10年間拘禁された上海市の楊曼曄さん 再び懲役2年
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 【明慧日本2021年10月5日】上海市の法輪功学習者(以下、学習者)楊曼曄さんは2月25日、静安区の警官らに連行され、留置場に拘禁された。楊さんは9月24日に裁判を受け、即座に懲役2年の実刑判決、罰金8千元(約13万6千円)を科された。楊さんと同時に連行され、裁判が行われたもう1人の学習者・顧継紅さんには、懲役1年6カ月、罰金6千元が科された。

 楊さんは大学を卒業し、上海市普陀区双山路に在住する54歳の女性。1996年に法輪功の修煉を始め、真・善・忍に従ってより良い人を目指し、心身ともに恩恵を受けてきた。勤務先でコツコツと働いていた楊さんは、リーダーからも同僚からも評価されていた。

 1999年7.20以来、楊さんは法輪功修煉を堅持していたとして迫害され、計10年以上にわたって拘禁された。

 2000年に懲役4年の実刑判決

 2000年1月、楊さんは法輪功迫害の実態を説明する資料を配布したとして連行された。留置場に9カ月間拘禁された後に4年の実刑判決を下され、上海女子刑務所に拘禁された。長きにわたって独房に閉じ込められ、両手を背中に回されて手錠をかけられた。ある日、楊さんは刑務官3人に同時に拷問され、スタンガンで顔や口に電気ショックを与えられ、火傷して焦げた。そして独房に2週間閉じ込められ、両手を窓に手錠で吊るし上げられ、口は粘着テープで塞がれた。さらに刑務官は他の受刑者に楊さんを殴らせたり、罵らせたりした。

拷問のイメージ図:複数のスタンガンで同時に電気ショック

 楊さんは長い間、1日10数時間ないし20時間、連続して昼夜を問わず縫製を強要された。楊さんは過労で体力を失い、転倒して膝を粉砕骨折し、2回の手術を受けた。

拷問のイメージ図:縫製の現場

 4年の刑期満了後も不法に9カ月間延長され、3㎡にも満たない部屋に8カ月半監禁された。

 2006年に1年6カ月の実刑判決

 2006年1月22日、楊さんは普陀区で法輪功迫害の実態を伝えていた際、現地の警官に連行された。その後1年6カ月の労働教養を強いられて上海女子労働教養所に拘禁され、長い間吊るし上げられた。38度の高温で風の通らない部屋に閉じ込められ、体温が39.6度に上がったにもかかわらず、独房から解放されなかった。

拷問の再現:吊るし上げられる

 2009年に洗脳班に拘禁

 2009年6月6日、身分不明の私服警官ら10数人が突然、楊さん自宅のドアをこじ開けて室内に押し入った。楊さんの16歳の息子は私服警官を阻止しようとしたが、1人の警官に首をしめられた。警官らは楊さんを連行し、家宅捜索を行い、多くの個人財産を押収した。翌日、警官らは再び楊さんの自宅にやってきて、未成年の息子を脅した。1カ月後、依頼した弁護士の尽力で楊さんは解放された。

 同年10月22日、現地の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官らは再度楊さんを連行した。翌日、楊さんは6人の警官に引きずられて洗脳班に入れられ、転向を強要された。

 2013年にまた懲役4年の実刑判決

 2013年10月9日夜、楊さんはまたもや現地国保の警官らに連行され、家宅捜索を受けた。楊さんの夫と息子も連行され、20時間身柄を拘束された。2014年8月、楊さんは普陀区裁判所に懲役4年の実刑判決を下され、同年11月、上海女子刑務所に移送された。そして2017年10月8日、刑期満了で解放された。

 2019年にまた連行

 2019年9月26日午前、楊さんは学習者・杜挺さんと共に外出していた際、現地の警官らに再度連行され、翌日、留置場に拘禁された。楊さんと杜さんは断食して迫害に抗議した。そのため、2人は毎日1回灌食されていた。同年10月31日、楊さんは保釈され自宅に戻った。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/28/431955.html)
 
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