吉林省徳恵市の呂興華さんが灌食されて死亡した経緯
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 【明慧日本2021年7月14日】吉林省徳恵市の法輪功学習者・呂興華さんは2000年3月6日に徳恵市留置場に入れられた。同月8日夜、灌食されて怪我をし、痛くてたまらず、同時に熱も伴った。すぐに救急手当が受けられず、翌日の午後に死亡した。35歳の若さだった。

 呂さんは徳恵市朝陽卿林子大隊の人で、婦人主任であり、市人民大会の代表(日本の市議会議員に相当)でもあった。1997年から法輪功の修煉を始め、心身共に健康であった。

吕庆华(吕兴华)

呂興華さん

 1999年7月20日、中国共産党が法輪功への迫害を始めた。中国国内のメディアはすべて中国共産党にコントロールされているため、法輪功に罪を着せる証拠をでっちあげ、世の人々を騙すようにした。法輪功迫害の実態を説明するために、呂さん夫婦は2000年3月3日に北京へ陳情に行こうとしたが、路上で連行され、徳恵市警察署に戻された。徳恵市政府当局は「北京に行って陳情するわけではないと言ったら解放してやる」と言い、呂さんを騙そうとした。呂さんは正々堂々と、法輪功の修煉を堅持すると表明したため、現地の留置場に入れられた。

 呂さんは拘禁に抗議するため断食を始めた。3月8日昼、留置場の男性受刑者5人はパイプを呂さんの鼻に挿入し、灌食を行った。その時、呂さんは臓器にパイプを刺されて負傷し、気持ちが悪くなり、そして右肩のところに激痛が走り、熱も伴い始めた。

酷刑演示:野蛮灌食(绘画)

拷問のイメージ図:灌食(絵画)

 翌日の午前、留置場刑務官が呂さんの状況についての報告を受けた時に、「死んだら遺体を外に出してくれ」と言った。午後、留置場の医務官が始めて呂さんに救急手当を実施し、点滴をした。しかしその時、呂さんはすでに全身に痙攣が起こり、体温も42度に上がったため、病院に運ばれた。

 留置場が故意に救急時間を遅らせたため、9日夜8時ごろ、呂さんは死亡した。

 呂さんの夫は「9日午後、副所長が私を呼び出して、『呂が病気になり、看護に行ってくれ」と言った。私が病院に着いた時、呂は息を切らしていた。十数分後、死亡したと医師が宣告した」と語った。

 呂さんは法輪功を煉ってから、ずっと健康であった。鼻にパイプを刺されて灌食された後、負傷しているにも関わらず、すぐに救急手当が受けられなかったことにより死亡した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/8/427892.html)
 
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