人間の考え、他からの信息および正念
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年8月12日】修煉の道のりにおいて、法を多く学んで、初めて常に正念を保つことができ、初めて人間の考えや思想業力、および旧勢力が私たちの頭に打ち込んでくる他の信息に妨害されないようにできます。それらを意識的に区別し、自分の一つの考え、一つの念を法に照らし合わせる努力を怠らないようにすれば、回り道をあまり歩まずに済むことができるでしょう。ここではいくつかの事例について言及します。同修たちも重視するようになれば幸いです。

 まずは人間の考えから話します。十数年前のある日、同修のHさんは自宅から1.5キロ先の市場まで自転車で買い出しに行きました。家を出た直後、彼女は頭に違和感を覚えて、思わず「今、血圧を測ったらものすごく高いだろう」と考えました。この正しくない一念が生じた後、市場に着いた彼女が道路の北側に沿って歩いていくと、「無料の血圧測定をしませんか?」と呼び止められ、道路の南側に沿って帰ろうとすると、「血圧を測りましょう」と、またも呼び止められました。彼女は2回とも断りました。二つの血圧測定ボランティアグループは毎日、通りすがりの人の血圧を測っていますが、今まで一度も彼女に声をかけたことがなく、その後もありませんでした。他の空間にある邪悪が彼女のたった一つの正しくない考えを見て、その隙に乗じようとしていたのです。

 数年前、Hさんは右脚の骨がスカスカになり、2階に上がるとき、いつも骨折しそうだと感じていましたが、「修煉者の体の不調にはみな理由がある。大法弟子として毎日やるべきことをやればいい」と考えて、心に留めませんでした。すると、いつかその骨の感覚が消えて、すべてが良くなりました。

 県内に、人間の考えの犠牲者になった3人の同修がいました。Aさんは60代で、ビル購入時の借金を返済するために別の仕事を始めました。労働時間が長くなるにつれて、彼女は法を学ぶ時間がなくなり、体もどんどん細くなっていきました。そんな中、彼女は親戚の子供の結婚式に出席するために地方に行きました。痩せている彼女を見た親戚の1人が、「このままでは地元に帰らせられない」と言い、息子に頼んで病院に連れて行き検査してもらったところ、腸に異常があることが判明しました。20万元の出費で2回も手術を受けた彼女は、3年後に亡くなりました。

 術後しばらくの間、彼女は街に出て真相を伝えていたところ、知人から「どうしてこんなに痩せてしまったの?」とよく言われ、「今年は60代の方が何人も亡くなりましたよ」と聞かされることもありました。当時62歳だった彼女はこの言葉が気になって、街で真相を伝える合間を利用してドラッグストアに入り、体重計に乗ってみたところ、60キロという正常な体重でした。帰宅して家族に昼間のことを話したところ、息子夫婦は揃って彼女のふくらはぎを押しに来て、押す度に凹みができ、浮腫みだと言いました。それを聞いた彼女は階段を登れなくなり、気力がなく、呼吸困難や激しい息切れの症状が現れました。

 家族に無理やり病院に連れて行かれて診察を受けたところ、心臓に水が溜まっていて手術もできないと言われました。その時のAさんは脚が腫れて太くなっていましたが、第五式の功法を1時間以上も続けることができていました。同修たちによる発正念の助けや法を学ぶことで、彼女の症状は大きく改善しました。

 他空間の邪悪は、彼女に手放していない人心があり、どれが自分の正念でどれが業力で、どれが他の空間による妨害なのか区別できていないのを見て、彼女が第五式の功法を煉っている時に、何年も前に亡くなった舅が外から家に入ってくる光景を彼女に見せました。それでも分別せず、自分はもう駄目だと勘違いした彼女は同修に「この関はもう乗り越えることができないかも」と言い、夫にも伝えました。その言葉を聞いた夫は涙を流し、 数日後にAさんは亡くなりました。これは、真の自分と思想業力、および外部からの妨害の信息を見分けることができず、嘘を誠だと信じ込み、ついて行ってしまったことによってもたらされた損失です。

 70代のBさんは息子の嫁に健康診断を勧められて、「どこも悪くない」と返事しながら、こっそりと三輪車で病院に検査を受けに行きました。検査の結果、命の危険があり、すぐに心臓のステント手術をしなければならず、家に帰ってはならないと医師に言われ、別の病院に行っても同じことを言われました。結局、ステント手術を受けた彼は今、毎日薬を飲み続けて、修煉のことも信じなくなり、常人の執着心も多く見られるようになりました。

 60代のCさんは、息子さんが市場に物を売りに行く度、手伝いについて行きました。ある日、家を訪ねてきた病院勤めの親戚に健康診断を勧められた彼は病院で検査を受けたところ、「癌なのですぐに手術をしなければならない」と言われました。それを聞き入れた彼は他県の大きな病院に行って手術を受け、今では修煉にも人生に対しても自信を失ってしまい、いまだに元気を取り戻せていません。二十数年前、大病を患って仕事がまったくできなかった彼は、修煉によって健康を取り戻しただけでなく、兄弟の仕事も手伝うことができるようになっていたのです。

 1999年の「7.20」以前に法を得たこれら数人の同修は皆、人間の考えや外部による妨害を自分の考えだと思い、自分自身を常人と見なしてしまいました。心臓を引き抜かれてもすぐには死ななかった強い精神力の持ち主である比干が、空芯菜売りの婦人が出会った後、自分に心臓が無くて生きていられるはずもないことを思い出し絶命してしまったことを教訓にすべきだったのです。

 師父は私たちにこのように教えられています。「いずれにせよ、修煉者として、必ず修煉者のやり方、修煉者の考えで物事を考えなければならず、決して常人の考えで物事を考えてはいけません。あなたがぶつかったいかなる問題も単純なことでも、偶然なことでもなく、常人の中の問題ではありません。必ず修煉に関係があり、あなたの向上に関係があるのです。あなたは修煉者なので、あなたの生命の道は変えられ、あなたの修煉の道は新たに按排されたものなので、この道に偶然なことはありません。しかし、その現れ方は必ず偶然の状態なので、この迷いの中、常人と同じ状態の中で、はじめてあなたが修煉しているかどうか、あなたの修煉がよくできているかどうか、あなたがこの次々と現れてくる関を乗り越えられるかどうかを見ることができます。これこそ修煉であり、これこそ正しい悟りの道なのです!」[1]

 誰かに健康診断を勧められたら、まっさきに師父の説法を思い浮かべて、自分が本当に師父の教えを信じているかどうかをチェックし、悟性を高めるべきなのです。常に用心して外部からの妨害に従わず、師父の教えに従いましょう。

 師父はこのようにおっしゃっています。「いかなる心も放棄し、何も考えず、ただ大法弟子として行なうべき全てを行なえば、全ては既にその中にあります」[2]

 また、師父は、「あなたの道はあらかじめ用意されていたので、病気にかかることが許されていません。本当に許されていません。なぜなら、病はいままでのようにあなたを攻撃することができず、ウイルスはあなたが持つ正のエネルギーに滅されるからです。しかし、人間は業を造るのです。造った業が体に反映されると、病気と全く同じです」[3]と説かれました。一念の違いだけで、それを絶対に病気ではないと思わなかったため、人間の考えによって自分に大きな魔難をもたらしてしまいました。悔しい限りではありませんか。

 次に、人間の観念について話してみます。同じく十数年前のことですが、ある夜、夕食中にDさんは暑くてたまらず、「今夜はベランダの窓を閉めないでおこう」と何気なく言いました。その直後、彼女は子供の頃に近所のおばさんから聞いた、「夜に窓を開けておくと、変なものが入ってくるよ」という言葉を思い出しました。彼女はその一念を否定せず、滅することもしませんでした。ベッドに入って眠りにつく前の朦朧とした中で、Dさんはべッド全体が何か分厚いものに押されているように感じ、「私は煉功者なのに、どうしてこんなことが起きるのか?」と思いました。そして、夢の中で次のようなことが現れました。

 夢の中で、ベッドから降りて寝室を出たDさんは、隣の部屋の電気がついているのを見て、「あれ、私が最後に寝たので、確かに各部屋のドアや電気を確認したのに」と思い、もう一度見てみると、頭に折り畳まれたスカーフをかぶり、腰にエプロンを巻いた人間らしいものがライトの下で身体を捻っているのを見ました。その時、その「人」らしいものもHさんに気づきました。Dさんはすぐに別の寝室にいる息子と夫を呼びに行き、明かりのついた部屋に戻ってきたときは、誰もいませんでした。防犯扉の手前に一足の靴があるのを見て、Dさんは早速ドアを開けて、何者かが階段を駆け下りていく音を聞きました。彼女は手当たり次第にガラスの空き瓶を拾い上げ、それに向けて投げつけました。一瞬にして、重さ数キロの大きなオンドリ(緑の尾をした赤いオンドリ)がHさんの右手の掌に向かって飛んできました。Dさんはそれをしっかりと手に掴み、師父の口訣を唱えました。その後、目を覚ました彼女は体にのしかかっていた重みを感じなくなり、各部屋を見回しても異常は見つかりませんでした。一つの人間の観念(思想業力かもしれず、旧勢力が彼女の頭に叩き込んだ念頭かもしれない)を認めただけで、Dさんは自らトラブルを招いてしまいました。幸い、彼女は最後に自分が大法弟子であることを思い出し、自分が招いた魔難を解体することができました。

 また、家にあった石が息子に捨てられたことで癇癪を起こした80代の同修がいます。彼が言うには、子供の頃にその石の下敷きになったことがあり、その石が自分の名付け親であり、石を捨てる行為は自分の命を奪い死なせることだと、彼は長い間息子と喧嘩して、そのことを思い出す度に腹を立てていました。

 ある同修が彼に、以下の師父の説法を暗記するように勧めました。「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[1]

 暗記を勧められた彼は暗記はしたものの、人間の観念を完全に放棄することができず、この観念に対する自分の執着の度合いも顧みませんでした。ある日、彼は暗記を勧めた同修に「子供が幼い頃に『鍵を開ける』という儀式を受けるのはなぜですか?」と聞きました。同修は、「子供は12歳になったら鍵を開けないと、頭が悪くなると言われているらしいです」と答えました。

 また、同修は彼に、師父が憑き物について以下に語られていることを思い出してくださいと注意を促しました。「この宇宙には、『失わないものは得られず』という理があります。その憑き物は何を得るのでしょうか? 先ほどもこのことについてお話ししたではありませんか? 憑き物はあなたの身体から精華を取って、人の形を修得しようとしているので、人の身体から精華を採集するのです。ところが、人体の精華は一つしかなく、修煉しようとするなら、それ一つしかありません。憑き物に取られたら、あなたは修煉をあきらめるしかありません。いまさら何をもって修煉すると言うのでしょうか? 何もかもなくなったのですから、修煉などできるはずがありません」[4]

 「あなたの家の石が捨てられたのは良いことですよ」と同修に言われて、彼はやっと息子と仲直りしました。しかし、いまだに人間の観念を手放していないため、今の彼は体の調子が以前より悪くなっています。

 次に、正念について話します。10年以上も前のある日の午前中、市内の大通りを歩いていたDさんは、ぐるになって人からお金を騙し取っている3人の中年女性に出会いました。何も知らないDさんは彼女たちに法輪功の真相を伝え、三退を勧めました。女性たちは同修の信頼を得て、同修の優しさと子どもへの愛情を利用して罠を仕掛け、最後に「3日以内に子どもに何か大きなことが起こる。打撃に耐えられなくなったら、『某某経』を唱えれば役に立つので、家にあるお金、できればある分を全部持ってくれば助けてあげる」と言いました。

 この出来事を前にして、Dさんは師父が『轉法輪』でおっしゃった次のことを忘れました。「あなたの変えられたあとの人生の道は、人に見られてはいけないものです。人がそれを見ていつどの段階に難があると教えてくれたとすれば、あなたはどうやって修煉していけるでしょうか? ですから、絶対に見てもらってはならないのです。他の法門の誰に見てもらってもいけないばかりでなく、同じ法門の弟子に見てもらってもいけません。そもそも誰も言い当てることはできません。なぜなら、あなたの生涯はすでに変えられており、修煉するための生涯となっているからです」[4]。女性たちの話を信じ込んでしまったDさんは、涙を流しながら家路につきました。家に入るや否や、師父に線香をあげて、両膝をついてこう言いました。「師父、長年大法を学んできて、全部無駄になりました。私は何をすべきか分からなくなりました。渡すべきお金でなければ、1円たりとも渡しません」

 しばらくすると、Dさんは落ち着きを取り戻して、あることを思いつきました。「もし私が『某某経』を唱えたら、本当に長年の修煉を無駄にして自分を毀すことになる。これは不二法門の問題ではないか!」。ちょうどその時、同修の夫が家に帰ってきました。2人が会話を交わす間もなく、詐欺師から電話がかかってきました。同修の夫が電話に出ると、詐欺師は電話を切り、逃げました。その後のご主人の話によると、今朝、市場で物を売っていたとき、どうしても家に何か良くないことが起きていると感じ、早速戻ってきたそうです。慈悲なる師父はHさんを助けられました。今は母子ともに無事です。

 また別の日に、リビングで息子と面と向かって座り会話を交わしていたとき、Dさんは「大法に従って話すなら」と言いました。息子は笑って、「お母さん、私があなたを見ていると思っているのですか? 私は法輪を見ていますよ!  時計回りに9回、逆時計回りにも9回回っていますよ。あなたの『大法に従って話すなら』の一言が、多くの法輪を引き寄せてきたようです」と言いました。

 何かに遭遇したとき、大法を思い出すことができれば、正念が生まれるでしょう。

 師父はこのようにおっしゃっています。「大法弟子は時間があるとき法を勉強すれば良いのです。あなたが修煉の人だからです。法を勉強しないで何をするのですか? 残った時間はたくさんの人を救うことができればそれが一番です!」[5]

 ともに師父のお言葉に耳を傾けて多く学法し、法の暗記を多く行い、正念を強めていきましょう。なぜなら、正念は法に由来しているからです。そのようにして初めて、人間の考えや思想業力、外部による妨害の私たちに対する働きが弱まり、終いには跡形もなく消えていくのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/5/422933.html)
 
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