四川省綿陽市の母志太さん 再度拘禁される
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 【明慧日本2021年7月21日】四川省綿陽市の法輪功学習者・母志太さん(52歳男性)は2021年6月22日夜、綿陽市公安局涪城区公安分局の警官によって連行された。警官は母さんが住んでいる借家を家宅捜索し、家にある私物をほとんど押収した。現在、母さんは綿陽市留置場に拘禁されている。

 母さんは綿陽市北川県に在住で、1997年から法輪功を学び始めた。「真・善・忍」に従って自分を要求し、母さんは多くの良くない習慣をやめた。1999年7.20、中国共産党当局は法輪功迫害を開始した後、法輪功を学び続けている母さんは何度も連行されて拘禁され、労働教養処分2回、不当判決1回などの迫害を受けた。

 以下、母さんが受けた迫害の一部である。

 一、法輪功の陳情で連行され、拷問を受ける

 2000年12月28日、母さんは北京へ行き、法輪功迫害を停止するよう政府に陳情したが、湖南省の北京駐在事務所に連行された。事務所で警官は母さんの頭を水が溜まったトイレの中に押し付けたり、手錠をかけて壁にぶつけたり、殴打したりして、腕時計と現金400元を押収した。

'酷刑演示:溺水'

拷問の再現:頭を水の中に押し付ける

 北京で15日間、母さんは連行されたり解放されたりしたが、解放されるたびに天安門広場へ行って、人々に法輪功の真実を伝えた。2001年1月15日、母さんは綿陽市北川県に送還されたが、留置場に送られた。留置場で母さんは常に殴られたり蹴られたりした。2カ月後、労働教養処分2年を科された母さんは新華労働教養所に収容された。

 二、2回の労働教養で奴隷労働、睡眠の剥奪などの拷問を受ける

 新華労働教養所で母さんは、長時間立たされ、長時間走らされ、小さい椅子に座らさせられたり、奴隷労働の強要などの拷問を受けた。「三書」を書かなかったため、母さんは睡眠を剥奪された。2002年6月以降の1カ月あまり、毎日3〜5時の2時間しか睡眠を許されなかった。

法輪功学習者は掌くらいの椅子に座らさせられる

 2005年8月、警官らは母さんの家に行き、「話がある」と言って、母さんを郵政ホテルに連れて行った。その後、母さんは留置場に送られた。1カ月後、労働教養所処分1年を科された。2006年8月、解放された母さんは、帰宅した後、警官に絶えず嫌がらせをされた。そのため、母さんは家を離れ、放浪生活を余儀なく強いられた。

 三、嘉州刑務所で電気ショックなどの拷問を受ける

 2012年4月1日、母さんは待ち伏せていた綿陽市涪城区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に連行され、銀行のキャッシュカード、証明証、人力三輪車などの私物を押収された。その後、母さんは長時間尋問され、自白を強要された。

 2013年3月1日、母さんは涪城区裁判所に不当に開廷され、懲役3年の判決を下され、嘉州刑務所に送り込まれた。刑務所の警官は学習者たちに「『三書』を書かないと、死ぬような苦しみに遭うぞ」と脅迫した。

 同刑務所は学習者に「三書」を書くことを強要した。書かない人に拷問を加え、苦しめた。「罵る、殴打する、きつく縛る、催涙ガス、唐辛子水を目に入れる、スタンガンで体の敏感なところへの電気ショックや数本のスタンガンで一斉に電気ショックを与える、睡眠を剥奪する、軍隊の訓練のように長時間立つこと、座ることを強制、太陽の下で日焼けさせる、24時間の監視、他人との接触禁止、手紙を書くことを許可しない」などの迫害を行った。

拷問の再現:数本のスタンガンで電気ショックを与える

 母さんは第九監区に入れられ、3日後、警官に「転向」を強いられた。母さんは毎日、2時間の睡眠しか許されず、1日22時間軍人の姿勢で立たされ、座らされた。1週間後、警官にスタンガンで電気ショックを与えられた。母さんは「三書」を書かず、法輪功を学んで受けた恩恵のことを書いた。警官は母さんを監視カメラがないトイレに連れて行き、指示された受刑者は母さんを殴打した。その後、母さんを外に連れ出し、酷く殴打したという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/10/428006.html)
 
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