「躺平(タンピン)族」:希望を見出せず、声なき抗議を
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文/李佳

 【明慧日本2021年7月12日】最近、「躺平(タンピン)= 寝そべる」という言葉がネット上で流行っている。これは、中国の若者たちが直面しているプレッシャーや困難、そして現体制や社会の現状に対する絶望や不満を反映したものだ。流行のきっかけは、「躺平(寝そべり)は正義」というネット上の文章で、これが話題となり中国の若者の間で瞬く間に広まった。多くの共感を搔き立てたのだ。

 著者の「善意の旅行者」は、毎月の消費額を200元(3,500円未満)に抑え、年に1~2カ月だけ仕事をしている。主な仕事は、「横店映画館」で寝転んで死体を演じることだ。普段、彼は身体を鍛え旅行もするが、できるだけ支出を抑え、スローペースな生活を送るようにしている。このような生き方が「躺平主義」と呼ばれている。

 「躺平主義」はネット上で急速に広まり、若者の共鳴を呼んでいる。彼らはマイホームを買わない、車を買わない、結婚をしない、子どもを産まない、消費しない、最低限の生活水準を維持するといったことを強調している。

 橋の下で悠々と寝そべっている青年の動画では、記者のインタビューに応じ、彼は笑いながら自分の躺平の理念を語った。

 この35歳の男性は、新卒当初はやる気満々で一生懸命働いていた。しかし給料が住宅価格に追いつかず、いくら働いてもマイホームを買える資金が貯まらない現実に直面して目が醒めた。「貧困よりもっと恐ろしいのは、希望を見出せないことだ。それが分かった今、何も心配しない躺平青年になろうと。もがかず、叫ばず、不平を言わず、結婚もせず、子供も作らず、家も買わず、こうして静かに躺平しようと」

 「躺平」は経済に危機をきたすため、当局は立ち上がり奮闘するよう呼びかける

 しかし、この「躺平主義」旋風は、すぐに中国共産党(以下、中共)の目に留まった。『南方日報』は「『寝そべり』は恥だ。どこに正義感があるのか?」と題した記事を掲載し、若者たちに奮闘を呼びかけた。湖北テレビの経済チャンネルは、「運命に身を任せるのはいいが、寝そべってはいけない」とあからさまに脅した。

 こうしてみると、この躺平旋風は中共を焦らせたようだ。なぜなら、経済の発展が中共当局の統制を支える唯一のものだからである。中国では、当局と人民の間に不文律の「主従契約」が存在する。それは、公務に干渉してはいけない、民主主義や法による支配、人権を説いてはいけない、しかし人民は中共を十分に食わせなければならない、というものだ。若者が消費しなければ、必然的に経済成長に影を落としてしまう。

 中国のネットユーザーたちもこのことをよく認識している。中には、「共産党は人々が自らを『吊絲』や『ニラ』と自嘲することを許すが、躺平を許さない。その根本的な理由は、躺平は社会全体に不公平が遍在していることを反映しているからだ」と言う人もいた。(「吊絲」とは、収入、容姿、社会的地位が低く、社会的な疎外感を味わい、ネットでうっぷんを晴らしているような若者といった意味。いわゆる「イケてない人」「負け組」)

 また、「躺平主義」をこう解釈するネットユーザーもいる。「現実をはっきりと認識し、偽りの繁栄を覆い隠して頑張る愚か者にはならず、重荷を背負って前進する者にはならず、暴力を振るわず、協力もしない」

 「躺平」における積極性と哲学

 「一年の計は春にあり、一日の計は朝にある」という諺がある。若い世代は、家庭や社会の未来を担う存在だ。「躺平」という社会現象について考えてみると、これらの「90年代生まれ」は、子供の頃から中共による「党文化」教育を受けてきた「小粉紅(シャオフェンホン)」世代である。かつては党と国を混同し、党を愛することが国を愛することだと考えていた。だが今日、彼らの中には、中国人民に対する中共の真の態度を認識し、独自の考えを持つようになり、自分のできる範囲での無言の抗議行動として「躺平」を選択している人が多くなっている。中共の奴隷、または収穫されるニラになることを避けるために、そして中共への協力を拒むために、彼らは暫し一見ネガティブに見える行動を取っている。しかし思想に対する封じ込めから抜け出し、独立した人格を獲得することにおいて、彼らは、「母なる党」に習慣的に従う多くの人々に比べて、より賢明闊達で、よりポジティブではないだろうか?

 思えば、中共が創立してから100年が経過した。この100年間、何世代もの中国人が中共に惑わされて奮闘し命を捧げてきたが、ついに3億8千万人近くの中国人が中共を見抜き、共産党や共産主義青年団、少年先鋒隊からの脱退を選択し、さらに多くの若者が寝そべって中共に協力しないことを選択した。これは何を意味するのだろうか?

 もしかすると、躺平族は、知らず知らずのうちに中共の喪主の1人としての役割を果たしつつ、自らが副葬品として中共の墓に埋葬されてしまうことを避けたのかもしれない。まさに「人間万事塞翁が馬」の通りだ。 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/28/427464.html)