文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2021年8月7日】私は黒竜江省のある辺鄙な貧しい小さな村に住んで、娘2人と息子がいましたが、3人の子供はみなすでに独立しました。
法輪大法の貴重な書籍である『轉法輪』はとてもすばらしいです。私はほとんど勉強したことがなく、教養レベルも高くありませんが、最初に『轉法輪』を読んでもわからないところがあり、何べんも多く読んで理解することができました。
たとえば、はじめて師父が説かれた「修在自己,功在師父(修は己にありて、功は師にあり)」[1]を拝読して私は意味がわかりませんでした。私が続けて10回読むと、この8文字が変化し、赤い文字に変わり、跳んだりはねたりして、私の頭の中に飛び込んできました。私は「私自身が修煉し、功は師父が私に与えてくださる」という師父が説かれた意味を悟りました。もちろん、さらに学び、さらにより多くの意味を理解できました。
修煉し始めたばかりの時、何か難しいことに遭遇した時、本を読み法を学ぶと、本の中の法理が、どのように行うべきかを私に教えてくださいました。
家の白菜畑が大法輪によって覆われた
ある年、降雨が多く、一部が冠水し、どの家の白菜もみなうまく育ちませんでした。私の家の野菜畑は道路に近く、私の家の白菜は青くなってしまいました。
当時、村は貧しいだけでなく、盗難もよくありました。その年の白菜は品薄で、値段が良く、村の王四さん夫婦は白菜をみな売ってしまい、一つも残っていませんでした。
ある時、私が白菜畑に行った時、王四さん夫婦が私の家の白菜畑をぐるぐる回っているのが目に入りました。私は「2人は自分の家の白菜をみな売ってしまい、夜に白菜を盗む準備をしているのかもしれない。昼間にどの家の白菜がいいか見ているのだ」と思いました。私は夜になると怖くなり、白菜を見に行く勇気がなく、夫を呼びましたが、夫も行きませんでした。私は焦りましたが、1人で白菜を見に行く勇気がなく、行かないと損をするのではないかと恐れました。
私は心を静めて法を学ぶしかありませんでした。私は法輪功の書籍を手に取り、開くと「自分のものなら、無くなることはない」[1]という言葉が目に入り、「私の物なので、なくなることはなく、大法輪が私を見守ってくださっているのだ」とすぐに理解しました。私はすぐに「ありがとうございます、師父!」と申し上げました。私は喜んでオンドルに上がって眠りました。
私は「淡青色の一つの大法輪が、私の家の白菜畑をすべて覆い、泥棒は私の家の畑を見つけることができなかった」夢を見ました。朝起きた後、白菜畑に見に行くと、はたして白菜は一つもなくなっていませんでした。
私の家の3人の子供
法輪大法を修煉する前、私は全身病にかかっており、畑仕事はできず、すべての重責がみな夫一人に圧しかかりました。大法を修煉した後、私の全身の病気は数日ですっかり治りました。3人の子供もみな、私と一緒に大法を修煉しています。家族全員が大法を修煉した後は、病気になったことがなく、薬を飲んだことがなく、注射を打ったことがなく、多額の医療費を節約しました。
3人の子供は師父の要求に従ってよい人になり、誰かが車を押しているのを見たらその人を手伝い、誰かが物を持とうとして重くて持てないのを見たらその人を手伝い、人に会えばあいさつし、誰かが何かをくれてももらわず、人を殴らず、罵りませんでした。私たちの村の会計担当者は「ここ(私の家を指す)の子供はどのように教育しているのか、とても愛らしい」と言いました。
特に私の息子ですが、祖父母は男尊女卑の考えがあり、息子が祖母の家に行くと、何かおいしいものをみんな息子にあげても、息子は欲しがらず、勧めても食べず、「おじいちゃんとおばあちゃんは年をとってるから、おじいちゃんとおばあちゃんが食べなよ。将来おいしいものがもっとあれば、僕はその時にまた食べるから」と言いました。息子は祖父母をとても気に入っていました。3人の子供は村のみんなが賞賛していました。
法輪大法が迫害された後、私たちの村の書記、村長、会計担当者に法輪功の真相を伝え「三退」を勧めました。書記と村長は喜んで三退しましたが、会計担当者は三退しようとしませんでした。その後に会計担当者は腸がんを患い、私は法輪功のパンフレットを持って会計担当者の家に行き、真相を伝えました。会計担当者は真相を理解し、喜んで「三退」し、その後に腸がんもよくなりました。十数年が経ち、その人は現在(訳注:2021年)まだ会計担当者をしています。
村の次男坊が救われた
2009年、私たちの村のある次男坊が血管炎を患い、まずつま先から腐り始めました。
次男坊の父親は毎日大酒を飲み、飲み終わると妻を殴り、眠りにつくまで飲み、目が覚めるとさらに飲み、一日中飲んでいました。畑を耕さず、作物を作らず、自分で仕事をせず、妻も殴られて出ていき、父親は一日中ボーッとしていました。父親には2人の息子がおり、長男は父親の様子に我慢できず、アルバイトをしに出ていきました。最終的に、父親は酒に命を奪われました。父親が亡くなったことを母親が聞いて次男坊に会いに戻ってきたとき、次男坊の足はさらにひどく腐っていました。
母親は次男坊を連れて治療のためにハルビン病院へ行きました。医者は「足を切断しなければ命は救われません」と言いました。手術には大金が必要でした! 母親は手あたり次第にお金を作り、息子のために手術を行おうとしましたが、片方の足を切断するためのお金しかありませんでした。病院に入院する余裕がなく、家に帰って看病するだけでした。
何を使って看病するのでしょうか? 家では、お金がないとやっていけませんでした! 善良な母親は息子のために、アルバイトに出かけましたが、次男坊が食べるコメとコムギ粉、炊飯器、電気なべ、電気毛布、ダイズ油や塩などの生活用品を買うことしかできませんでした。母親は息子を手放さず、泣きながら出ていき、次男坊の唯一の身内が出ていきました。そのとき次男坊は23歳でした。
次男坊は大便と尿をみな部屋の中でしたので、彼の住む家は臭いが強すぎて誰も入ることができず、彼は食事を一口も食べておらず、漬物やしょうゆなどもありませんでした。寒い冬、少しの火もありませんでした。私はそのことを聞いた後、次男坊のためにオンドルに火を入れ、改めて暖房のため中を火が通るようにしてある壁とストーブを組み立てました。私は杜さんの家で石炭を2袋購入し、朱さんの家で乾燥トウモロコシの粒を買い、部屋を暖めました。それから、次男坊の大小便をすべて捨て、家をきれいにかたづけました。私は自分の家でしっかり料理を作り、持って行きました。漬物は毎日違う種類を持って行き、次男坊が寒い冬を乗り越えるのを助けました。
私は次男坊に大法の真相を伝え、貴重な書籍である『轉法輪』を渡し、かれは『轉法輪』を読んだ後、もう片方の足が助かりました。
次男坊の母親が旧正月に戻ってきて、息子を誰かが世話をし、まったく苦しんでいないのを見て、次男坊の母親は贈り物をたくさん買い、私の家に来て感謝しました。女性がお金を稼ぐのはなんと大変で、母親と子供の生活はお金がなければだめだ、と私は思いました。贈り物を返したら、親子が受け入れないことを私は恐れ、私はお金と合わせて送り返しました。親子はとても感謝して、何度も「ありがとうございます!」と言いました。
後悔した次女の姑
私の次女は法輪大法を修煉しています。次女の舅、姑、夫、夫の妹はみな共産党員でした。姑と夫の妹は法輪功の修煉を放棄するように次女に強要しました。夫が出勤すると、姑と夫の妹が次女を叱り、次女に修煉を放棄させようとしました。
夫の妹は110番に電話し、警察が来て「どうしたのですか?」と聞きました。夫の妹は「彼女は法輪功を修煉しています」と言いました。警官は「これは私たちの任務ではありません」と言って帰って行きました。その後、次女たちの家族は再び裁判所に訴え、裁判所は次女に離婚を強要し、子供は夫側が引き取るように判決しました。私の娘は子供を欲しがりましたが、舅と姑は子供を遼寧省に連れて行きました。
次女の舅姑と姑の兄は共同で会社を始め、70万元を投資しました。姑はこの70万元を姑の兄に渡し、証拠なく手続きを行いました。姑の兄はこのお金を奪い、お金と本人は共にいなくなりました。舅姑はひどく慌て、子供は再び病気になり、本当に火に油を注ぐとはこのことでした。病院の医者は「子供の病気はなかなか治りません」と言いました。
老夫婦(訳注:次女の舅姑)は子供を私の次女に返しました。子どもは私の家に来て数日住んで、病気はよくなりました。子どもがよくなり、おばあちゃん(訳注:次女の姑)は子供を連れ戻そうとしました。次女は子供をほしがるので、私は次女に「あなたは何を焦っているの? 数日過ぎればまた送り返してくるでしょう。彼女(訳注:次女の舅姑)は子供の治療費を払わなくて済むという味を知ってしまったのだから、子供が病気になればまたここに送り返せば彼女はその治療費を節約できるでしょう」と言いました。
数日後、子供はウンチができず、下剤を飲んでも効かず、グリセリン浣腸をしても効かず、こらえていた子供は何も食べず、座っていられませんでした。どうしようもなくなり、私の次女を呼んで子供を迎えに来させました。子どもが私の家に来て、私は子供に師父に3回お辞儀をするように言いました。私の隣人の同修が子供を抱き上げ、2本の足を持って「ふんばって!」と言いました。子どもはふんばりましたが、硬いウンチは、しっかりしていて動きませんでした。
2011年、次女は神韻のDVDを配ったために、中国共産党(以下、中共)に不当に1年6カ月の労働教養を科されました。姑が私に電話をしてきて「私と子供は2人とも病気があり、入院しました。今はお金がなくて、病院はこれ以上入院させてくれません」と言いました。私は「いくらお金が必要なのですか?」と言うと、姑は「1000元あれば足ります」と言いました。私は「明日私は早めの電車に乗って行きます、どこの病院ですか?」と言うと、姑は「私の家に送ってくれればそれでいいです」と言いました。
翌日、私は6時の朝の電車に乗り、7時に姑の家に着きました。私は「法輪大法は素晴らしい」と書かれた法輪功に関する文言を印字した紙幣を持ち、真相卓上カレンダーと法輪功のパンフレットを持参し、すべて次女の姑に渡して姑に大法の真相を伝えました。次女は、姑の兄がだましたと怒りのあまりののしり、姑の兄の家のガラスをみな壊したと言いました。「彼を訴えるためにまた5万元使っても、それも無駄でした。何の手続きもしなかったので、どこに行ってもいつも勝てませんでした。姑は財産をつぶしました」と言いました。
1カ月後、次女の姑は再び電話をかけてきて「息子がハルビン病院に行かなければならず、さらに1000元必要です」と言いました。私は再び同意し翌日の朝の電車に乗って姑を家まで送りました。翌日行き、家に入ると、姑はにこにこしながら隣に立っている1人の若い女性(姑の隣人)に「ほら、こちらが私の孫娘のおばあちゃんです。この方の体はしっかりしていて、少しの病気もなく、彼女は法輪功を学んでいます」と言いました。
まさにここまで話すと、息子の祖父(訳注:次女の姑の父親)が家の中から出てきて、右手を挙げながら「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 私の家はみな党員ですが、今日みんな脱党します。娘、息子のことは、私が決めました」と大声で言いました。姑は「あなたが私にくれた印字されているお金(真相を印刷したお札)ですが、私が買い物に行ってこのお金を使った時、人々がみな『あなたは法輪功を修煉しているのですか?』と聞きました。私は『私の孫娘のおばあさんが私にくれたのです』と言いました。私は彼らに『このお金を上手に使えば、福があります』と伝えました。私はあなたが私にくれたDVD、パンフレット、卓上用カレンダーをみな私の親せきに配りました。ほら、この通り、私の病気はよくなりました、不思議です!」と言いました。
今回私は1000元のお金(真相を印刷したお札)と1000元の印字されていないお金を持って、次女の姑に選ばせました。姑は印字されているお金を選び、一家全員が救われました。
自分の息子のもともとの幸せな家を離散させたのは姑でした。息子は再び嫁を貰い、ちょうどごたごたしていました。前後2人の嫁を比較して、姑は、やはり私の次女がいいと言いました。
次女の姑が言葉を発するやいなや、私は厳粛に「私の娘は素晴らしく、あなたはどうして彼らを離婚させなければならなかったのですか? あなたは離婚させたいときは離婚させ、欲しい時は欲しがり、私の娘のことはあなたが決めるのですか? あなたは私の娘を裁判所に訴え、母娘が離れるのはどんなにつらいでしょうか? あなたの新婚のお嫁さんも長女で、また子供がいますが、お子さんはどうするのですか? あなたはまたこのお子さんを母親がいない状態にするのですか? あなたはお子さんに申し訳が立つのですか? あなたのこのお嫁さんに申し訳が立つのですか? 彼女がどんなに良くなくても、やはり子どもであり、年寄りは寛容にならなければなりません」と言いました。次女の姑はぐうの音も出ませんでした。老夫婦(訳注:次女の舅姑)は食事を作り始め「孫娘の誕生日だ」と言い、食事を食べ終えてから帰るように私に言いました。
10時過ぎ、姑の現在の息子の嫁が来て、1羽のローストチキンと豚肘肉の煮込みを手に持ち、入り口に立って「おかあさん、受け取ってくれなければ、私は中に入りません」と言いました。姑(訳注:次女の姑)は声を出しませんでした。若い嫁は再び2回言い、姑はやはり同意しませんでした。息子の嫁は再び3回目に言いました。私は急いで前に出て「私が受け取ってもいいですか?」と言いました。息子の嫁は「いいです、ありがとう、おばさん」と言いました。私が受け取り、息子の嫁は急いで帰っていきました。
私は「行かないで、私はあなたと話したいのです」と言いました。息子の嫁は足を止めて「おばさん、言ってください」と言いました。私は「私の娘は戻って来ませんから、安心してください」と言いました。この息子の嫁はそれを聞いて、急いで「ありがとうございます! ありがとうございます!」と言いました。私は息子の嫁に真実を伝えました。同時にまた、息子の嫁の舅姑にも「二度と私の娘のことを考えてはならず、人としてこのような行動をとってはならず、どんなことがあってもこの新しいお嫁さんを心を込めてお迎えしなければなりません」と聞かせました。私の目的は息子の嫁と舅姑2人のお年寄りとその子供にみな幸せで暖かな家を持ってもらうことでした。
一番上の娘の舅は親指を立てて「法輪大法は素晴らしい!」と叫んだ
一番上の娘の舅姑は北京でのアルバイトから帰ってきて、電話をかけて、私たちを食事に誘いました。テーブルで、娘の舅は「もうすぐ大晦日ですが、私は引きずり回されてボコボコにされてしまう」と言いました。私は驚き、娘の舅に「どうしてですか?」と聞きました。舅は「私がおせっかいを焼き、甥の借金を肩代わりしました。甥は仕事を失い、支払いができなくなってしまいました。支払いは利息に利息が付いて7万元になり、それはすべて親戚から借りたお金でした。私は北京へアルバイトに行き、2年で7000元を稼ぎましたが、それだけでは十分ではありません」と言いました。
私は「お兄さん、焦らないでください」と言いました。私は舅の三男(私の長女の夫)に「いくらあれば、お父さんを助けることができますか」と聞きました。娘の夫は「私たちは仲が良く、さらに一番上の兄と2番目の兄がいます」と言いました。私は「お父さんに産んでもらったことに対して、お父さんにお返ししましょう」と言いました。娘の夫は「私はまだ家を持っていません」と言いました。私は「あなたのお父さんの借金を払い、あなたは犬小屋に住んでも、それでもみっともなくはありません。他の人があなたのお父さんをボコボコにしたら、大晦日なのに、あなたも誉められたものではありませんよ」と言いました。娘の夫は今度は「私はまだ小型四輪トラクターもありません。お金がなく、新年の後、農業はどうすればいいのですか?」と言いました。私は「私の家の四輪トラクターを使って農業を行い、お金がなくても、私の家にあります。その時が来たら、電話をすれば、あなたの弟(私の息子)とあなたの父(私の夫)がみなあなたを手伝いに来ます」と言いました。
私は娘を説得するために振り返りました。娘は幼いころから私と一緒に大法を学び、真・善・忍が一番上の娘の心の中に長く根付いていました。一番上の娘は一つも「ノー」と言わず、亜麻を売ったお金の3万2000元を取り出しました。舅はさらに1000元を借り、加えてアルバイトで稼いだ7000元で、合わせて4万元を調達しました。すべてのお金を返すにはまだ足りませんでしたが、各家がいつでも一部分を返すことができ、義理の兄(長女の舅)も安堵のため息をつくことができました。
その時、義理の兄(長女の舅)は喜んで「お義姉さん、ありがとうございます」と言いました。そして義理の兄の妻に「あなたは信者です、あなたはできますか?」と言いました。義理の兄の妻は「できません」と言いました。義理の兄は今度は「私たちはやはり法輪功を学びましょう」と言いました。義理の兄は親指を立てて「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。
義理の兄は再び電話で話し、長男と次男にそれぞれ電話をかけ、長男と次男に「私はまだ4万元だけだ」と言いました。2人の息子は「どこで手に入れた4万ですか?」と聞きました。舅は喜んで「三男のお嫁さんが3万2000元出し、私がまた1000元借りた」と言いました。2人の息子は受話器を置き、義理の兄に合わせて3万元を送りました。
7万元が集まり、借金を返済することができ、もうさらに利息に利息がつくこともなくなりました。義理の兄は「私の息子を見てください」とさらに喜びました。そして「お義姉さん、どうもありがとう!」と言いました。私は「私に感謝せず、大法の師父に感謝してください! 私がもし大法を学んでいなければ、私もできませんでした」と言いました。義理の兄は何度も「その通り、その通り」と言いました。
大法は人心を正す
その次に、私が再び義理の兄の家に行った時、兄は1人の人を連れてきており、私と同じ年で、法輪功を学びに来ていました。その人は多くの質問をし、私たちは4時間話し、私が大法の中から悟ったこと、大法をどのように実践したのか、現れた不思議な体験を、私はすべてその人に伝えました。その人は聞き終わった後、その時に法を学び煉功しようと決めました。家に帰った後、その人の妻はその人に学法と煉功をさせず、さらに師父に線香を立てさせず、なぜならその人の妻はキリスト教信者だったからでした。
私はその人に家庭の関を突破する最もよい方法を伝えました。私はその人に「あなたは食事を作ったことがありますか?」と聞きました。その人は「ありません」と言いました。「あなたは薪を集めたことがありますか?」。その人は「ありません」と言いました。私は再びその人に「あなたは布団を畳んだことがありますか?」と聞きました。その人は「ありません」と言いました。「あなたはニワトリやカモやアヒルに餌をあげたことがありますか?」。その人は「餌をあげたことはありません」と言いました。私は「今回はその逆で、仕事はあなたがすべて引き受けます。あなたは法輪大法は素晴らしいと言うだけではだめで、行わなければならず、それではじめて修煉です」と言いました。その人は本当に薪を集め、食事を作り、布団を畳み、ニワトリ、カモ、アヒルに餌をやり、本当によく働きました。
2日が過ぎ、その人の妻は「あなたはどうしちゃったの? どうして変わったのですか?」と話しました。その人は「私は大法を学び、師父は私に良い人になるようにおっしゃいました。家でも、あなたのためによい夫になり、子供のために良い父にならなければなりません。これからは、私はタバコも吸わないし、酒も飲まないし、お金もいりません(ギャンブルをしない)」と言いました。妻は「本当ですか?」と言いました。その人は「もちろん本当です。家の中だけでなく、これからはいつでもみな真・善・忍でなければなりません」と言いました。その人の妻は大喜びし、人に会うと「大法は素晴らしい」と伝え、さらに「私の夫ですが、大法は彼を管理できるのです」と言いました。
数日後、その人の変化が大きいことをあるお年寄りが見て、そのお年寄りも大法を学びたがるので、私の長女は夫と一緒にそのお年寄りと学法グループを作り、本当に勇猛にして修煉に励みました。お年寄りたちは自分でシールを買い「法輪大法は素晴らしい」などの真相を伝える標語を自分で書きました。ピンク色の物や緑色のもので、字が大きく、遠くからも見えるので、高速道路のそばの電信柱に「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」、「世界は真・善・忍を必要とする」の横断幕を電線にかけました。
一夜にして、こんなに多くの真相が書かれた横断幕を掛けたので、驚いた村の書記は放送で罵り、村すべての老若男女を動かしたと、長女の夫が私の家に来てこのことを言いました。私は「大丈夫ですよ、行きましょう、私はあなたと一緒にあなたたちの村の書記に会いに行きましょう」と言いました。私は「如意、真理を帯びて来る 洒脱として、四海を歩む 法理を世間に遍く撒き散らし 衆生を満載して、法船は出帆す」[2]という師父の法を暗唱しました。
娘の夫たちの村に着いた後、私は娘と一緒に書記の家に行きました。扉を開けた途端、村の書記は玄関先の椅子に座っていました。娘は「こんにちは、こちらは私の母です」と言いました。書記は「こんにちは、お座りください」と言いました。私は「私は電信柱に貼られた『法輪大法は素晴らしい』のシールのために来ました。恐れないでください、あれは村全体の郷里の皆さんの幸せと平和を保護し、キツネも幽霊も蛇もみなみなさんの村に来ることをあえてせず、また他の空間の良くない物質を震え上がらせることができます」と言いました。書記は「上が許してくれないのではないかと心配しています」と言いました。娘は「上のことは気にせず、見ていないふりをしてください。上がもし書記に会った時は、書記は『私たちは捨てましたが、彼らはやはり再び貼り、私たちもどうしようもありません』と言ってください」と言いました。書記は笑い、それから二度と罵らなくなりました。
書記の村の多くの人がみな「三退」し、ほとんどの人々がみな法輪大法が素晴らしいことを認めました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「如来」