法輪功オンラインレッスンを主催した修煉体験
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文/カナダ人の大法弟子

 【明慧日本2021年9月6日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は大学生だった約7年前に大法に出会い、修煉を始めました。今日は、法輪功のオンラインレッスンを主催した私の修煉体験について交流させていただきます。

 2020年の秋、私は法輪大法の新しいプロジェクトへの参加を要請されました。それは、ロックダウンで家に閉じ込められた人々のために法輪功のオンラインレッスンの開設でした。私は、その主催者の一人として参加することになったのです。

 オンライン授業では毎回、1人の主催者と1人のアシスタントがいます。私たちのチームは一丸となって、参加者に法輪功を体験する機会を提供するために最善を尽くしています。参加者は、北米全土からだけでなく世界各地から集まっています。1時間半のオンラインコースには、大法の紹介、師父の煉功動作ビデオの放映、そして最後にQ&Aが含まれています。各参加者が体験を共有し、熱心に質問をすることがとても励みになりました。彼らがもっと大法に関心を持ち、師父と大法が与えてくださった慈悲を感じるように、私はいつも心を込めて、できるだけ分かりやすく回答します。これは彼らが大法の素晴らしさを体験する機会であり、私もQ&Aから大きな喜びを得ました。

 ある時、準備中に私はカメラとマイクの電源を切っていないことに気づかず、セリフを練習していました。それがそのまま流れてしまい、数人の参加者ががっかりしてレッスンの参加をやめてしまいました。アシスタントの同修に指摘され、私は自分の怠慢で、このような結果となったことを重く受け止めました。その後、技術的な誤りは別として、法輪功の紹介はうまくいったと満足していました。しかし、アシスタントは改善が必要なところを分析し、内容が十分とは言えず、専門家らしくないと指摘してくれました。私はこうした問題について恥ずかしく思い、真剣に受け止め、そして心を入れ替える必要があると思いました。この役割をよりよく私が果たすことを望み、私を信じている同修の気持ちもよく伝わってきました。私は、とても感謝しています。

 アシスタントの同修は私に、他の同修のオンラインレッスンに参加して、それを参考して授業を改善するよう提案しました。提案通りに参加した私は、そこで主催者の正念の満ちたオーラと優れた内容に感動し、低いレベルに満足していた自分を恥ずかしく思いました。

 今までの授業は他人が制作したものを使っていましたが、これからは自分で制作し準備しなければならないと決意しました。私は全身全霊で心を込めて授業内容を制作しました。するとより親切で、分かりやすく、力強く大法を伝えることができました。参加者もより積極的に質問し、大法に感動してくれるようになりました。師父は、常に私たちに一人一人自分の道を歩むように励ましてくださっていました。私は、他人の授業をそのままコピーしてはいけないと思いました。

 時折、私は授業内容を見直して更新し、修正します。私の変化につれて授業も変化していきます。これからも真剣に取り組んでいきたいと思います。師父は衆生を私たちに任せてくださいました。私の理解では、私と接する人はみな私と縁があり、私の努力が本物でないと、彼らの心も動かされず、大法の知恵も表れません。私のところへ大法の真相を聞きに来た人も、私が他人の授業をコピーしていれば、その縁が切れてしまうかもしれません。

 私は義父、妻、そしてスタッフの一人に、私たちのオンラインレッスンに参加するように勧めました。妻は大法を支持していますが、煉功したことも習ったこともありません。義父は昨年、中国共産党の腐敗を知り、徐々に大法が良い修煉方法だと分かっていました。私のスタッフは私のことを尊敬し、私の修煉についてもっと知りたいと言いました。3人はたまたま同じレッスンに登録しました。私はプレッシャーを感じ、いつもより早く事務所に行って準備したほか、学法して自分の心を最高の状態に保ち、正念を強めました。このレッスンで、アシスタントの隣人も参加したので、私は大きな責任を感じました。レッスンが始まる前に、私は師父に彼らが救われるように心からお願いしました。レッスン終了後の質疑では、参加者は非常に積極的で、熱心でした。妻からは「この教室はとても素晴らしく、印象に残ります」というメッセージが届きました。私のスタッフは「大法を学んだことを嬉しく思います。夫にもぜひ勧めたい」と言いました。それから妻と義父は煉功し始め、義母も功法の実演を見学しました。師父と大法が義父母一家を浄化してくださり、家のエネルギー場が変わってきたと感じ、このような貴重な機会を与えてくださった師父にとても感謝しています。今回の経験を通して、私は、すべてのオンラインクラスをこのように真剣に取り組む必要があると思いました。参加者の一人一人と面識はなくても、師父は彼らを私たちに任せられたのであり、私たちには責任があります。毎回最善を尽くさなければなりません。

 私は授業の中で、いつも参加者とよくコミュニケーションを取るようにしています。大法を修煉することによって、かつての不安とうつの状態から乗り越えた体験などを語り、修煉を始めた頃の困難や、心配していたことも参加者に共有しました。「最初の考えや課題が何であれ、それらを突破することができれば、それは私たちの幸せにつながります。修煉は一つの過程でもあります。この過程で、私たちはますます良くなっていきます」と伝えました。私の考えでは、レッスンに来てくれた人はみな私と縁があり、久しぶりに再会した友人や家族のようでした。彼らは私のことを理解しており、大法が私にもたらした変化を感じていると思いました。

 私たちのチームで、一つの問題が目立つようになりました。それは、参加登録人数にこだわることです。特に自分の担当しているレッスンの参加者数を非常に重要視しているのです。これについて、グループで交流しました。私はいつも自分のレッスンの人数が一番多くなることを望んでいて、争う心が潜んでいたことに気づきました。その後、私は自分の考えを変え、人数に着目することから、いかに参加者によりよく伝えられるかということに集中しました。思ったより人数が少なくても、落ち込まないように気を付けると同時に、内に向けて探し、間違った態度や観念を正すようにしました。私たちが良い修煉状態を保ち、心の中に大法さえあれば、参加者は妨害されにくくなり、法を得る機縁を見逃すことも少なくなります。自分たちの修煉状態が一定の役割を果たしていると実感しました。

 私は煉功を学びに来たすべての人が、みな大法修煉者になると見ています。そうではない場合でも、それは師父だけがご存知です。私にとって、彼らはすでに修煉の準備ができており、大法を紹介するのに何の支障もありませんでした。私はもはや彼らに大法を修煉するように説得するのでなく、彼らの心を目覚めさせ、彼らが一生待っていたものに気づいてもらうのです。

 私が主催する回数が増えるにつれ、授業はますます自然になりました。授業ノートは今でも使っていますが、単に読むのではなく、親しい友人と直接会話しているような感じです。私が最初に大法に出会ったときと同じように、彼らにも大法との密接な繋がりを感じてもらたいのです。師父は、縁のある人々を私のレッスンに導いてくださったと信じています。これからも授業の質を高め、この役割をよりよく果たすように、自分自身をより良く修めたいと思います。

 このプロジェクトは、私がこれまで参加した中で最も専門的で、満足のいくプロジェクトです。私たちのチームは献身的で、素晴らしいチームです。誰もが真剣に取り組んでいて、意見が異なる場合は、一緒に話し合います。もちろん、現状に満足してはいけません。このプロジェクトを拡大し、より多くの言語で提供し、より多くの主催者とアシスタントを育て、より多くの国や地域に広める必要があります。師父はこの特別な時期に、私たちにこのような機会を与えてくださいました。多くの参加者は私たちのレッスンに感動したと感想を寄せてくれますので、本当に奮い立たされました。授業が終わっても、いつも離れようとせず、もっと多く知りたい、質問したいという参加者がいるため、20分以上延長しなければならないことがよくありました。一部の参加者の感想から、彼らの多くは本当に大法と縁が深いのだと分かります。自ら参加を申し込む人々に、このように深く大法を紹介できることは、とても貴重な機会です。

 病業

 私の職業はカイロプラクティックなので、その健康の原則を自分自身にも当てはめてしまうことがあります。毎日患者さんとこれについて話しているので、私自身が体調不良で病業に遭った時や、よく修めていない時は、自然にカイロプラクティックケアで考えることがあります。

 修煉する前、私はカイロプラクティックに情熱を注ぎ、それによって健康を改善し、地域の重要人物になろうとしてきました。修煉を始めた私はケアをやめなければならないと分かっていますが、以前、自分の健康がカイロプラクティックケアによって快復したこともあったので、それは私にとって大きな試練でした。

 私はカイロプラクティックケアをやめましたが、それに対する期待はまだ残っていました。私は老いに対する恐怖や、背骨に問題が出る心配がありました。実際、これは師父に対する信念がまだ浅く、大法に対する理解もまだ浅いということです。私は脊椎に問題があるため、時々迷いがありました。しかし、これは師父が私に病業を取り除き、向上の機会を与えてくださっていると分かり、とても感謝しています。師父のご按排に従わず、体の良くないものを表に出させるのではなく、治療などで抑えたり、引き延ばしたりするのなら、どうやって向上できますか? 修煉者として、遭遇したすべての事はみな良い事です。重要なのは、私たちの識別力、決意と純粋な心です。

 最近の病業についてお話したいと思います。最近、妻と私は家を購入し、私の事業も順調なので、子どもを産むことについて夫婦で話し合って、試み始めました。

 師父は私たちに社会に順応し、普通の人のように家庭を持つようにと語られました。一方で私は、大法弟子の行なうべき三つのことに精一杯と感じた時もあり、更なる圧力と責任に耐えられるのか少し心配していました。三つのことは私の使命であると分かっていますが、心の中で、自分の生活や世間のものへの欲求が膨張していると感じました。

 試してからしばらくすると、妻は高血圧の症状が現れ、大きなプレッシャーを抱えました。妻は修煉していませんが、これは師父からの暗示だと思いました。私も血尿が出始めました。すぐに、私は自分の状態が正しくないことに気づき、師父の要求に符合していないと思いました。妻と相談した結果、これらの現象は一つのヒントであり、明らかに子供を産む適切な時期ではないと判断し、しばらく見合わせると決めました。この事から、自分が常人の欲しがるものを望んでいて、修煉に緩みが出始めたことに気付きました。また、師父からの暗示を重視し、より深刻な問題が起きる前に自分の行為と考えを正すことはとても大事なことだと分かってきました。毎日たくさんの人と接する中で、トラブルに遇った時は内に向けて探さなければなりません。他の人は自分自身の鏡なので、私は真の修煉者の基準に達するためには、本当に自分自身を変えなければなりません。法は一切の執着を打破することができます。これから、私は家庭での関係、私が参加している大法のプロジェクト、私の修煉、そしてより多くの衆生を救うことのバランスをとることに力を入れたいと思います。

 もう一つ交流したいことがあります。最近、私は自分の性格の欠点に一つ、気づきました。否定的で、ネガティブになることが多いのです。それは、妻との関係に最も分かりやすく現れています。例えば、私は常に妻に文句を言っています。冗談めかして言うことが多いですが、マイナスの雰囲気を作ってしまいます。ユーモアの形で不満を隠そうとしても、害を減らすことはできません。修煉者として、私たちの目標は真・善・忍に同化することなので、これらの重い否定的なものを捨てなければなりません。それを真剣に受け止め、考え方を正し、常人の観念と情を乗り越えなければなりません。私は心の中のネガティブのものを取り除き、よりポジティブになるように努力しています。そんなネガティブな私は、本当の自分ではありませんが、長い間それを認めていました。私が考え方を正すと、それらは存在する理由もなくなります。このような不満と怨む心を取り除くことによって、慈悲心が生まれます。私たちは、他人の弱点ではなく、他人の長所を見る努力をしなければなりません。

 ご清聴ありがとうございました。不適切な点がありましたら、ご指摘をお願いします。

 (2021年カナダ法輪大法修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/26/430007.html)