文/河北省の大法弟子
【明慧日本2021年10月20日】修煉者は、修煉の過程で苦難を経験します。一般的な関門は、私たちが「病業」と呼ぶものです。修煉の段階は、私たちの心性を高めるために、師父が按排してくださったものかもしれません。
師父は『轉法輪』をはじめとするいくつかの教えの中で「病業」について明確に説明し、深く掘り下げてくださっています。師父の「病業」に関する教えは、修煉者によって理解の仕方が異なるかもしれません。しかし、師父は早くから「真に修める人には病がなく…」 [1]とおっしゃっていました。ですから、私の理解では「病業」という関門は、本当は存在していないのだと思っています。
私は医師です。1998年に健康のために法輪大法の修煉者になったわけではありませんが、当時、私は胃の病気に悩まされていました。私の夫が最初に法輪大法の修煉を始め、法輪大法に関するいくつかの本を家に持って帰りました。私は数日のうちに全部読みました。
その週のある日、夫が私に尋ねました。「ここ2、3日中に、何か薬(胃腸薬)を飲んだ?」
不意を突かれて考えてみました。ここ数日に、薬を飲んだ記憶はなかったのです。
夫はこう言いました。「薬は飲んでいないけど、顔色も良くなっているし、食べる量も増えているじゃないか」
確かに夫の言った通りです。私は食べ物が、また美味しく感じられるようになっていたのです。私は「もう薬はいらない」と思いました。
やがて、神経衰弱、副鼻腔炎、慢性胃炎、十二指腸炎、裂肛、肛門周囲の湿疹、内痔核、外痔核、膝関節症などがすべて消失しました。 その時、私は法輪功があまりにも素晴らしいものであると感じ、決意を持って修煉を続けなければならないと思いました。
しかし、2カ月も経たないうちに修煉の試練が訪れました。私は肛門周囲の膿瘍と発熱に見舞われました。以前にも同じようなことがありました。前回は大量の抗生物質を1週間服用しました。しかし、今回は自分が法輪大法の修煉者であると分かっていたので、薬は一切飲みませんでした。
師父がこのように説かれていたことを思い出しました。「真に修める人には病がなく…」 [1]
私は師父の法に従って、病気ではないと思いました。以前は、熱が出ると疲労感がありましたが、今回は違いました。全く休む必要がなく、3日で治ってしまったのです。病気をしていない修煉者が病業を体験するのは、典型的なケースです。最も重要なことは、師と法を強く信じて正念を持つことです。あれから22年間、私は薬を一錠も服用していません。
そして2016年のある冬の日、少し熱っぽい感じがしましたが、あまり気にしませんでした。その後、皮膚が焼けるような感覚があり、神経を刺すような痛みに進行しました。医師でもある夫が診てくれました。帯状疱疹のような小さな水ぶくれができていました。その後、発疹は背中から横に広がり、さらに胸にまで達しました。
皮膚が衣服に触れると、耐え難い痛みがありました。私は、これは旧勢力の干渉であり、私を試そうとしているのだと思いました。私は法を学び、法輪大法を修煉し、その他のすべきことをしました。肉体的な不快感は、私の日常生活を妨げるものではありませんでした。3週間で元の状態に戻りました。
私にとってこの苦難は、警察に迫害されているのと同じでした。原因は、私の修煉の抜け道を旧勢力が利用したことにあります。逆に言えば、師父はこの状況を利用して、自分の行動を反省し、自分の内面を見つめ、行動を修正することを教えてくださったのです。目的は執着をなくすことであり、それを心性向上のプロセスとして利用するのです。
ですから、私の理解では、真の弟子には、病業の苦悩はありません。しかし、それを利用して内面を見つめ、自分の心を磨くことができるのです。
師父は「法をしっかり勉強し、法を多く勉強し、法をいつも勉強し、本当の大法修煉者になり…」(インド第一回法会へ)ということを繰り返し強調されました。
また師父はこう説かれました。「自らをしっかり修めてはじめて、大法弟子の使命を着実に果たすことができます」 [2]
法を学ぶことは私の優先事項です。一日2時間は法を学んでいます。
自分の修煉の道を振り返ると、嬉しさ、恥ずかしさ、後悔などがありました。しかし、それ以上に、修煉者であることの誇りと名誉を感じています。師父が、私を弟子に選んでくださったことはとても嬉しいことです。まだ到達していない目標については、恥ずかしいし、後悔しています。しかし、これからどんなことが待ち受けていようとも、私は修煉に励み、師父の期待と慈悲に応えられると確信しています。
師父、ありがとうございます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」
[2] 李洪志師父の経文:『南米法会への祝辞』