私は法のためにやってきた生命である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本法2021年10月12日】法を得た経験を思い出すたびに、師の慈悲深い済度に限りなく感謝しています。

 私は子供の頃から気功をやっていますが、どの気功をやっても功能が現れてきました。功能の力で身体が浮き上がり、 高圧線に突っ込んで電気を浴びて地面に倒れたことがあり、大汗をかいて立ち上がるのに30分以上かかりました。 それ以来、私は再び気功を実践する勇気がありませんでした。

 1996年、母が入院したとき、隣のベッドのおばあさんの息子さんが私の話を聞いて「気功のことをよく知ってますね」と言ってくれました。 彼は『『轉法輪』』の書籍を取り出し「これは高レベルの気功だから読んでみて」と言って私に読ませようとしました。 私は、これまで散々気功をやってきて、今さらやりたい気功はないと思い「大丈夫です」と言いました。すると、 おばあさんがその本を一気に私の手に押し込んできましたので、断り切れず、本を開くと、師父の写真が見え、目次を読みました。 すぐに再び私の功能が現れました、天目、遠隔通、宿命通の功能がみな現われてきました。

 当時、入院していた母は昏睡状態でしたので、私は家族に「明日の朝8時に母は亡くなるよ」と伝えましたが、家族は信じてくれませんでした。 当日、兄が母の脈を取り、時計を見ると、8時ちょうどに母の心臓が止まりました。また、母と同じ部屋にいた2人の患者さんの退院日も当てましたので、 当時、医師や看護師、病院患者は私を「神」とみなしていました。

 私は家族に、母の魂は天国に行っていて、亡くなっても、体は硬くならずに、火葬するまで3日経っても身体は依然、軟らかいままだと伝えました。 母がこのように報われているのは、母が教養があって、誰に対しても親切だったことと、現世で私が大法を得るのを助けてくれたことに関係しています。 私には8人の兄弟がいて、母は、子供が多すぎたため、私を産む前に、ある人との間で「私を養子にだす」という約束をしていました。 ところが、私は胞衣を帯びて生まれたので、母は古文書を読み、私が普通ではないと知り、私を手放さなかったのです。

 南京で母を埋葬して帰ってきた日に、新華書店に行くと、外のブースに『轉法輪』の本が置いてあったので、手に取って開いてみると、天目、遠隔通、宿命通の内容が書かれている第二講でした。 この本では、これらの功能や、道理がわかりやすく説明されていて、近頃、自分も、自分に現れた功能を思い出し、心から敬服の念が湧いてきて、自分は本当の師父に出会えたと思いました。 その時に、『法輪功』と『轉法輪』という2冊の本を買って、修煉を始めました。

 実際に実践して見ると、過去に何種類かの気功をやっていて、どれも功能が現れたのです。しかし、功能が現れた後、気功の本にはその先の修煉方法が書かれていなかったため、気功から高い効果が得られるとは思えなくなっていました。 師父は慈悲深く、私を済度するために、まず私を法と繋いで下さいました。 私はまだ数ページも読んでいませんでしたが、師父は私に天目、遠隔通、宿命通の力を身につけさせてくださいました。そして、私に『轉法輪』を読ませ、法輪大法が人々をより高いレベルの修煉に導くことができることを理解させ、私を大法の修煉に導いて下さいました。

 2000年、私は中国共産党政府によって不当に懲役3年半の刑罰を処されました。 刑務所に入ると、すぐに4人の受刑者がやってきて、私を殴りました。 相手に殴られても、何かの涼しいものが体に入ってきた感覚で、まったく痛くありませんでした。蹴られても、まったく痛くありませんでした。 私は笑顔で受刑者たちに手を振って「来いよ!」と言いました。「殴れ!  殴れ!  どうぞ、戦ってください」と嘲笑しました。受刑者は「どうして殴られても、まだ笑ってるの?」と聞きました。「あなたたちの殴りかたはパンチが効いてないから面白くて笑っているんだよ」と答えました。それからは彼らはとても怖がって、二度と私を殴ることをしませんでした。 私は、師父が「弟子をしかるべき位置に押し上げた」と仰った意味を思い出しました。

 拘置所から刑務所へと移動したとき、警官や大法弟子を洗脳する者は皆、同じ質問をしてきました。「誰があなたにその大法を伝えたの? どのようにして、その大法を手に入れたのですか? 教えてください」と言いました。そんなとき、私は必ず「あなたは、それを聞きたいですか? では、30分ほど時間をいただければ、お話しします」と答えました。そこで私は、どうやって法を得たのか、その経緯を話したところ、彼らはとても驚いて、誰も私を迫害しようとしませんでした。私は 監房の中で唯一、頭を剃らず、囚人服も着ていませんでした。刑務所の所長は、誰も私を迫害させないように配慮してくれました。 私が出所した後、勤務先は早期退職に取り組んでいて、早期退職したい人は退職の手続きをする人にお礼を送らなければならない、などのことがありました。私は媚びずにいると、上司自らが私の退職の手続きを進めてくれました。

 長年、私はまっすぐに、正々堂々と歩んできたのです。 昨年、地元の派出所から電話があり、私に修煉をやめるよう、サインを求められたことがありました。 私は「刑務所でさえサインをしなかったのに、今更サインを求められてもするわけがない、用紙を私のところに持ってきたら、破ります」と断りました。長い間待っていましたが、派出所から誰も来ませんでした。 派出所に行くと、所長が「君がサインしないのは分かっているが、サインをしないと刑務所に入ることになる」と脅迫しましたが、 私は「サインはしません」と断りました。すると所長が「もういいよ、帰れよ」と諦めました。

 私は法を学ぶ時、時には没頭し完全に法に熔けこみます。その言葉のべてが私の心に入り、 自分の存在を忘れさせてくれるのは、大法だけ、大法だけなのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/8/430560.html)
 
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