【慶祝513】「あなたのことを教えてくださってありがとうございます!」回想録執筆前と執筆後
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年9月3日】

 (一)

 私の大学時代の同級生が、2019年末、同級生たちに回想録を書いてもらい自分の「学友ネット」の中で発行し、それを本にまとめるという取り組みを始めました。ある同級生が電話でこのことを教えてくれ、私を誘ってくれました。

 同級生たちの提案に対して、私は「卒業後は、みんな別々の道を歩み、ほとんど連絡を取ってない」ことを理解しました。現在(訳注:2021年5月)高齢になった今、健在な人はほとんどいませんでした。回想録という方法でみんながお互いにわかり合うということは、もちろん良いことでした。しかしこれは常人のことだと私は思ったので、返事はしませんでした。

 2020年初頭、各地から多くの同級生が電話をかけてきて、私が執筆に参加することを心から望んでいました。特に本の編集長に選ばれた山東省の同級生の甲さんは、まっすぐな性格で、豪爽な大学教授であり、お互いに連絡を取り合うことが多かったので、電話で私が書かなければならないということを率直に言い、さらに「最低でも5万字で8月末までに提出してください」と言いました。私は再度断る勇気がなかったので、しぶしぶ承諾しました。

 同級生たちが私に書いてほしいと思った重要な理由の一つは「あなたは私たちのクラスの中で、人生経験が最も印象に残る1人だからです」ということでした。もちろん、私の経験が特別だとみんなが思う意味はよくわかり、私は大学卒業後に学校に残って教職に就き、努力して最終的に教授に昇進し、母校の校長になったからでした。さらに重要なことは、退職する前に法輪大法を修煉したことでした。修煉を放棄しなかったために、私は連行され不当に懲役刑を言い渡されました。私の選択に対して、多くの同級生は理解していませんでした。ですから、常人から見てすでに功成って名を遂げ、輝かしい人生を送っていた私が、なぜ刑務所に入ってまでも信仰を貫かなければならなかったかの理由をみんな「回想録」の中から知りたがっていたのかもしれません。

 私は「あなたの存在は衆生を救い済度する作用をしています」 [1]という師父の教えを思い出しました。

 私は「もし同級生たちが私の回想録から『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』ということを認識することができるのであれば、同級生たちは法輪大法の恵みによって救われるのではないだろうか? それなら、私が回想録を書くことも法を実証し、衆生を救うことになるのではないだろうか?」と悟りました。そこで、三つのことをしっかり行うと同時に、修煉者の意識と回想を以って、自分が体験したことをありのままに書こうと私は自分を奮い立たせました。

 私は大学に入ったところから書き始め、自分の学生時代の生活を書き、自分が母校のために学生の責任を果たしたという話を書き、いつも心の中に覚えている友人たちのことを書き、特に法輪大法が中傷され、迫害された後、私を保護し、私が信念を堅守するよう励ましてくれた友人たちについて書きました。

 この部分を書き終わった後、私は3分の1の長さで最も重要な章である「人生を感じ取ること」を書きました。多くの見聞を以って自分が悟った人生理念と人生の意義について説明し、私がなぜ修煉の道を歩んだのかについて答え、さらに志を変えないことを誓った問題について答えました。最後に、『西遊記』の第64話「木仙庵での三蔵法師の詩」の中の唐僧の一節「人身は得難く、中士に生まれ難く、正法に巡り合い難い。この三者を全て得られるなら、これより大なる幸運なし」を引用しました。

 私は同級生たちに「私はようやく正法に巡り合い、法輪大法の修煉者になりました。修煉は私の病気を治してくれただけでなく、真・善・忍が物事の良し悪し、善悪を測る唯一の基準であることも教えてくれました。この20年間、多くの魔難に苦しめられ、常人の多くのものを失いましたが、私は後悔しておらず、なぜなら私は自分が大法の修煉を始めたとても幸運な人間だと知っているからです!」と伝えました。

 私は以前から日記をつける習慣がなかったので、記憶を頼りに、少し思い出しては1段ずつ書いていきました。8月の初めになり、私はようやく書き終えることができました。この時間の執筆作業を考えてみると、自分の隠れた人心(恨む心、嫉妬心、歓喜心、顕示心など)を暴露し執着を修めて取り除く過程であっただけでなく、それは師父の恩を思い出す過程でもあったのだということを体験しました。

 私の何十年もの事業の波風と生活上の波風、人生に対する苦しい模索の中での信仰に対する忠誠の堅守は、もし師父の慈悲深いご加護がなければ、法輪大法の指導がなければ、私は今日(訳注:2021年5月)まで歩んでくることはできませんでした。ですから、私は「回想録」の最後に「さまざまな出来事を振り返ってみると、だんだんと心が落ち着いてきて、心の中には『感謝』の2文字だけが残っています!」と書きました。

 (二)

 原稿ができあがると、学校の「学報」の編集長を務めていた退職した教授に原稿を見てもらい、文字や句読点の間違いを直してもらいました。3日後、その教授は校正済みの原稿を送ってきて、原稿の1ページ目に「心がこもり生き生きとして感動的でした。思い浮かべると熱い涙が目にあふれます」とメッセージが残されていました。私は笑いながら「私を褒めているのですか?」と言いました。その教授は「褒め言葉ではありません。原稿を読みながら涙が出てきて『今の時代にこんないい人たちがどこにいるだろうか?』と思いました」とまじめに答えました。その教授の言葉が嘘ではないと私は信じ、なぜならその教授は原稿の中の話をすべてかつて聞いたことがあったからでした。後日、その教授の兄が「あなたの原稿は純粋で真摯な心で書かれています!」としみじみと私に伝えてくれました。

 8月中に、山東省の某大学の同級生の甲さんに原稿を送り、原稿を読んでもらいました。数日後、甲さんは「同級生の○○さん、あなたの文章を読んで、驚きと感動の連続で、涙で濡れ、鼻がじんとしてきました。人生は山あり谷ありで、あえて向き合い、大きな災難に遭ったにもかかわらず、親しい者同士で助け合いました。真・善・忍の力は無限大です。学校側も保護し除名にしなかったことを後で知りました。人の危急(ききゅう:危険な事態が目前に迫っていること)につけこんで打撃を加えるのは簡単なことですが、善良さがあなたを救いました。改めて、喜びお祝いします!」とショートメッセージを送ってきました。

 甲さんの感想は、私にとって予想外でした。長年にわたって、甲さんは中国共産党(以下、中共)による迫害の中で私の安否を気遣ってくれました。甲さんは文章の中で、善良な人たちがたくさんおり省の教育委員会や紀律工作委員会のリーダーを含め母校の多くのリーダーと友人たちや校友たちなどみんながリスクを冒しながらプレッシャーをものともせず迷わず私を助けてくれ私を励ましてくれた、ということを知りました。甲さんは、私の信念に対する強さと多くの善良な人々の助けを実現したのは人間の力ではなく法輪大法の力であった、ということを確信しました。なので、甲さんは何のためらいもなくショートメッセージの中で「真・善・忍の力は無限大です」という言葉や文章が力強くどんな者でも目覚めさせる心からの声を送ったのでした。

 後日、修正した原稿を私が送った後、同級生の甲さんはショートメッセージの中で「修正された原稿を受け取ったとき、私は再び一日中感動しました」と感想を書いてきました。

 1カ月以上の苦労の末、同級生の甲さんは7人の学生の回想録を編集し、印刷しました。11月末、甲さんは製本したものを各地の同級生に送る一方で、私の文章を単独で何枚も別刷りにして私に郵送し、私が自分の子供や友人たちにも読ませるべきだ、ということを呼びかけました。

 ある日、同じ市内に住む同級生の乙さんと会いました。乙さんは「私は同級生の皆さんの回想録を熟読しました」と言いました。いくつかコメントした後、乙さんは「あなたはどうしてそんなに幸運で、出会った人がみなあなたを助けてくれるのか、私には理解できません。そして私が今までに出会った人たちは、なぜ私を踏み台にしたのでしょうか?!」と突然尋ねました。私は驚いて乙さんを見て「みんなそんな人ばかりでしょうか? 誰もみな人生の中で自分を傷つける人に出会います。修煉後、私は『修煉者には敵はおらず』 [2]の道理を理解しました。ですから、私は自分を傷つけた人をすべて忘れ、思い出したのはみな私を助けてくれた人だけでした」と笑って言いました。

 乙さんは首を振って「私にはできません!」と言いました。私は笑顔で「私の心の中にあるのは友人であり、感謝の気持ちだけですから、私は安心して喜びを持って生きることができるのです。一方あなたは、あなたを傷つけた人がたくさんいるので、心の中は不公平感や怒りでいっぱいになっており、あなたは生きるのに疲れていて、大変な人生を送っています」と言いました。乙さんは熱心に聞いていました。そして私は「奥様からは、あなたがだんだんと頑固になり、イライラして、偏屈になってきたと聞いています。実は、これはあなたの長年の心の状態の結果なのです!」と言いました。乙さんは笑顔でうなずきました。

 12月末、突然私に上品な年配女性から電話がかかってきました。その年配女性は退職した幹部で、その女性の夫(すでに亡くなった)はかつて学校のリーダーをしていました。その年配女性は電話で「私はあなたの本についてコメントをしたいと思いますので、ペンと紙を取り出してメモしてください」と言いました。私は、その年配女性も私がその年配女性の娘にプレゼントした「回想録」を読んだのだ、と気づきました。その年配女性の真剣な口調に耳を傾け、私は急いで紙とペンを用意し、その年配女性の意見を聞きました。

 その年配女性は「第一に、あなたは善良で・・・、第二に、あなたは誠実で・・・」と言いました。私は「その年配女性は意見を言っているのではなく、褒めており、しかも自分が書いた原稿を読んでいる」ということに急に気づきました。私は書くのをやめて、その年配女性が読むのを静かに聞き、何度も何度も「ありがとうございます!」と言いました。その年配女性は最後に「あなたは李先生(法輪大法の師父)の良い生徒であり、すばらしい弟子です!」と言いました。数分後、私は感動して泣いてしまい、90歳近い、あまり教育を受けていない年配者が、これほど長くて心のこもった電話の原稿を書くのはどれほど大変なことだったでしょうか!

 旧正月の3日目、私は校門で当番をしていた地域の主任に会いました。地域の主任は私を横に呼び、興奮気味に「あなたの『回想録』はとても真に迫っていて感動的でした! 私はあなたの物語を私の愛する人たち、私の弟や私の子供たちに話し、あなたの本を読むように勧めています。1989年の天安門事件の時、事件が起こる前に天安門広場に行った50数人の学生を人を派遣してどうやって迎えに行かせたのかを私は話しました。道理を根拠としていかに公安局長に抗議し、学生を守ったのかについてです」と言いました。私は「それはリーダーが行うべき責任でした」と言いました。

 地域の主任は「あなたが「文明的学校建設の総指揮」であったとき、他の学校のように学校環境の美化に力を入れるのではなく、道徳的な発展と「礼節の心得」の策定に力を入れていたことを私に話しました。その結果何の変哲もない学校が、省内でトップランクの省級文明キャンパスに選ばれたのですよね」と続けて言いました。私は口を挟んで「その時私はすでに法輪功を修煉しており、私は真・善・忍の原則に基づいてキャンパスの文明的建設を指導していたので、思いがけない奇跡が起きたのです!」と言いました。地域の主任は何度も「はい」と言いました。

 最後に地域の主任は「あなたは法輪功を修煉しているためにトラブルに巻き込まれていますが、多くの人があなたを助けてくれました。私は某教授を本当に敬服しており、省委員会が学校に工作組(訳注:問題がある職場に派遣され短期間に整頓・監督・指導工作にあたる小グループ)を送ってあなたの資料を集めた時、某教授はあえて調査の場で真っ先に発言し、あなたが学校で一番優秀な人だね、ということを言ったからです。その結果調査会は開催されず、工作組は撤退を余儀なくされました」と言いました。

 みんなの反応が良いのを見て、私は「回想録」を公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に渡しました。その数日後、国保の警官から「○○校長先生、あなたの文章を私はじっくりと読ませていただきました。あなたの人となりが誠実であり、よく学び、真面目であり、善良であり、正義感があり、公平であり、素朴であり、そしてあなたの感謝の気持ちに敬意を表します。これからも書き続けていただきたいと思います。あなたのことを教えていただきありがとうございます、あなたは良い人です、いつまでも平和で幸せで、健康でいてください」という思いがけないショートメッセージが届きました。私は、その国保の警官の話は本心からである、ということを理解しました。その国保の警官が「敬意」を表したのは、私だけでなく、さらに法輪大法に対する敬意でもありました。その国保の警官は大法弟子たちを大切にし、自分のためにすばらしい未来を選択すると私は信じました。私はその国保の警官のために喜びました。

 旧正月の5日目、湖北省のある街に住む古い同級生の丙さんが電話をかけてきて、同級生が書いた文章に対する意見を話しました。丙さんは常人の間での称賛や栄誉を多く得ており、同級生たちもよく丙さんの自慢話をしていました。丙さんは「あなたの文章を何度も読みましたが、本当に感動しました」と言いました。その後、いろいろな感想を言いました。最後に丙さんは「今では、あなたは私たちのクラスで一番頭のいい人になったようですね!」と言いました。私は急いで「いいえ、私たちのクラスはみなとても賢いです! 私はあなたのことを言っているのです、私たちのクラスで唯一、政府の補助金を受けました・・・」と言いました。私が言い終わらないうちに、乙さんは急いで「それが何でしょうか? そんなものはまたたく間に消え去ってしまい、平平凡凡でなすところがありません!」と言いました。私はすぐに乙さんの言う「聡明」の本当の意味を理解し、それは私が人生の本当の意味を悟り真理を見つけたことを指していました。

 私はただ修煉者としての平常心と心の底から発した善念で、自分の真実の話を仲間に伝え、さらに意図的に何かの考えを人に植え付けようとするつもりもなく、ましてや人に褒めてもらおうとするつもりもありませんでした。しかし『回想録』が出された後、得られた反響の大きさに私は何度も感動しました。

 このことから私は改めて師父の説かれた「求めずとも自ずから得る」 [3]という法理の深い内涵を実感しました。私は修煉者の心態で過去を振り返り、歴史を語り、自分の心をさらけ出すと、法輪大法が私に与えてくださった世界観、人生観と価値観が自然と見えてきて、人を救うことに思わぬ効果を発揮しました。また今後三つのことをしっかりと行い、修煉の道の最終段階を私が歩んでいくために、大きな自信と知恵を得ることができました。

 師父に感謝申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「世間に向かって輪を回す」
 [3] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/17/425770.html)
 
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