【明慧日本2021年7月14日】私は法輪功迫害に関する資料をもらうために、2021年4月13日の朝、電動自転車に乗って同修の家に行きました。その帰り道、交差点を曲がるときに、後ろから車がぶつかってきて、その衝撃で意識を失いました。
意識が戻るまでにどれだけの時間が経ったかは分かりません。若い男の人が 「おばちゃん、おばちゃん」と呼ぶ声が聞こえました。目を開けると、私は地面に倒れており、車にはねられたのだとわかりました。私はすぐに「ああ、車に轢かれたんだ。大丈夫、私は修煉者だ」と思いました。
その青年は、私が目を覚ましたのを見て「病院に行きましょう!」と言いました。私は、自分は修煉者であり、李先生(大法の創始者)が守ってくださるから、病院に行く必要はないと思いました。私は20年以上も修煉しているので、怖くありません。その青年はとても怖がっているのがわかりました。
そして、2人の人が車から降りてきて、「急いで、おばあさんを病院に連れて行こう!」と言うので、すぐに「私は大丈夫です。病院に行く必要はありません」と言いました。若い運転手は、「おばさん、全部私のせいです!」。私は「あなたを責めるつもりはありません。わざとぶつかったわけではないからです」と話しました。そして、3人の若者が私を地面から起こしてくれました。
私は彼らに法輪大法のことを話さなければならないと思いました。私は、「みんな、怖がらないで下さい。私は法輪大法の修煉者であり、あなたたちにお金を強要することはありません。法輪大法の師父は、まず他人のことを考えなさいと教えています。法輪大法は中国共産党がテレビで言っていることとは違います...」と伝えているうちに、私は彼らに、中国共産党とその関連組織から脱退することを勧めました。彼らは同意し、それぞれの名字を教えてくれました。私は頭が混乱していて、彼らの名前を覚えられないのではないかと思ったので、陳健康さん、張健康さん、馬健康さんという仮名をつけました。また青年が車から降りてきて、私に向かって「私は劉です」と叫んでいたので、私は、「あなたを劉健康さんと呼びましょう!」と言うと、彼は「はい、わかりました!」と答えました。私は、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を覚えておいてください。あなたたちは今日私とぶつかったわけですが、他の人と遭遇したらこうはいかないでしょう」と言いました。
運転手は私に「電話番号を控えておいて、何かあったら連絡をしてください」と言われましたが、私は修煉者だから必要ないと思いました。そこで私は「もう大丈夫です、帰ってもいいですよ。何の問題もないし、すべて正常です」と言いました。彼らは「今日はいい人と出会って、本当に運が良かったです」と言ってくれました。ようやく私は立ち上がり、若者の1人が私の電動自転車を起こして、まっすぐにしてくれたので、また自転車に乗って家に向かいました。
自分では「大丈夫」だと言っていましたが、やはり家に帰ると頭がガンガンして、強い衝撃を受けていました。翌朝、起きて煉功を始めましたが、腕を伸ばすと腕が腫れてパンパンになり、頭を下げると頭が爆発したかのように痛くなりました。頭と顔の半分が痛くなりました。食事は口が開けられないので、小さなスプーンを使って食べました。右腕は傷だらけで、指は腫れて固い棒のようになっていました。指を曲げることもできず、頭には大きなコブができていました。3日目には、右半身だけでなく、左半身も痛くなってきて、最悪の状態になっていました。心臓、肝臓、肺と全身が痛くなりました。私は自分自身に、「私は大法弟子だ、師父が私の面倒を見てくださっている」と言い聞かせました。
事故から4日目、次男が家に戻ってきました。私の腕の傷を見て「お母さん、どうしたの?」と言うので、「何でもないよ」と答えました。次男は「何でもないのに、どうしてこんな様子になったの?」と聞き返してきました。どうやって隠せばいいのか分からなかったので、ただ「車に轢かれた」と言いました。「どんな車なの?」とまた息子が聞いてきました。私はそこで事情を説明すると、次男が心配そうに「どうして病院に行かないなの? 何かあったらどうするの?」と言いました。私は「大丈夫だよ、心配しないで」 と言っても、次男はやはり安心できないので、電話で長男を呼び出しました。長男は駆けつけると、なんで病院に行って診てもらわないんだと文句を言い始めました。
私は「大丈夫、大丈夫」と言いました。長男は続けて、「この前、ある年寄りが車に轢かれて3カ月も寝込んでいた。お母さんもこんな目に遭って、何かあったらどうするの?」と言いました。私は 「何も起こらないよ」と答えると、長男は「お母さんは、自分が金剛不壊の体だと思っているの?」と聞きました。私は「まったくあなたの言う通り、私は金剛不壊の体ですね。そうじゃなかったら、このような事故に遭遇したら、とっくに死んでいるよ」と言いました。そして、息子はそれ以上何も言いませんでした。
事故から7日後、私は再び電動自転車に乗って、大法弟子として行うべきことを続けて行いました。師父、ありがとうございました。