文/海外の大法弟子
【明慧日本2021年8月23日】普段、明慧ネットに掲載されている同修の修煉体験を拝読していると、常に心に触れるところが多く、修煉の向上にも繋がっています。今日は、最近私が法の暗記を通して、心性を向上させた経験を師父に報告し、同修たちと交流したいと思います。
私のいる修煉環境は、法を暗記するグループが設けられており、毎週法の暗記が行われています。 主人(同修)と私は同じ時期に法を得ました。主人は現在、大法のメディアの新聞配達を担当していて、夜中の12時20分に出発し、午前3時30分頃まで新聞を配達しています。この仕事のおかげで、寝坊する習慣を断ち切ることができ、その後の時間は、法を覚える時間に充てることにしました。そして、私たちは今年の2月の旧正月が終わってから、法の暗記を始めることにしました。
法を覚えるための工夫や方法、一度に何文を読んで覚えられるかということから、暗記して間違った言葉の訂正の仕方や口調の表現方法など、法を覚える過程においては、みな心を修めることになるのです。 主人が運転している間は、私は助手席で法を読む係りになって、二人で誤字・脱字がないかを確認し合いながら法を唱えるのです。 始めの頃は、主人が同じ文章を何度も間違って唱えるので、私は少し焦って、声のトーンも上がってしまいました。そして「なんでこんなにも覚えられないの?」という考えが頭を過りました。 しかし、私は直ぐに、主人は私の口述を聞いているだけで、実は私が法を目で追いながら暗唱していることに気づきました。 口調も優しく穏やかにしなければならないと気付き、その後からの法の暗記はスムーズに進みました。
しかし、誰もが和気藹々では改善できないように、私たちにも試練がやってきました。 ある時、なぜか主人はすぐに暗唱できたのに対し、私は最後の2文を暗唱した後に最初の2文を忘れてしまい、1段落の法を1時間以上かけても、暗唱できないことがありました。そのため私は、 時間を無駄にしないために、主人に「私を待たずに次へ進めていくように」と提案し、私は「別の時間帯を見つけて引き続き暗記するから」と伝えました。 すると主人は不機嫌になってしまい、「もう暗記をやめよう」と言いました。自分は法を暗記できていないのに、主人には「法を暗記するように指図している」と誤解されてしまいました。
表面的には、自分は相手のために、「時間を無駄にしたくない」と相手のことを思いやっているように見えましたが、内に向けて探してみると、実際、法を暗記したいのは修煉のためではなく、強い情があったためでした。 法を得る前は、主人は健康上の問題を多く抱えていましたが、私は主人と煉功を共に行い、夫婦が共通の信仰を持つことは素晴らしいことだと思いました。そして私は、「主人が法を暗記して心性の向上に繋がると、私にもっと良く接してもらえる」と思っていたのです。それは、どれほど利己的な心でしょうか。この人心を直ちに修め、取り除かなければならないと認識しました。
この時点で、「私はなぜ急に、法を唱えられなくなったのか」についても内に向かって探し始めました。私は、「 自分は修煉がうまくいっており、普段から法も写している、だから法を唱えなくても大丈夫だ」と思っていたのです。「独りよがり」の執着心があったことがわかりました。 これに忍耐力の欠如が加わって、ちょっとの妨げでもあると、すぐに諦めたくなるのです。それが実生活に反映されると、「こうすべきだ、ああすべきだ」という「人心」があることだと分かりました。
師父は、「喜んで何かをするのも、嫌でしたくないのも、ある人について好印象をもち、悪印象をもつのも、何かをやりたいと思い、やりたくないと思うのも、すべてが情によるもので、常人とは情のために生きているものです」[1]とおっしゃいました。
それからは、自分を規正することに努め、常人の考えを取り除くことにしました。そして修煉者が法を暗記するには、「常に法を頭の中に置いて、自分の考えを行動の導きとしなければならない」ということも、すぐに理解できました。私は、 観念を変えて法を覚え続けることで、今まで暗記した法を、思い出したり忘れたりする現象がなくなりました。
この試煉の後、すぐに別の試煉がやってきました。 その時、師父がおっしゃった「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは、常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[2]という言葉を思い出しました。 今回は、法の基準に沿って自分を修め、この関を乗り越えてみようと心の中で決めました。
しかし、事態はいつものようには進まなくなりました。私の心の中は、明らかに恨みはなく、主人を責めることもなかったのですが、なぜか数日間もトラブルから抜け出せず、会話する勇気がないという状況に陥ってしまいました。なぜならば、何を言っても相手が間違っているのだから、あえて発言しないほうが良いと思ったのです。
穏やかな数日を過ごしたように見えても、その後も変わりませんでした。私は自分が何を向上すべきか、分からなくなっていました。 実は、この長い間解決できなかった行き詰った問題は、私の魔性を取り除き、業力を転化させていたのです。 夫婦になれるのは業力による因縁関係です。 私が主人に借りがあるのか、それとも主人が私に借りがあるのか、これが業力の顕れだと理解しました。今日、法を得て修煉できた私は、もう来世がないのです。すべてを返さなければならず、現世で修煉を終え、円満成就することではないでしょうか? この瞬間、私に最も誠実な善意が生じました。私は、心の中で師父にこう話しました。「主人が私に借りているものは、私は欲しくありません。私が主人に借りているものは、法の中で解決できるのであれば、私は最善を尽くします」、 この言葉を3回繰り返すと、突然、心に圧し掛かかっていた重い物質が消えていきました。
私たち夫婦は、同修の運営してる工場に人手が足りない間、往復2時間かけて朝8時から午後3時まで手伝うため、その工場に行きました。 家に帰ってくると、すぐにネットを通じて大法の真相を伝えるチームに加わり、世人に真相を伝える大法の項目に参加するのです。法の勉強や家事をこなさなければならないので、煉功が疎かになりがちなため、 私はいつも昼食後の30分を利用して、動功の第二式を煉ることにしました。
ある日の昼、動功の第三、第四式の功法を煉りましたが、 第三式の功法の最初の2回は集中できていましたが、3回目の時に気が散ってしまい、最後の動きの時に煉功の音楽が止まったのです。
私はびっくりしました。あれこれと妄想がたくましく現れて、煉功に集中していなかったのです。師父が私に気付かせようとされたのでしょう。直ぐに心の中で師父に、「師父、ごめんなさい! 今後煉功するときは必ず専念します」と謝りました。その時、私は「あなたが無意味なことを考えているならば、どうしてあなたに功を与えることができるでしょうか? 」という一念が浮かびました。心の中で、これは師父の慈悲深い啓発だったとはっきりわかりました。
続いて、第四式の功法に入ると、音楽が始まった瞬間、私はエネルギーの塊に包まれました。 2回目の時には、足から始まって上に向かって螺旋状のエネルギーが旋回しているのをはっきりと感じることができ、頭のてっぺんに到達した時には、そのエネルギーはまっすぐ上に向かっていきました。 師父は、弟子の功を伸ばしてくださり、私に修煉の厳粛さを気づかせてくださったのです。師父に感謝いたします。
その晩、私は法を学びながら、『転法輪』のすべての文字の背後には蓮の花があり、それはとても特別で不思議で素晴らしいものだと感じました。 私は師父の啓発と励ましに感謝し、自分は限られた時間を有効に使い、すべての執着心を取り除き、必ず師父について家に帰るように努力すると決めました。
以上は個人的な修煉体験ですので、法に則ってないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『転法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」