【明慧日本2021年8月31日】私は離婚後、両親と暮らしており、小さい頃から親しみを感じていた実家が、ここは自分の家ではないと感じることがときおりあります。
母はこの数年来、買い物が好きで、買ったものをタンスや冷蔵庫に詰め込み、冷蔵庫は常に満杯状態にしています。中の物はいつも食べきれず、捨てることになるのですが、母は捨てられず、放置したまま私に捨てさせます。私は食品の浪費は業を作ることになると思い、捨てたくないのです。野菜が多いため、おかずを作る時は、まだなんとかたべられるものから先に使い、毎日野菜を買うので7日、8日以上放置しなければならず、毎日鮮度の悪い野菜を食べています。母に「食べ終わるまで買わずに、少な目に買った方がいいよ」と言いました。しかし母は「孫のように説教しないでくれ」と言うのです。私はもうこの話題は話せないし、話すと母はもっと買ってしまいます。2年前、母は今の冷蔵庫が小さいと言って、更に大きいのを買って来ました。私は両親と3人で暮らしており、食品用の冷蔵庫が2つもあり、沢山の食品が入っています。本当にどうしたらいいのか分からなくて、話もできず大変困っていました。
修煉者は内に向けて探さなければいけないので、これは私の執着心に向けられるべきだと思ったのですが、食べ物を大切にしているのは悪くないはずです。母にどのように接したらいいのでしょうか。ある同修から「私は両親に対して慈悲心がない」と言われました。自分を確認すると、親に対する情が重く、普段から両親のために、果物を沢山買い込んでおり、私もこれからは少な目にしないといけません。しかしどうしても慈悲心が出て来なくて、いつも母の問題を目の当たりにして、自分はどうしようもなく、悩んで困っていました。
ある日私は突然、もし彼らが私の両親ではなく、助けてくれたお年寄りと一緒に暮らしていたら、どう対処するだろうか。私の慈悲心、善心が湧いて来て、きっとお年寄りに優しくします。両親は私を受け入れて、生活費を払わず、毎日ごちそうを用意してくれて、私は感謝しきれないはずです。なぜ彼らのやり方を気にするのでしょうか。なぜ私は彼らがうまくできないことを黙ってできないのでしょうか。両親のために、文句を言わずに率先して冷蔵庫を整理し、時間を見つけて溜まっている食品を使い、料理を作ればいいのです。今までは不満な気持ちで母に話していたので、母は受け入れてくれません。それに母に直してほしいと言うのは、内に向けて探して修めているのではなく、外に向けていました。これではいいはずがありません。
このように考えると、私の怒り、恨み、悔しさ等は全部消えました。よく考えてみると、彼らは私の両親であるので、50年間私のために尽くしてくれました。私は子供の立場で、彼らに文句ばかりを言い出し、修煉者や大法の標準に従って自分を律していなかったのです。本当の善良は、両親、兄弟及び全ての人に慈悲心を持って接していなければなりません。情を放下しないで、自分の親が当然であると思うと、現代人の狭く、更に変異した観念にとわれてしまいます。