注意を怠ると初歩的なミスを犯すことがある
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年9月19日】最近、よくある現象に気がつきました。修煉者の中には、日常生活の中で一見すると基本的で些細なことがうまくできない人がいます。これはどうしてなのでしょうか? この現象について、私なりの理解を述べたいと思います。みんなで注意して、一緒に突破していきましょう。

 ある修煉者の車にかけられた飾りものに目が留まりました。それは、手刺繍の飾りでした。それを見て、私の頭の中にある絵が浮かびました。この車の飾りものは、凛とした美しい女性から贈られたものだと、私は思い「これは女の子からのプレゼントだ!」と言ってしまいました。それを聞いた同修は驚いた後「私は彼女と不倫しているわけではないです」と説明しました。私は「彼女の手刺繍のプレゼントが一日中目の前に吊るされているのを見て、どうして感動していないと言えるのですか? 彼女のことを忘れられるのか? 彼女への色心がないと言えるのか? 欲望を膨らませたらどうなるのでしょうか。悪は私たちの抜け道をじっと見ています。なぜそんなに頭が混乱しているのですか?」と言いました。

 同修はすぐに目を覚まし、飾りを外しました。同修が内に向かって探してみると、欲望、体裁を気にする心、情への執着を見つけたのです。

 修煉者が異性に興味を持ったら、それは自分の抜け穴を示すものであり、注意しなければなりません。抜け道の先には試練が待っているかもしれないからです。

 あらゆる正念を働かせれば、試験に合格することもあるでしょう。しかし、多くの場合、私たちは適切に行動しないかもしれませんし、修煉に失敗するかもしれません。

 例えば、私たちは一生懸命、欲望や願望への執着を取り除こうとしたかもしれません。しかし、時には配偶者、特に修煉をしていない人が私たちに親密な話をすることがあります。もし私たちが注意を払わなければ、残念な行動をとってしまうかもしれません。

 私たちは常に注意を払い、どのように行動すべきかを知った上で、すべてのテストに立ち向かわなければなりません。修煉者に起こることは偶然ではありません。日々の生活の中には、自分がしっかりとした修煉をしているかどうかを試すものがたくさんあります。

 またある日、私は木の下で修煉者と話をしていたら、靴の周りをアリが這っていました。私はそれが気になったので、何十匹ものアリを踏んで殺してしまいました。同修は驚くべきことに「どうしてわざとアリを殺すのですか?」と言いました。私はそれに気づき「そうだ、これは殺生をしているのではないか?」と思いました。私は後悔して、アリに謝りました。私は「私はしっかり修煉して、将来、私が圓満成就したら、今日、殺してしまった借りを返すために、あなたたちを私の世界に連れていきます」と言いました。悔やんでも悔やんでも、体にはアリに刺されたような大きな赤いぶつぶつができて、痒くて痛くて仕方がありません。旧勢力が私の漏れを利用して迫害したのだと思いました。

 修煉者の中には、十分に認識していながら不正な行為をする人がいます。例えば、タダ飯がないことは誰でも知っている。しかし、それでもいわゆる高い収益率の誘惑に勝てず、金融投資のスキーム(計画・枠組み)に数万元、数十万元を投資してしまった同修がいました。これに騙され、旧勢力の罠にはまってしまった同修がどれほどいるでしょうか。

 高金利でお金を貸すことに手を出してはいけないとわかっていても、高収益の誘惑に勝てず、親戚や家族に頼んで運用してもらう修煉者もいます。最初は多少の見返りがあっても、少し後には全財産を失ってしまうことがほとんどだったそうです。

 三つのことをしっかりやっていた修煉者が、突然、激しい病気の艱難辛苦に見舞われ、死にかけました。私たちは、彼が言ってはいけないことを言ってしまったことを知りました。身体が悪くなると「死んだほうがましだ」という同修もいます、独身の修煉者の中には「生きていても意味がない」と孤独な生活を送っている人がいます。艱難辛苦を自ら招いているのではないか? 旧勢力は修煉者が死ぬのを待ってはいられないのです。このようなことを言うと、旧勢力の迫害を招くのではないでしょうか?

 ある修煉者は、隣人に助けを求められ、助けてあげたのに、食事会に誘われなかったので、恨みを感じていました。その修煉者の妻は、さらに火に油を注ぐように「どうして、あなたに助けを求めたのに、あなたを食事に誘わなかったの? そんな人のために、今後は何もしないでね」と言われました。修煉者は憤りを感じ、立ち直れませんでした。同修は彼に対して「どの視点からこれを見るべきか」と言いました。「私」という視点で見れば、あなたは自分の仕事に対して適切な見返りを得られなかったのです。しかし、この問題を「人を思う人」という別の視点から見ることができれば、そこから自分の心性を向上させることができます。

 以前、ある人が私からお金を借りたのですが、なかなか返してくれなくて悩んだことがあります。どうしたらお金を返してもらえるだろうかと考えました。坐禅しながら考えたこともあります。そのことを知った修煉者から「あなたはなぜ世間に来たのですか? この小さな利益のためだったのですか? あなたはまだこの小さなものにしがみついているのですか? こんな小さなものに執着していては、どうやって神になることができるのか?」と。お金への執着に気づいたとき、私はホッとしました。

  ある同修は以前、陰陽師だったようです、修煉後に辞めてしまいました。ある時、村の親戚が亡くなり、亡くなった人の子供がひざまずいて「自分を助けてください、亡くなった人を送ってください」とお願いしました。同修は彼のために陰陽師を見つけてくれましたが、その陰陽師は儀式の流れを全部同修に教えてもらいました。その後、ルールとして、その同修に謝金(しゃきん:報酬)を渡しました。 後日、問題の深刻さに気付いたその同修は「不二法門がいかに重要なのか。 こんな初歩的なミスをしてしまいました。 家の中で不穏な動きがあり、常に妨害された日があったので、師父に自分の間違いを告白しました」と言いました。

 ある修煉者は視界がぼやけて、眼鏡をかけても物がよく見えませんでした。理由を聞いてみると、間違っているとわかっていても、何度も動画を見てしまったとのこと。私は同修に「最後になればなるほど間違いが多く、常にこの次元でウロウロしているわけにはいきませんよね」と言いました。

 ある修行者は「ゼロ行動」で修煉を辞める放棄書に署名していないと言っていました。私がハラスメントに対する態度について尋ねると、彼はただ微笑んでいました。彼は自分の子供の後ろに隠れて、自分の代わりに署名してくれるように頼んでいたことがわかりました。これは善なのですか? 利己的ではないのですか? 放棄書に署名した人は、大法に対して罪を犯しています。旧勢力はこのような修煉者を解放するでしょうか?

 ある女性修煉者は、ワクチン注射を受けたくありませんでした。コミュニティが理由を尋ねると、彼女は「出産の準備をしています」と嘘をつきました。彼女は強制接種を免除されました。その時、彼女はとても喜んでいました。私は彼女に「本当のことを言っていないのだから、これは大きな抜け道だよ。これは大きな抜け道だ。自分で自分に迷惑をかけているのではないか?」と念を押しました。

 師父はこう説かれました。「いくら修煉が良くできても、やはり人間が修めているのであって、円満成就するまで、その体に人間のものがあり、人体の業力が存在し、どの次元にもそれがあるのです」 [1]

 師父の教えについて、現在の私の理解では、師父はとても慈悲深いのですが、弟子としては修煉で自分に厳しく、人間の次元でウロウロしているわけにはいきません。最後になればなるほど、私たちは精進しなければなりません。一刻も早く人間的な観念から抜け出すことが、師父の望みです。

 自分が気づいた現象について書いてみました、適当でない所があれば、慈悲なるご指摘をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/27/428738.html)
 
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