文章)