遼寧省の周玉玲さん、灌食で迫害死
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 【明慧日本2021年11月14日】(遼寧省=明慧記者)撫順市清原県の法輪功学習者(以下、学習者)・周玉玲さんは、2002年8月30日に法輪功迫害の実態が書かれた資料を貼ったとして、大沙溝留置場に連行された。そして灌食され同年9月30日に死亡した。遺体は強制的に火葬された。警官は周さんが心臓病で死んだと主張し、死亡原因を調査しないよう家族を脅した。

周玉玲さん

 周さんは撫順市清原県英額門郷の出身であり、後に清原県紅透山鉱に引っ越した。2002年8月30日朝、周さんは夫、姪と一緒に紅透山朝市に向かう道で、法輪功迫害の資料を貼ったとして、真実を知らない地元の人に通報され、紅透山派出所に連行された。同派出所の警官は周さんを不当に尋問して家宅捜索を行い、金の指輪や銀行通帳を押収した。

 周さんは警官の梁大明らにスタンガンで電撃され、平手打ちされ、煉功しないという保証書を書くことを強要された。周さんは書かなかったので、同日午後に清原大沙溝留置場に拘束された。

 周さんは9月1日から断食で迫害に反対した。4日間後、留置場側は周さんに野蛮な灌食や拷問を行い、毎晩周さんの叫び声が聞こえた。

酷刑演示:野蛮灌食

拷問のイメージ:灌食される

 留置場の所長・尹長江は部下に周さんを強制的に灌食させるように指示し、灌食している間、数人で周さんが動かないように押さえつけていた。灌食された人は、その食べ物が良くないことを知っていたので、吐き出していた。しかし周さんはそうしなかったので、胃痛と腹痛に苦しみ、夜になると苦しそうに叫んでいたが、同室の人によると、誰も気にしなかったという。

 9月20日の早朝、周さんは同室の人たちに熱湯を頼んだが、あまりに朝早く、まだ暗かったので、あえて誰も警官に言わなかった。発見されたときの周さんはトイレに倒れていて、立ち上がれず、靴には大便がついていた。同室の人が警官を呼んでベッドに運んだが、周さんは意識を失っていた。その後、同室の人が毛布の中で大便を見つけた。周さんは県立病院に運ばれた時、すでに呼吸が止まっていた。ある若い警官が医者に診察を頼んだが、医者は「死んでいるのになぜ診察するのか」と言った。

 当時49歳の周さんは、迫害されて亡くなった。

 2002年9月20日の朝、家族は周さんの危篤の知らせを受けた。清原県病院に行くと、周さんの耳は青白く、目は大きく開いたままの状態であった。周さんの夫が死因を尋ねると、多くの警官が現れて夫を取り囲み、病院の2階に引きずり込んだ。尋ねることも許されなかった。

 午後3時頃、公安局長の宋義は、清遠県病院の何金鳳に作らせた偽の死亡診断書を取り出した。家族は皆、周さんが心臓発作を起こしていないことを知っている。そして同診断書は、義理の家族と母方の家族から1人ずつ、計2人しか見ることが許されなかった。しかも警官が持ち、近くでは見せず離れていたので、はっきりと見えなかった。

 周さんの息子は数日後、母親が亡くなった理由を聞こうとしたところ、警官はすぐに「聞くな、さもないと君の将来に影響が出る」と脅した。

 2002年9月20日午後、清遠県の610弁公室と公安局は、周さんの遺体を急いで火葬するといい、家族に「火葬に同意しなければ、夜、110番に通報して火葬しなければならない」と脅し、家族はサインを強いられた。善良な人が、清遠大沙溝留置場でわずか20日間で迫害によって死亡した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/5/433289.html)
 
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