師父は私を地獄から拾い上げた
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2021年10月15日】私は、第二の人生を与えてくださった師父に感謝しています。師父は、私の生々世々の巨大な業力を消去して下さり、健康な体を与えてくださっただけでなく、さらに生命の意義を私に分からせて下さいました。それは大法に同化し、誓いを果たすことです。

 一、人生は夢のようなもので、商売が好調な時に不治の病と診断された

 40歳のとき、私が経営しているレストランはとても繁盛し、自分の人生の価値が証明されたと感じました。ちょうどその時、私は不治の病と診断され、腸がんであと5年しか生きられないと言われました。病気の辛さで何度も死にたいと思いましたが、子供がまだ小さいことを考えて、なんとか生き続けていました。

 二、日本に来て、幸運にも大法に出会った

 日本に来てから4年後、即ち医師から宣告された人生最後の1年の時、幸運にも法輪大法に出会いました。初めて煉功をした時、私は妙なる素晴らしさを感じました。わずか2週間で法輪が回っているのを感じ、身体が速やかに回復し、食事や家事ができるようになりました。その時から私は、最後まで修煉しようと決意しました。

 三、死の瀬戸際 師父が地獄から私を引き上げて下さった

 1カ月後、発熱、咳、足の痛みなどの症状が出て、全身に痛みを感じ、以前の病気がすべて再発したように感じました。頻脈、不眠、顔中に水ぶくれができ、トイレまで歩いて行くことができず、這って行かなければなりませんでした。咳をするたびに内臓が全部出てくるような感じがして、心臓に1万本の矢が刺さったような痛みがありました。

 今回の症状は非常に強烈なものでしたが、師父が私の体を浄化して下さっているのだと分かりました。とは言え、やはり耐え難く辛いものでした。毎日食べることも横になることも寝ることもできず、壁にもたれて座ることしかできませんでした。私はずっと師父の説法を聴いて、この修煉の道を選んだ以上、師父と大法を固く信じ、捨て身になり、すべてを師父に任せました。

 私はこのように一日一日、一分一秒を涙と痛みの中で過ごしていました。家族はとても心配し、病院に連れて行こうとしましたが、私は師父がしっかり管理して下さっていると確信していたので、家族には「これは体の浄化の現れだから大丈夫だよ」と言って、安心させました。

 20日間が過ぎました。私は疲れ果てて、時には意識を失うこともあり、ギリギリの状態に陥りました。ある日、元神が身体を離れて果てしない沼地にいるような感覚で、動けずに立っていると、四方八方からたくさんの幽霊や骸骨、あらゆる種類の怪物が現れ、ものすごいスピードで押し寄せてくるので、極度の恐怖感を覚えました。それらの怪物は山のように押し寄せてきて、私は瞬きをする勇気もなく、動くこともできなくなり、それらが思うままに飛び込んでくるのを見ているだけで、どうしようもありませんでした。前世で借りた生命が、借金の返済を求めに来たのだと思いました。

 師父はこのように説かれています。「ところが、あなたが修煉するとなれば、彼らは承知しません。『お前が修煉すると、お前は行ってしまい、しかも功が伸びるのだから、こっちは手が届かなくなり、お前をつかまえられなくなる』と、承知しません。あらゆる手段を考えてあなたを妨害します。修煉させないようにいろんな手を尽くして妨害し、あなたを本当に殺しに来ることさえありえます」[1]

 師父の法が私の頭に浮かんだので、私は再び自信に満ち溢れ、「私は大法を修煉している。法輪大法は宇宙大法だから、計り知れないほどの力がある」と思いました。その時、まだ発正念がなかったので、心の中で「法輪大法、爆発せよ!」と大声で叫んでいました。すると、津波が引いたように、それらの怪物は跡形もなく吹き飛ばされました。こうして、すべてが穏やかになりました。

 続いて、目の前に男の人が立っていました。 扉を開けると、目の前には大きなステージがあり、下には何列もの大きな箱が整然と並んでいました。男は私の前に来て、黒い箱を指差して、その中に横になるようにと言ったのですが、よく見るとその箱は棺桶のように見え、一つだけが空いているので、私は素直に横になりました。中で横になると、とても快適ですべての苦痛がなくなりました。男が去った後、私は目を閉じて静かにしていると、何の心配もなく、何の悲しみもありませんでした。約2~3分が経過した後、私はすぐに目を開いて周囲を見回し、ここは私が滞在する場所ではないと気づきました。同時に、私は師父と一緒に家に帰って、自分の使命を果たしたいと思いました。

 そう思った瞬間、すぐに自分のために作られた棺桶から離れて、空に飛び上がりました。空中には自分のために用意されたブランコが揺れているのを見つけてそこに座ったのですが、ブランコを吊るしているロープは見えず、とても不思議な感じがしました。私は、ブランコに座って自由自在に揺れていて、とても素晴らしく快適でした。

 突然、遠くから巨大な声が聞こえ、かなりの響きが伴っていました。何を言っているのか分かりませんが、その巨大な声が「山」から来たようで、そこにはたくさんの地獄の鬼が忙しそうにしているのが見えました。私はようやく分かりました。巨大な「山」は地獄の王様である、えん魔だったのですが、それがあまりにも大きいので、私はその顔が見えず、それが鬼たちに指示していることを理解することもできませんでした。私は依然としてブランコに座り、ブランコを楽しみながら、目の前の光景を静かに眺めていました。

 その時、私は突然「アーッ」と上から落ちてしまいました。主元神が帰ってきました。その瞬間、先ほどの美しさは完全に消え去り、私は再び痛みと苦しみを感じる身体に戻ったのです。1万本の矢が胸に突き刺さるような痛みを再び味わい、痛みで涙が止まりませんでした。私はどうしようもなく目を閉じましたが、その瞬間、美しい煉功の音楽が聞こえてくるような気がしました。私は娘に、「誰かが私のテープレコーダーを持ってきたかしら?」と尋ねました。娘は「いいえ。お母さんは高熱で意識が混乱したみたいだけど、大丈夫?」と言いながら、テープレコーダーを私の目の前に置きました。

 私は必死に目を開けて前を見ると、師父が私に向けて「起きて、起きて、煉功しなさい」と言っておられたような気がしました。その後、本当に師父の声が聞こえたので、私は必死に壁にもたれて少しずつ立ち上がりました。テープレコーダーのスイッチを入れると、美しい音楽とともに師父の声が聞こえて、私は師父の指示に従って煉功し始めました。煉功をしているうちに、だんだんと痛みの感覚がなくなっていきました!

 1時間の煉功が2時間かかりました。煉功が終わると、大量の汗をかき、頭からつま先まで全身が汗びっしょりとなりました。体力がついてきたと感じ、体の痛みもなくなり、とても心地よくなりました。私の心は、師父への無限の敬意と感謝で満たされました。私は泣きすぎて、喉を詰まらせ声も出なくなり、自分の気持ちを言葉で表現することができませんでした。慈悲で偉大な師父は私に新しい人生を与えて下さいました。

 その時、師父が説かれている「つまり人は死ぬ瞬間には怖い感覚がなくて、むしろ逆に解脱感を覚え、潜在的な興奮を感じたというのです。自分は突然身体の束縛から解き放され、軽やかに、非常に美妙な感じで漂い出したという人もおり、自分の身体が見えた人もいます。他の空間の生命体を見た人もいますし、どこそこに行って来たという人もいます。すべての人があの瞬間に解脱感を覚え潜在的な興奮を感じ、苦痛の感覚がなかったと語っています。言い換えれば、われわれ人間が肉身を持っているかぎり、苦であるにもかかわらず、みんな一様に母胎から出てきたものなので、それが苦だと分からないだけです」[1]を、私は実際に体験しました。

  そうです。私はその軽やかさ、痛みのない感覚、とても素晴らしく、心地よさを感じました。また、修煉の厳粛さも知りました。

 師父はこのように説かれています。「わたしの法身は何でも知っています。あなたが何を考えているかも全部知っています。そして、わたしの法身は何でもできます。あなたが修煉しなければ、何も面倒を見ませんが、修煉すれば、最後まで助けてくれます」[1]。私の師父と大法への信念がさらに固まりました。今、私が苦しんでいるのは、前世で借りた数え切れないほどの債務を返しているのです。師父の助けがなければ、私の生命が生き延びることさえできず、生死の輪廻の苦しみから逃れることもできません。

 今回の瀕死の体験から、師父が私を地獄から引き上げて下さり、法輪を与えられ、体を浄化して下さったことをより一層実感しました。師父は自分のために、どれだけの痛みに耐えておられたのか、知る由もありませんが、私は感謝しないといけません。弟子は恩返しすることはできませんが、涙と精進する心だけはあります。

 四、妨害の前で正念を固め、奇跡が現れる

 以前、私は毎週土日に必ず秋葉原に行って真相を伝えていました。ある時期に、咳がひどく、数日経っても良くならず、特に週末になると咳がさらにひどくなりました。これは迫害であり、旧勢力が衆生を救い済度することを邪魔しているのだと悟りました。師父は旧勢力を認めておらず、私は否定しなければなりません。 法理が明確になったので、次の週末は何があっても出かけようと決心しました。

 週末になると、早起きして煉功が終わると、新聞を自転車のカゴに入れて出発しました。自転車を押してエレベーターから出て、自転車に乗ったところで、突然自転車が180度回転し、私は乗ったまま一周回っていつの間にか、私は地面に倒れました。私は起きて自転車を立て直し、「この旧勢力は本当にひどい。人を救うことを妨げ、真相を伝えることを妨害している。私は主佛の弟子だから、一切の邪魔を認めない、絶対に行く」と思いました。そして、発正念の口訣「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する」[2]を念じました。

 私は自転車を押して、乗ろうとしたときに足がしびれて動かなくなり、そして、激痛が走りました。どうしましょう? 絶対に旧勢力の言いなりにはなりませんからすぐに、師父の助けを求めました。自分は法を正す時期の大法弟子であり、息がある限り師父の言われた通りにしなければならないと思いました。師父はこのように説かれています。「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]。 自転車を押しているように見えましたが、実際には自転車が私の杖となり、私は力をふり絞って一生懸命に歩きましたが、足はますます痛くなり、大量の汗をかいていました。

 午後1時、ようやく観光スポットに着きました。足があまりにも痛くて、しばらくしてから家に帰りました。家に着くとすぐに坐禅をしました。この痛みのことは、家族に教えませんでした。

 翌日は月曜日なので、大使館に行く日です。どうしましょうか? 必ず行くと決めました。家族の皆が出てから、私も家を出ました。しかし、足の痛みが激しかったので、少しずつ進んでいき、大使館に着いたときには、もう夕方の5時を過ぎていました。同修たちはすでに帰ったので、私も家に戻り、夜8時過ぎに家に着きました。翌日、「まだ行くのか?」と自分に聞きました。やはり、行かなければならないと決めました。歩くのがとても遅いので、やはり追いつかず、同修の姿が見えませんでした。大使館前の警備員も同情してくれて、私を見て首を振りました。

 このようにして毎日、足を引きずっては大使館へ行き、また一歩ずつ家に帰りました。その一歩一歩がとても辛く、苦しみに満ちたものでした。「この旧勢力、私を倒すつもりか? 私が誰であるかも知らないくせに!? 私は主佛の弟子だから、この痛みを恐れるわけがない! 私には師父がおられるので、師父が要求されることをするのだ」と考えました。

 木曜日になってやっと間に合ったのですが、すでに最後の発正念の時間になりました。心の中で発正念の口訣を念じ終えた時、大きな手が痛んでいる足を優しくこすってくれているのを感じました。足の骨からカチャカチャという音がはっきりと聞こえてきて、およそ5分後にはその大きな手が消え、足の痛みもなくなりました。痛くないだけではなく、足が全く疲れず、自由自在に軽やかになりました。師父が私の足を治して下さったとわかったので、私は泣きました。師父が説かれた「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[3]が本当に証明されました。私は両手を合わせて「師父、ありがとうございます!」と言いました。

 同修たちは私が号泣している様子を見て、何が起こっているのかが分かりませんでした。私は、ここ数日の出来事を話しました。そして、私は同修の前で「見て下さい」と、大きく踏み出して歩いて見せました。同修たちは皆、大法の威力と師父の広大なる慈悲を目の当たりにし、喜びを分かち合いました。

 私の修煉において少しずつ成長する中で、師父の慈悲と巨大な苦労が満ちています。師父のご恩に感謝する気持ちは言葉で言い表せません。私は大法から授かった生命で、世界中のすべての人々に永遠に不変の真理である「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」を実証するしかありません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/27/431901.html)
 
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