【明慧日本2021年8月31日】(明慧記者・紀珍妍)(前文に続く)
思い出に残る中国への旅
香港での2日間のイベントよりもさらに印象的だったのは、2000年初頭の中国本土への旅だった。
偶然にも、北京に着いた夜、彼らは18歳の少女と出会った。少女の家族は全員が大法を修煉しており、両親は法輪大法の真実を政府に伝えたために逮捕されていた。
翌日、少女に連れられて彼らは天安門広場に行った。そこは緊張感溢れる厳かな雰囲気に包まれていて、広場のいたるところに警官がいた。
サイモンさん(右)、ニックさん(左)とケイティさんが北京で撮った写真 |
食事中に、彼らは少女が知っているもう1人の学習者に遇った。彼はサイモンさんたちとの出会いを喜び、師父に会ったことがあるかどうかと尋ねた。彼らが会ったことがあると答えると、男性は感動の涙を浮かべた。
サイモンさんはオーストラリアから来た中国人学習者から連絡を受けて、20人の地元の学習者と一緒に交流しないかと聞かれた。もし交流中に警官に捕まったら、その学習者たちに危険が及ぶのではないかと考えたサイモンさんたちは断った。なぜなら、彼らは「集まった」だけでなく、外国人とも接触したからだ。その後、20人の学習者が交流中に警官に逮捕されたと、彼らは知った。
学習者が常に逮捕の危険に晒されていることを知ったサイモンさん3人は、中共のどの部署に請願書を提出すべきか迷った。そこでサイモンさんは、以前香港で知り合った北京で教えているヨーロッパ人の先生のことを思い出し、すぐにその先生に連絡し、会う約束をした。この先生は『轉法輪』を読んだことがあり、学習者の窮状に非常に共感し、彼らを助けることを受け入れた。彼の妻は北京に拠点を置くスペイン語のメディアで働いており、見聞が広いため、彼は電話で妻と相談した。盗聴を防ぐために、夫妻は5カ国語でコミュニケーションを取った。
最終的に、夫妻はニックさんたちに新華社に請願書を出すことを提案した。同時に、先生の奥さんの協力の下で、彼らは北京にあるすべての外国メディアと連絡を取り、請願書の全文をファックスで送信し、翌日、つまり2000年1月9日午前10時に新華社に行って請願書を出すことも伝えた。
しかし、試練と魔難は予想よりも早くやってきた。
北京に着いて間もなく、彼らはオーストラリアに留学したことがあるホテルのオーナーと出会い、中国での最後の夜となる請願書提出の前夜、このホテルに泊まった。オーナーは割引を約束してくれ、夕食にも誘ってくれた。
オーナーがとても明るい人のようで、信頼感が伝わってきたため、彼らは旅の計画を彼に明かした。思いもよらず、オーナーの態度が急変した。「彼は荒っぽく無礼な態度を取り始め、中国の事情を知りもしない癖に、中国の政治に口出しするなと言われました。しかし、その直前まで、彼は中国の政治システムが好きではなく、政府のいくつかの政策には賛成できないと言っていました」とケイティさんは振り返った。「また、請願書を提出しないようにと言われました。出せば、彼は私たちと付き合った関係で数百万元のビジネスを失うかもしれないとも言われました」
明らかにこのオーナーは非常に中共を恐れていて、その時、「警察に通報するしかない」と言い、部屋に戻って荷物をまとめ、翌朝、警官と一緒に出発する準備をするように指示した。しかし、夜中にそのオーナーは突然部屋に来て、「すぐに出て行って」と言った。オーナーは不満を口にしながら彼らを他のホテルに行かせると言い、何かに巻き込まれるのが嫌で、サイモンさんたちを支持することもしたくないと言った。
ケイティさんは、オーナーがタクシー運転手に「別のホテルに連れて行ってくれ」とのメモを書いたのを覚えている。
スリリングな一夜を経て、中国の旅の最終日の午前、サイモンさん3人はようやく新華社に到着した。このニュースを知った欧米メディアの記者たちは、事前に現地で彼らを待っていた。
ケイティさんはこう振り返った。「私たちが法輪大法を口にして、請願書を当直に渡した途端、当直は荒々しく電話機を叩きながら人を呼び始めました。間もなく、いろんな人が質問しに来て、最後は警官たちがやってきました。彼らは私たちのパスポートとチケットを取り上げました。担当の警官は流暢な英語を話し、私たちに中国で誰と会ったのか、その人たちがどこに住んでいるのか、彼らと何をしたのかなどを尋ねました」
3人が出てくる様子がないので、現場にいた欧米メディアの記者たちはすぐに情報を発信した。サイモン兄弟の父親は新聞で彼らが北京に行ったニュースを知った。
オーストラリアの主要メディアは、北京でのサイモンさんたちの請願のニュースを相次いで取り上げた。写真は、ケイティさん(右)が請願書を提出した瞬間の日刊新聞である『ジ・エイジ』に掲載されたAAPの写真 |
5時間も拘束されていたにもかかわらず、彼らは恐怖を感じたことがなく、絶えず警官たちに「法輪大法は素晴らしいもので、世界中で人気があり自由だ」と伝え続けていた。
その後、彼らはパトカーに乗せられて新華社本社を後にした。警官は、「飛行機の出発時間が迫っているので、空港の事務所で引き続き事情聴取を受けてください」と言った。
空港では、警官が中国語で調書を作り、サインを求めたが、彼らは中国語が分からないので拒否した。サイモンさんたち3人の思いは一つだけであった。たとえ家に帰れなくてもサインはしない。彼らが法輪功の陳情のために中国に来た最初の外国人であり、警官がまだどう扱うべきか分からなかったためなのか、あるいは、彼らが絶えず真実を語ることで警官の良心が目覚めたのか、3人は暴力的な扱いは受けなかった。最後に、警官からパスポートを返還された3人は、時間通りに飛行機に乗ることができた。
メルボルンに戻ったサイモンさんたちは、自分たちの話がメルボルンの『ジ・エイジ』紙に掲載されたことを知り、その後、他の多くの主要メディアからもインタビューを受けた。サイモンさんの家族は一時は心配していたが、事情を知ってから兄弟を誇りに思った。
2人の兄弟とケイティさんは、オーストラリア政府もこうしたことを理解すべきだと考えた。それ以来、彼らは他の学習者とともに、法輪大法の素晴らしさと中国での法輪功への迫害について、オーストラリアの国会議員に真実を伝え続けた。また、彼らはさまざまな方法でオーストラリアの一般市民やメディアにも法輪大法の真実を伝えている。
オーストラリア・メルボルン出身でニューヨークに定住している双子の兄弟、サイモンさん(左)とニックさん(右)は、2018年5月にニューヨークで行われた法輪大法のパレードに参加した。 |
こうして、サイモンさんとニック・ケイティ夫妻は22年の間、迫害と戦いながら真実を伝え続けてきた。
(完)