煉功する際、穏やかな表情になろう
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文/米国の大法弟子

 【明慧日本2021年7月13日】地元に飛行機を操縦できる西洋人の修煉者がいますが、彼は普段、仕事が忙しく、煉功にはほとんど来ません。少し前に、携帯電話でみんなの写真を撮ろうと煉功点に来たとき、みんな、真剣な表情で、少し悲しげで、いつもそんな感じだということに気づいたそうです。彼は、煉功場の責任者であるAさんに自分が見たことを伝えてほしいと頼み、翌日Aさんが私に会ったとき、西洋人の同修が言ったことを厳粛に伝えてくれました。

 真剣に考えてみると、これは本当にそうでした。数年前、子供が私と一緒に煉功場に来て煉功していた時、私の表情がとても怒っているようで悲しいと言いました。子供の言葉なので、真剣に受け止めず、頭の中から消えてしまいました。今回、この同修が粛々と問題提起をしてくれたことで、私も注目することができました。師父は煉功するときは「心には慈悲を生み、顔は祥和の意を帯びる」[1]ようにと求められました。私はまちがっていたどころか、逆に煉れけば煉るほど表情が深刻になり、悲壮感さえ漂うようになっていました

 師は、「もう一つは、無意識に邪法を練る場合があります。無意識に邪法を練るとはどういうことでしょうか? 無知の状況の下で、邪法を練っているということです。これはよく見られることで、そういった例はいくらでもあります。先日お話ししたように、多くの人は練功する時に、正しくない考えをもっています。站樁する時、手足が震え出すほど疲れているにもかかわらず、頭の中は休んでおらず、さまざまなことを考えています。『物価が上がりそうだから、少し買い溜めしておかなくちゃ。練功が終わったらすぐ買いに行こう。値上がりしたら大変だから』とか、『勤め先では今住宅を割り当てているが、俺の分はあるのだろうか? 担当者は俺と仲が悪いのだ。あいつは絶対割り当ててくれない。もし住宅が割り当てられなければ、俺は絶対喧嘩してやる……』とか、ありとあらゆる事が浮かんで来て、考えれば考えるほど怒りがつのるばかりです。先日お話ししたように、家庭のことから国の政治にまで、気に入らなくなると、抑えきれずに怒りがこみ上げてきます」[2]と説かれました。

 私は師父の要望のようにしませんでした、いろいろなことを考えながら功を煉っていると、だんだん腹が立ってきて、どうして思いやりのある穏やかな表情が出てくるのでしょうか?  幸いなことに、同修がそれを見て、私たちに注意を促してくれました。 また、師父もグループでの煉功をするメリットを語ってくださいました。

 Aさんも「みなさん、煉功する際、表情に気をつけましょう」と言ってくれ、Aさんは毎日いい表情で煉功をしています。ある欧米人は、「Aさんの体に宿るエネルギーはとても強く、人を心地よくさせる」と言っていました。それに比べて、私の表情は本当に悪かったのです。師の指示に従わなかったため、煉功がうまくいかず、しばらくの間、私は「なぜ煉功しても、何の効果もないのか? 手には全く力が入らず、ボトルのキャップを開けることもできないなんて」と思いました。 自分自身の理由を探すのではなく、師と大法を疑ったのです。幸いなことに、同修が私に気づかせてくれたので、すぐに訂正しました。師は「転んでも構いません。大丈夫です! 早く立ち直りなさい!」[3]と説かれました。

 Aさんに気づかされてからは、「心には慈悲を生み、顔は祥和の意を帯びる」[1]ように自分に言い聞かせ、煉功をしているときも、家で皿洗いをしているときも、笑顔になるように努力しました。パソコンに向かって文字を打ちながら、自分の顔に笑顔があるかどうかを触ってみました。今では、鏡を見て服を整えるときには、自分を笑顔にして、常にポジティブなエネルギーを持ち歩くようにしています。

 同修の皆さん、今日も煉功する際、表情に気をつけましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/25/427367.html)
 
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