寧夏固原市の張利芳さん 刑務所に拘禁される
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 【明慧日本2021年7月14日】寧夏回族自治区固原市の法輪功学習者・張利芳さん(61歳女性)は2020年、懲役3年の実刑判決を言い渡された。張さんは判決を不服として控訴したが、二審で原審維持という結果を出された。その後、張さんは寧夏女子刑務所に拘禁された。

 寧夏固原市に在住の張さんは、以前、重い婦人病を患い、発病したとき、腹痛に耐えられないほどだった。それに、長年鼻炎を患ったことによって、左目が失明してしまった。幸いにも1998年6月、知人の紹介で張さんは法輪功に出会い、2年ほど学んだあと、患っていた病気が完治した。明るくなって人と接触することが好きになり、穏やかな家庭を築いた張さんは誠実で、善良で、寛容な女性になった。

 しかし、中国共産党当局が1999年7.20から法輪功迫害を開始した。張さんは法輪功を学び続けているとして、労働教養処分を5年間に3回下された。中共の法輪功を誹謗中傷する宣伝、脅迫などの圧力を受けた張さんの夫と娘は、張さんのことを理解しなくなった。夫は法輪功の書籍や法輪功の資料を持って、公安局に行き、張さんを告発したことがある。

 以下は、張さんが受けた迫害事実の一部である。

 2001年、固原市で法輪功の資料を見つけたとして、原州区の警官は張さんを自宅から公安局に連行し、資料の出所と法輪功に関する情報の自白を強要し、言わないと、平手打ちを食らわせた。同年11月、張さんは労働教養処分1年を科された。

 教養所で警官は麻薬犯2人に張さんを監視させた。麻薬犯は毎日、張さんに法輪功を誹謗中傷するビデオを見せ、「転向」を行った。従わなかった張さんは蹴られて殴られ、罵られ、睡眠を剥奪され、立たされた。ある日、張さんはある学習者に挨拶しただけで、監視役にふくらはぎを蹴られて倒れてしまった。足の痛みは数カ月続いた。

 2005年3月、張さんは連行されて拘禁された。1カ月後、労働教養処分1年6カ月を科され、労働教養所に拘禁された。教養所で、張さんは朝から晩まで、食事以外の時間は座って重労働を強いられ、臀部が爛れた。過酷な労働で張さんの両手の薬指の爪がすり減って使えなくなり、親指にひどいタコができたため、感覚がなくなった。ノルマを達成できなければ、暴力を振るわれ、睡眠をはく奪され、完成するまで、労働を続けさせられた。

 2008年の初め、固原市原州区公安局の国内安全保衛部門(法輪功の迫害の実行機関)の大隊長は数人の警官を率いて、張さんを連行し、留置場に拘束された。15日後、留置場に移送された張さんは、1カ月後、裁判所の「証拠不足」との理由で釈放された。

 2009年7月16日、銀川市興慶区に住む娘の家にいた張さんは、固原市の警官と寧夏610弁公室の警官によって連行された。その直後、寧夏女子労働教養所に送られた。情報筋によると、警官らは張さんを連行しに行ったとき、すでに「労働教養処分決定書」を持っていたという。張さんは2年間労働教養所に拘禁された。

 2014年7月、張さんは上海の親族を訪問して帰宅途中、駅で人に法輪功が迫害されている真実を話したとして、連行され、銀川鉄道公安署に5日間拘束された。その後、公安署の警官は固原市の警官と連絡を取って、一緒に張さんの家を家宅捜索した。警官らはパソコン、法輪功の書籍、法輪功の資料などを押収した。

 2015年6月、張さんは法輪功迫害を引き起こした江沢民を告訴した。そのため、警官は張さんの他の地方に住んでいる息子、娘に電話をかけ、脅迫した。

 2016年4月8日、警官数人は張さんの家に行き、ドアを叩いた。張さんはドアを開けなかったため、警官は帰るしかなかった。

 2019年9月29日、張さんは再々、連行されて家宅捜索を受け、固原市拘留所に拘禁された。その後、市の留置場に移送された。

 2019年下半期、固原市区案局の警官は張さんの行方を追い、連行しようとし、張さんの一番上の姉の家、三番目の姉の家、姪の家に行ったりした。

 中共当局が法輪功迫害を開始した後、張さん姉妹4人、及び家族3人は法輪功を学んでいるため、連行、家宅捜索、労働教養処分、判決、嫌がらせなどの迫害を受けた。張さんの一番上の姉の夫・徐耀珍さん、二番目の姉の夫・瞿柏春さん(その後法輪功を止めた)、二番目の姉・張淑芳さん、三番目の姉・張蘭芳さんは迫害により死亡した。一番上の姉・張玉芳さんは寧夏女子労働教養所の迫害で障害を負い、自立生活ができなくなった。姪・徐燕さんは懲役3年の判決を下されたことがある。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/29/427552.html)
 
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