文/ニューヨークの大法弟子
【明慧日本2021年9月29日】
尊敬する師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
私の修煉の全過程はほとんど大紀元新聞社と関係があります。最初の記事を書いたのは2005年1月で、当時はまだ英語の大紀元が始まったばかりでした。その時、私はまだ新しい学習者で、大紀元新聞社が何をしているかも分かりませんでした。また、自分の文章が発表できるほどのレベルであるかどうかも分かりませんでしたが、後になって、自分が当時の最も能力のあるライターの一人であることに気づきました。
確かに、修煉の前から、私の生活は大紀元で仕事をするために準備をしていたようです。私は政治学の修士号を持っていて、ずっと読書と作文が好きで、ニュースを幅広く読んでいました、前職では新人をトレーニングする仕事にもついていました。
2009年初め、私と夫はニューヨークに引っ越し、私は大紀元新聞社の最初の国際ニュース編集者になりました。初期の頃、私たちはメディアという業界を全く知らないことから、どのように勉強するか分かった、という過程を経験しました。私たちは少人数のボランティアで構成されたチームでメディア帝国の原型を築こうとしました。私は、師父と大法を信じて、大紀元新聞社はいつか大きいメディア企業に成長し、多くの衆生を救う役割を果たすように師父は按排しておられたと知っていますが、どうやってそこまでたどり着けるのか、ちょっと想像できませんでした。
その中に確かに多くの魔難がありました! 大紀元で働く私の考えを変えたという意味で、数年前のある経験を皆さんに報告したいと思います。それは英文大紀元にとっても大切な時期だったと思います。
教訓から全体協力の重要さを学ぶ
2016年、英文大紀元は大赤字になって、資金を節約するために英語版大紀元新聞は再び日刊から週報に変わりました。多くの古い西洋人学習者は、私たちの問題は制御できない外力によるものだと考えています。例えば、大紀元は主流でない中国語新聞であり、ほとんどの広告営業も中国人なので、広告主を引き付けるのは難しかったのです。また、大紀元新聞の英語名の発音が難しくて覚えにくい(一見して発音はeee-pockか、e-pickか、eee-potchかが分からない)。ブラウザでepochtimes.comと入力すると、中国語サイトに誘導される、などなどです。収益を増やすため我々は編集の方向性を変えたこともありますが、何をするにも中途半端だと感じて、憂鬱になりました。結論として、目下の困難は中国流の経営スタイルのせいで、社長が多忙で私たちを理解する時間がないと思っていました。
そして2016年の春、英文大紀元は現行の管理システムから離れて、独立して運営できる機会を迎えました。夢が実現したようで、独立したらきっと今までよりよく運営できると私たちは確信していました。
私は日常の運営を担当する3人の経営者の中の1人で、新しい社長は緩やかな経営を志向する元ビジネスマンです。私たちの経営戦略といえば、質の高い新聞を作り、ターゲット層にサンプルを送り、購読者を増やし広告販売を促すことを望んでいました。この戦略は大手新聞社の成功した経験を借りた部分があってそれなりの価値がありますが、明らかに間違っているところもありました。
間違っているところといえば、私たちの出発点です。私たちは同修に否定的な考えを持ち、内に向けて問題の根本原因を探るのではなく外に向けて探し、同修と協力し合うことを諦め、自分たちの行動が他人を傷つけるかどうかを考慮せず、独善的だという問題が存在していました。私たちの独立経営は10カ月続いたあげく、行き詰まりました。
その10カ月の間、前述の多くの問題を解決するため、私たちは大紀元新聞の名前まで変えようとしました。私たちは完全に常人の視点から考えていました。実は、この空間で新聞の名前を変えると、他の空間での重要な要素を破ったことになってしまうかもしれません。その後、私たちはどのようにして大紀元新聞社に戻ったかについて、多くは話しません。大紀元新聞社の総協調人の下で一つになるのは、我々が本当に歩むべき道だという強いご啓示を受けました。
戻ってからも多くの心性の関がありました。独善的な考えを捨てて、自分たちの失敗を受け入れなければなりません。内に向けて探すのに、私は多くの時間を費やしました。表面の変化は本当の向上ではなく、着実に修煉し向上してこそ、物事にはじめて転機が訪れるのだと理解しました。新しい環境に抵抗せず、何も恨まず、できることを全力でやろうと私は自分自身に誓いました。協力することこそ、力の源であることを悟りました。
「長い間この問題が存在しており、皆さんがしっかり協力し合い、意見をまとめて皆の力を合わせて行ない、さらに皆さんの能力を加えれば、それは本当に阻むことのできない勢いになります。ですから、皆さんの修煉がますます良くなるとき、皆さんは徐々にこのようになり、力がますます大きくなるのではないかと考えています。(笑) もし、皆さんが最も困難な時期にこのようにすることができれば、より速く局面を変えることができ、皆さんが行なうべき事をきちんと行なうことができるのです」[1]
私たちはこの経験を通じて本当に向上したのかもしれませんが、その後、状況が急速に良い方向に変わりました。第45代大統領が就任して間もなく、アメリカの天象の変化に伴い広い道が目の前に現れ、その後、英文大紀元は着実に成功に向かって進歩しました。
会社の中で自分が担当している部分だけを気にかけるという自分の私心にも気づきました。全力で協力することを決めた時、私は突然、従業員の間のトラブルを処理しなければならないこと、会社の経済危機、この空間と他の空間からの妨害などを含めて、総協調人が担っている重責を感じることができました。
大紀元新聞社は神韻交響楽団によく似ていると感じます。楽団では東西の楽器の演奏は前例のないほどうまく融合し、和やかに今までにない音楽を生み出しています。大紀元も、中国人と西洋人の間のかつてない協調と協力を創造しました。
英文大紀元の多くの幹部と従業員は中国語大紀元から来ています。彼らは長年の魔難を乗り越えた経験、および英文大紀元の成功を助けたい誠実な心を持っています。特にマーケティング、カスタマーサービス、サイト運営、ライター、プロデューサー、映像編集などの部門を見れば分かります。英文大紀元は彼らのような有能な中国人スタッフがいなければ運営できません。
この経験を通じて、従業員が総協調人に対して否定的な考えに固執してしまうと、総協調人が私たちを前に導くことができないことにも気づきました。多くの同修は他の空間でヌルヌルとした黒い物質を総協調人にたくさん投げつけていたら、彼にどれほどの困難をもたらすかを、想像してみてください。私が理解しているのは、総協調人は何でも知っているわけではありませんが、私たち皆が強い正念で彼を支えることができれば、彼はそれなりの知恵を得ることもできると思います。師父は彼をその場所に置かれたので、私たちは障害を作るのではなく、師父の按排に従うべきです。
嫉妬心と顕示心は密接に関係している
嫉妬心と顕示心は、私の除去し難しい二つの執着心であり、これらが密接に関係していることに最近気づきました。
10年ほど前、ある同修が私に「仕事が良くできて、誰もが感心するような男性と結婚して、皆に羨まれるだろう」と聞き、私は少し腹が立ち、夫は確かに立派な男性ですが、私は? 彼と結婚したこと以外、人に褒められるような長所はないのかと思って、冷たく「さあ、そんなこと、考えたこともない」と答えました。しかし、同修の言葉はずっと私を悩ませ、明らかに、その言葉は私の嫉妬心に触れ、私の自信に打撃を与えました。
もちろん『轉法輪』から、嫉妬心という問題の深刻さが分かっています。「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」[2]
そのため、心の底から嫉妬心が湧いてきた時に、私はそれを除去する努力をしますが、しかし嫉妬心はタマネギの皮のように、一層を除去してもまた一層が存在しています。嫉妬心とはつまり、他の人の運命を羨ましく思うことだと、私は理解しています。それは即ち、師父が按排された自分の人生がほしくない、つまり師父の按排を否定することです。また、私たちは皆が一つなので、同修に嫉妬するのは愚かなことだと気づきました。例えば、自分の指が膝を妬んだら、それは可笑しくありませんか。指の嫉妬心が旧勢力に妨害の理由を与えて、膝が弱くなって体を支えられなくなったら、もっと悪いことになるのではありませんか。
私は最近、この醜い嫉妬心のもう一つの現れと、それがどれほど危険なのかに気づきました。私は記者研修プログラムを運営しています。2018年秋以来、正式な研修に参加したのは延べ50人、また100人以上がオンライン研修コースを修了しました。研修の合間に、私はヨーロッパ、オーストラリア、カナダ、およびアメリカ国内の他の都市に行って大紀元のために人材募集をしました。プレゼンをやる時に、ある若者を育成するためのサクセスストーリーを披露しました。新しい学習者であるAさんがニューヨークに引っ越した後に研修に参加し、彼の活躍ぶりは素晴らしいもので、研修修了直後にすでにプロ的な報道を行えるようになりました。プレゼンでは、家族がどのようにAさんを誇りに思っているかを伝えるビデオを流しました。
しかし同時に、プレゼンにはこのようなことをすべきでないとも考えています。誰かを強調しすぎて、彼が注目されると、彼が旧勢力に狙われやすいかもしれないと心配しているからです。その後まもなく、Aさんは大紀元を辞め、個人修煉の面でも困難に遭いました。彼の変化に私の責任があると思いました。私は、自分のトレーニングがどれだけ成功したかを誇示したくて、彼のことを優先的に考えておらず、口も修めませんでした。このことを通じて、私たちの修煉の道がいかに絡み合っているのかを実感しました。私たちは孤立して存在しているのではなく、自分の行動が必ず他の同修に影響を与えることを意識しました。
自信喪失からの脱却を目指して
自分の最も大きい執着心と言えば、メンツを重んじて恥をかくことへの大きな恐怖心だと思います。大きいミスをして、そのミスを皆に知られることを恐れています。その結果、言われた仕事を断って、その重大な職責から逃れたいからです。「もうトレーニングやほかの仕事で精一杯になった」と自分に言いました。これは事実ですが、執着心に直面しないための便利な言い訳でもあります。
修煉以来、基本的なことが出来ていないと感じています。頭の中はずっと海のように一刻も止まらずに躍動して、大事なことをしている時は冷静になって集中できません。目を閉じると、ついつい妄想が頭をよぎります。学法、発正念、煉功する時にいつも眠くなります。この状態があるために、自信を無くして、穴に潜って中に隠れたくなります。これは現在、直面している最も辛い魔難です。そのため重要な仕事を引き受ける勇気がなく、全体に損をもたらし皆の前で恥をかくことを心配しています。
私はまだこの関を突破していないので、この点についての交流は難しいのです。周りの同修に白い目で見られるのが嫌で、私はずっとこの心を暴露していません。しかし、少なくともこのような恐怖に直面すべきだと決めました。今までの修煉に多くの苦難を経験していないため、これは私にとっての大きな魔難かもしれません。
先日、意志についての説法を読みました。「法を学ぶ時に寝てしまう、本を読む時に寝てしまう、煉功する時も寝てしまう、この最も初期のものも乗り越えることができません。それは意志なのです! ご存知のように、修煉の中で人間を構成しているあらゆる要素も、あなたが人間から離れることを阻んでいるだけでなく、人間のあらゆる環境を構成しているものまで、あなたが離れていかないように阻んでいます。どんなものをも突破しなければならず、どんな魔難をも乗り越えていかなければなりません。その最大の現れは、それらのものがあなたに苦痛を与えることです。しかし、苦痛に異なる形式があり、眠いのもその一種です。修煉できなくなり、精進できなくなった人は、それが苦だとは知らないのです。あなたが法を得ることができず、それらのものはあなたに法を学ばせないのに、それが魔難とは感じていません。心が法に置かれておらず、修めたくなければ、話は別です。どうしてそれを抑えないのでしょうか? 意志を強めましょう。人間は自分が寝てしまわないように自制することで、成佛することができれば、私に言わせれば、それはあまりに易しすぎるのです。この小さな関も乗り越えることができなければ、どのように修めるのでしょうか?」[3]
強さは強い意志を持ち、強い主意識を持つことを意味すると思います。辞書では「意志」を「困難なことを成し遂げる強い決意」と解釈しています。旧勢力に打ち破れないように自分の意志を強くしなければならないと私ははっきり分かっています。
すべては修煉のために
一つ矛盾した状況とは、自分は大法弟子になる資格がないと時々思いますが、しかし常人に戻ることもできないと思います。実際には、もし出会ったすべてのことは修煉のためであると分かっているなら、困難はそれほど怖くなくなると思います。世の中に偶然なことはありません。次に皆さんと交流したい話は、起きた時は私にとって大きなショックでしたが、自分の頑固な執念をさらけ出すのにとても役立ちました。
新唐人テレビ局の英語ニュース番組が毎日放送になってから、私はニュースキャスターになりました。初期、番組を録画してから放送するので、間違いがあっても直せます。暫くして生放送に移行しました。ある日、私は重大な過ちを犯しました。何かの行き違いでカメラが私に向いた時、私はまだ化粧直しをしていました。この場面をどれくらいの人が見たのだろうか、視聴者らはどう思ったのだろうかと思うと、ゾッとしました。
次の日、もうニュースキャスターをする必要はないと知らされました。昨日のミスのせいか、分かりません、理由を説明してくれる人もいません。テレビ局はずっと新人を育成していることを知っていますが、現役の誰かを新人と入れ替えるとは聞いていません。解雇された様な気がして、胸が張り裂けそうでした。
冷静になって考えると、ニュースキャスターから降ろされた理由が何かは、実は重要ではありません。それはきっと修煉のために按排されたのだと思います。そのことは私にすべての執着心、つまり自信がない、嫉妬、恐怖心、メンツを重んじる心、顕示心などを気づかせてくれました。
ニュースキャスターから降ろされることは、一種の按排かもしれません。ニュースキャスターをした数カ月間で、以前不足していたスキルが身に付きました。大紀元社内で私は「ジャーナリズム学」(外部の専門家の支援を得て)を新人に教えていますが、カメラの前で話したり、原稿を読んだりする経験がなく、つまり生放送の経験がありません。その数カ月でメイク、ヘアメイク、洋服の着こなしも学びました。女性として実はずっとそういうことを学びたかったのですが、忙しさや怠惰、注目されたくないという気持ちで叶えられませんでした。
暫くして別の番組のキャスターに任命されたとき、とても短い準備時間しかなかったのですが、これらの技能はすべて役に立ちました。
結び:正しい道を歩んでこそ奇跡が起きる
16年間を振り返ってみると、大紀元が今日のような発展を叶えたことは本当に奇跡です。当時、給料をもらえるとは思えなかったし、何百万人もの読者が英文大紀元を読むため、番組を見るために金を払ってくれるとは想像することも出来ませんでした。新唐人テレビ局の英語部分の業務はもっと急速に発展してきたと言えます。2年半前、新唐人の英語業務に異動になった時、我々が考えたのは、ソーシャルメディア向けに1日15分だけのニュース番組を作ることでしたが、現在では、毎週約30時間の番組を制作し、アメリカの数千万世帯向けに24時間で放送するだけでなく、英国の某大手テレビチャンネルにも放送されるようになって、進歩し続けています。
私にとっては、これも大法を証明することなのです。それは、完全に自己を捨て、一つの全体を形成して協力し、修煉を第一に置くことができる時、何でもできることを示しています。もちろん試練はありますが、どのように向き合うかが肝心です。特に、私のように毎日、同修たちと一緒に仕事を続けるフルタイムの社員にとって、大紀元のオフィスは修煉の正念場になっています。
「したがって、今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか? 誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません。人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」[2]
嫉妬心と顕示心に向き合った後、それらは私の空間場の中で弱まっていたことを実感しました。かつて英文大紀元と英文新唐人(少なくとも英文部分の業務に関しては)の間には、多くの競争と嫉妬が存在して、二つの部署の間で異動する人がいると、元の部署に損失や裏切りのように思われます。今では、二つの部署は手をつないで協力し合い、二つの部署ともに発展し強くなりました。
これらの奇跡を見て、私はより師父と大法を信じて、自己不信の念を克服できました。私たち一人一人がここに来たのは偶然ではありません。大紀元新聞社の一員になれることに感謝して、非常に光栄に感じています。
かつて、総協調人から達成不可能に聞こえるような目標を聞かされた時、私は丁寧に頷いていましたが、心の中では、「それは良さそうに聞こえるが、しかし、実際にどれだけ実現できるのか」と思いました。今、同じことを聞かれたら、私は「良かった、それこそ私たちがこれからすることなのだ」と思うようになりました。
私は、どうやってメディアにこれほど長くとどまり、特に最も厳しい時期に辞めたいと考えたことがないのか、とよく聞かれます。私にとって答えは簡単です。法を正す進展の中でメディアの役割について、師父は説かれたことがありますが、それは自然に、自動的に起こることではありません。試練は不可避であり、困難に直面した時に諦めると、当然ことは失敗し、衆生を救うこともできなくなるので、自分は続けていかなければならないと分かっているのです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『長春輔導員法会での説法』
(2021年国際ネット法会)