自我を放下してはじめて同修と共にしっかりと歩むことができる
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2021年9月21日】以前、ある法輪大法デーの前夜、周りの同修真相資料を配布しに行くつもりで、同修たちのところに相談に行きましたが、結局うまくいきませんでした。

 翌日、通勤途中で無意識のうちに前夜のことを思い出し、少し不安になり、このままこの事を未解決のまま棚上げにすることはできないと思いましたが、どのように引き続き先に進めるべきか分かりませんでした。このように考えていた時、突然頭の中で、まるで黒い雲に覆われた空に一筋の閃光が現れたように、「大法弟子が人を救いたいと思うのは、大法の啓示を受けているからなので、トラブルにあった時、大法を第一位に置き、ただ自分のしたい事だけを重視するのではなく、そうでなければ自分を大法の上に置くことになる」という意識が現れました。

 ここまで悟ると「探していた同修が全員その場にいるのを見て、とても嬉しく感じ、自分が来た目的と作業計画を述べた」ことと、同修の家に行った後の状況を思い出しました。この情景の表れを通して、自分がやりたいことだけを考えていることに気づき、みんなが集まった理由を軽視していました。

 ここまで思い付いて、同修達が一緒にいるのはおそらく集団で学法するつもりだったのだとわかりました。そこで、夜に仕事が終わった後に、また同修の家に行ってまず皆と一緒に学法し、それから、再び衆生を救い済度する事について交流しようと決めました。同時に自分が自己中心的で、自分を他の上に置き、理性的ではなかったとも思いました。

 このようして、仕事が終わった後に、直接同修の家に行くと、皆が本当に集団学法をしているのを目にしました。そこでうれしくなって座り皆と一緒に学法しました。

 しかしその後に交流した時、トラブルが現れました。同修の自分に対する理解不足に直面した時、私は同修に対して「これはすべて良いことです、これは正に問題を暴露する時であり、問題が暴露されれば、はじめて問題をはっきり見分け、それによって問題を解体しやすくなるからです」と言いました。

 この時、ずっと話をせず、厳粛な表情の同修のBさんが突然笑い出し、私に賛同しただけではなく、同時に今回の人を救い済度するプロジェクトを支持すると表明し、積極的にいくつかの事項を引き受けてくれました。その時、膠着状態が突然破られ、空間が活気にあふれ、喜びを感じました。

 その夜、「ある場所で、一面のゴマが成長しており、周りで満開の花が一つ一つ咲いている」夢をはっきり見ました。目が覚めた後にこれは師父が私達を励ましてくださっているのだと悟りました。

 このようして、法輪大法デーの夜、皆がすべて外に出て、お互いに協力し、それぞれ真相資料を配布しました。

 家に帰った時にはすでに真夜中で、工場でのたまっている仕事を思い出し、心身ともに少し疲れを感じましたが、いつの間にか眠ってしまいました。ちょうど出勤時間に目が覚め、疲れが取れているのを感じ、全身が今まで以上に楽になったように感じました。

 工場に来て、少し仕事に没頭し、自分の仕事がまだどれぐらいたまっているのかを確認しようと思いましたが、結局振り返って見ると今までたまっていた仕事はすべてなくっていました。おそらく流れ作業のラインに何か問題が現れたのだと思いましたが、結果的にはすべて正常でした。非常に不思議だと感じずにはいられませんでした。

 この文章を整理していた時、「自分は当時、すべて師父の慈悲なる救い済度の中で師父の啓示を感じた後に、やっと自我を放下することを学び始め、そのおかげで皆がとても良く互いに協力し、衆生を救い済度する事を成し遂げ、大法のすばらしさを表すことができた」と改めて感じました。

 もう十数年経ちましたが、このことはずっと記憶に残っています。この体験で私は大いに啓発され、そこで初めて自我を放下することを認識しました。さらに、それからの修煉の中で、師父と大法そして同修との関係をどのように正すのかという修煉の基礎を築きました。

 少しばかりの認識ですので、不足のところがあれば、補足してご指摘をお願いいたします。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/14/423614.html)
 
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