新疆阜康市の于鳳玲さん 迫害死から3年
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 【明慧日本2021年7月20日】(明慧記者)新疆昌吉回族自治州阜康市の法輪功学習者・于鳳玲さん(以下、学習者)は、何度も連行されて拘禁され、不当な労働教養を3回受けた。留置場で拷問を受けて危篤に陥った于さんは、2018年4月に帰宅したが、約1カ月後に亡くなった。享年67歳。

 于さんは新疆非鉄金属局の元女性幹部で、1999年7.20以前に法輪功を学び始めた。法輪功への迫害が始まった後、于さんは北京に行って陳情し、出会ったすべての人々に法輪功迫害の実態を伝えた。

 20年来、于さんは計6年間、労働教養所や洗脳班などに拘禁されていた。両親が亡くなり、息子と娘が結婚したときも、于さんは拘禁されていた。

 2015年、于さんは法輪功迫害の実態を伝えたとして、阜康市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の関係者らに2回連行され、留置場に計35日間拘禁された。 それ以来、于さんは地元の警官から何度も嫌がらせを受けた。

 2017年2月、于さんは迫害の実態を伝えたとして、阜康市留置場に連行された。警官らが于さんに判決を下そうとしたが、于さんは妥協せず、他の学習者の情報を一切提供しなかった。2018年4月、阜康公安局は于さんの生命がすでに危険な状態に晒されているのを見て、家族に迎えに来るように知らせた。

 拷問を受けて瀕死の状態となった于さんは、2018年5月に亡くなった。

 以下は、于さんが迫害により死亡して3周年の記念日に、新疆の学習者が書いた回顧録の一部の内容である。

 于さんは、もともと幸せな家庭を持っていました。夫は勤務先の中堅リーダーで、夫妻は仲が良くて、可愛い息子と娘がいました。しかし、天には不測の風雲が起こり、于さんの夫は上層部の指導者を招待した宴会の後、オフィスで亡くなりました。その知らせを受けた于さんは、雷に打たれたかのようにその場で意識を失いました。目が覚めた後の于さんは、8日間、飲まず食わずの状態が続き、友人や親戚、同僚がいくら慰めても耳を貸さず、ただ黙って泣いているだけでした。そして、法輪功を学んでいる同僚に説得されて元気づけられ、于さんは法輪功を学び始めました。

 于さんは、法を学ぶことを非常に重要視しており、特に同修たちと一緒に学法することをいつも楽しみにしていました。彼女は午前中に法を学び、午後には出かけて人々に迫害の実態を伝え「三退」を勧めていました。そして時間を節約するため、饅頭や餃子などの冷凍食品をたくさん買ってきて、冷凍庫に保存していました。真相を伝える時に、彼女は恐れる心や面子を大事にすることもなく、人を区別する考えもなく、彼女が渡してくれた脱退リストの中には、少数民族の人も多くいました。

 于さんは小柄な女性でしたが、責任感があり、以前彼女が電柱に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書いたところ、警官に連行されました。警官は「どのぐらい書いたのか」と聞いた時、于さんは「市内の電柱に書かれている文字はすべて私が書いたものです」と答えました。すると、警官は于さんを解放した。 2016年には、現地の資料拠点が破壊されたので、于さんは他の地域まで資料を取りに行っていました。

 2017年、于さんは資料を持って帰ってきたところ、自宅付近に待ち伏せをしていた警官らに連行され、1年6カ月間留置場に拘禁されました。彼女は自白を強いられ、何度も拷問されましたが、資料拠点などの情報を一言も漏らしませんでした。于さんが亡くなる前、子供たちは自宅に連れて帰りましたが、1カ月も経たない間に冤罪が晴れないまま亡くなりました。彼女が命をかけて守った資料拠点は、現在も通常通り稼働しています。

 于さんはいつも笑顔で穏やかな印象を人に与えていました。彼女は留置場から帰ってきて、他の人がそのことに言及するたびに、于さんは「大丈夫、どうせ1人だから、旅行に行ったと思えばいいですよ」と微笑んで答えていました。今回の旅行は、遠い天上の宮殿まで、広大な宇宙の中を漫遊しているのかもしれません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/5/427757.html)
 
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