3年間拘禁された冀徳蓮さん 冤罪が晴れないまま死亡
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 【明慧日本2021年10月29日】(山西省=明慧記者)山西省太原市西銘郷の法輪功学習者・冀徳蓮さんは、2021年10月中旬、数日間の大雨の中で、無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年79歳。

 冀さんは20年前に子宮がんを患い、子宮を摘出した。その後、法輪功を学んで3カ月後、冀さんの精神状態が一新し、以前の冀さんとはすっかり変わった。冀さんの体の変化を目にした家族は法輪功を敬服し、長男の嫁も一緒に法輪功を学び始めた。

 2014年5月20日、当時72歳の冀さんは万柏林区の警官に連行され、万柏林区裁判所に懲役3年の実刑判決を言い渡された。冀さんは留置場に送られたが、体調不良で入所の条件に満たさないため、留置場側から受け入れを拒否された。

 冀さんは解放されたが、自分に着せられた罪を消したいと思い、太原市高等裁判所に控訴した。2016年5月18日、太原市高等裁判所は不当な有罪判決を維持し、冀さんを留置場に拘束しようとした。そのため、冀さんは放浪生活を余儀なくされた。

 2017年6月22日、放浪生活をしていた冀さんは、身分証を補うために西銘派出所に行ったところ、警官に連行され、太原疙嶛留置場に拘禁された。その後、楡次女子刑務所に移送された。

 不当に拘禁されていた3年間、冀さんの子供たちは毎回1000元を送金し、時には栄養食品などを届けに行っていた。監視役は冀さんの息子に「母親が牛肉を食べたいと言っているから、送ってくれ」と言ったため、子供たちはすぐに牛肉を持って行った。結局、冀さんは栄養食品などを一切受け取ったことがないという。家族が行くたびに、監視役らは冀さんを気遣うように振る舞い、涙を拭いてくれたりして、なんとそれはすべて芝居だった。

 2019年、冀さんは楡次女子刑務所で迫害され半身不随になり、毎日2人の監視役に監視され、左手で食べ物を摘んで食べていた。監視役は冀さんを殴ったり叱ったりした。

 2020年、冀さんが出所したとき、骨と皮ばかりに痩せていて、体重は30キロしかなかった。また、お腹は大きくへこんでおり、黒色になっていた。中国共産党の刑務所は情報を封鎖しているため、冀さんは80歳近くにもなっていたのに、刑務所でどのように迫害され、拷問を受けていたのかは誰も知らない。

 1999年7月、江沢民集団が法輪功を迫害して以来、冀さんは何度も連行され、拘禁されたことがある。様々な迫害を受けてきた冀さんは、2021年10月中旬、冤罪が晴れないまま亡くなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/27/432928.html)
 
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