明慧法会|大法を得て修煉した村人が恩恵を受ける(一)
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文/中国山東省の大法弟子

 【明慧日本2021年11月17日】私は農村に住んでいます。 私は子供の頃から母が病気だったので、弟妹の面倒を見ながら育ち、学校には1日も通ったことがありませんでした。

 成人してからは、遠く離れた家に嫁ぎました。 嫁いだ家には土地も住む家もなく、1200元の借金もありました。 夫の家には兄弟が多く、私が外地から来たということで、義理の両親や義理の姉たちは私を見下し、ときには欠点を指摘しては私に暴力を振るいました。

 生活上の苦から私は気管支炎、喘息、胃、肝臓、脾臓、胆嚢など、五臓六腑に不調をきたし、さらに腰椎椎間板ヘルニア、五十肩、足を圧迫してまともに歩けない坐骨神経痛、脳に影響を及ぼす頚椎症、婦人病などにも悩まされました。 自分の病気を治すために、あちこちで医療に助けを求め、どこかで専門医がいると聞けば治療に行きました。

 後に、医療器具を販売している青年が私に、「おばちゃん、法輪功を修煉しましょう。法輪功はあなたの病気を治せます」と言ってくれました。 彼は煉功を教えてくれ、 7~8日煉功した後、第一功法「佛展千手法」の「弥勒伸腰(弥勒が腰を伸ばす)」を煉功していた時、伸ばして緩めるとすぐに腰椎が正常に戻るのを感じました。第四式の功法を煉功して腰を曲げていても痛みがありませんでした。このときの私は、「私にも師父ができた。すべて私の師父に預けます。もう恐れることはない」と思いました。

 法輪大法は私を救って下さった

 私は大法を修煉して20日が経ち、師父は私の体を浄化して下さいました。第二式の功法「法輪樁法」を初めて煉功する時、呼吸が苦しくなり、息切れしそうになって、ハァハァと大きく息を吐きながら耐えました。 ある人が「何の音?  息が詰まっているように聞こえる」と言いましたが、私は答える余裕がありませんでした。煉功が終わり、私は歩けなくなりました。私は頑張って家に帰り、寒さで体が震え、オンドルに上り横になったところで、意識を失ってしまいました。 目覚めたときには、枕カバーがびしょ濡れになっていましたが、体はとても楽になっていました。

 以前の私は貧血気味で、よく失神していました。ある日、畑仕事をしていて、頭から地面に落ちたことがありました。 目が覚めると、隣に男性が立っていて、「怖がらないで、私はあなたのご主人を知っています。 30分以上もここであなたを見ていましたが、私の責任にされるのではないかと心配しています」 と言い、私は、「私は貧血なので、頭が地面につくまでは覚えていましたが、その後何もわからなくなリました」と説明しました。 しかし私は法輪大法を修煉した後、すべての病気が治り、今ではとても健康になりました。

 ある日、家で籠を編んでいると急に寒気がして、吐血やお尻からも血が出できて、この状態が5~6日続き食べ物も飲み物も摂れませんでした。 7日目に友人がぶどうを一房くれたので、喉が渇いていた私は一気に食べました。 食べ終わった後、畑にトウモロコシの収穫に行きました。主人は外地で務めており、家にいませんでした。私一人で3ムーのトウモロコシ畑を3日で収穫しました。

 さらにある日、私は屋根の上から梯子で降りていました。あと2段あったのですが、これで終わりだと思って、一気に梯子から転落し、腕を打撲して青紫色になりました。 私が家で肉まんを作るのを手伝ってくれた人が、「あなたは梯子から落ちて、歩けなくなるほどひどかったのでとても心配した」と言っていました。 翌日、腕と手が腫れました。 しかし、注文を受けた3000個の豚まんは3日後に納品しなければなりません。私は修煉者なのでどんな事においても他人のこと考えなければならず、注文はキャンセルしてはならず、 結婚式を遅らせるわけにはいきません。

 3日目の豚まん作りでは、私は歯を食いしばり親指で豚まんを包み、1日で3000個を仕上げました。 終わったあと私は疲れで直ぐ寝てしまいました。 翌日、目が覚めると、腕の腫れは引き、青紫色が消え、痛みもそれほどありませんでした。

 修煉後、奇跡と言っていいほど体が変わりました。私のことが村に広まり、人々は「彼女を見てみろ、以前は病気で息たえだえだったが、煉功をして病気が治り、健康状態も最高だ」と言っています。

 村人が大法を修煉して救われる

 我が家で仕事を手伝っている人が、「この功法は本当に素晴らしです、半身不随でベッドから降りられない母に教えてください」と頼まれました。 私は彼女の家に行き、「煉功を学びたいのなら、中途半端にならないようにして下さい」と言いました。 そして、日中は師父の煉功を教えるビデオや、師父の説法ビデオを見せ、夜は煉功の動作を教えました。

 1カ月あまりでその母親は、「私は閉経して20年以上なりますが、なぜ月経が見えたのですか?」と言いました。3日後、母親が我が家に来て、「お姉さん、私を見て下さい、私は歩けるようになりました! 私は、我が家から北の坂まで歩き、そして北の坂からあなたの家まで歩いてきたのですよ」と子供のように喜びいっぱいに話しました。

 さらに1カ月間煉功して、彼女は紐をほどくことができるようになり、洗濯と家事もできるようになりました。彼女の家族は大喜びで、大法の奇跡と超常的な出来事を目にしました。

 我が家で仕事を手伝っている人は、母親が煉功して病気が治ったのを見て、自分も煉功をし始めました。私たち3人に隣のおばあちゃんが加わり、4人で一緒に煉功をしています。

 この時、中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害がすでに始まりました。隣のおばあちゃんは煉功を初めて数日で、息子や孫が恐れて、煉功を止めさせられました。後におばあちゃんは半身不随になり、1200元の治療費を支払いましたが治りませんでした。私は彼女に、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じるように勧めましたが、彼女は「念じても治らない」と言いました。私は彼女の目つきが違うように感じ、名前を呼んでも返事しないし、私に「邪魔しないで、死にたい」と言っていました。この話を聞いて心配になり、彼女を家に連れて帰ることにしました。

 おばあちゃんは歩けないため、私はおんぶすることにしました。起こしてみると彼女の背中にジクロルボスの農薬が隠されていました。彼女は「これを買うのに苦労した」と言いました。確かに苦労したことでしょう、彼女は4本足のベンチで移動して薬を買ってきたのです。 私は 「何のためにこれを買ったのですか?」と聞くと、 彼女は「もう死にたい」と言っていました。 私は彼女をおんぶして家に連れ帰り、ソファに寝かせて、家に帰らないようにしました。 そして一緒に煉功しようと誘ったのですが、彼女は「私は立つこともできないのに、まだ煉功を言うのですか?」と言いました。私は彼女に聞きました。「坐禅できますか?」と聞くと、彼女は「できる」と答え、 私たち2人は坐禅をしました。煉功した後、我が家に泊まるように彼女に言いました。 翌日、目が覚めた彼女は、「あれっ!  不思議だ、あなたの家に来て体の痛みが治った」と言いました。私は、「帰らないで、ご飯を一緒に食べましょう」と勧めました。

 その次の日も一緒に学法をして煉功をしました。「今日一緒に動功をしましょう」と声をかけると、おばあちゃんは「立つことができないのに、動功の煉功ができますか?」と心配そうに聞きました。「大丈夫です。スチーム‐ヒーターを背もたれにすればいい」と私が言うと、彼女は私と一緒に第三式の功法「貫通両極法(かんつうりょうきょくほう)」を三回繰り返して煉功しました。おばあちゃんは「一回煉功する度毎に体が楽になっている」といい、私は「ならばもう一回しましょうか?」と訪ね、おばあちゃんは「本当に効き目がありますね」と言いました。そして私は「第一式から煉功を始めましょう」と言って、第二式の功法まで煉功したところで、おばあちゃんが「見てくれませんか、私の体がスチーム‐ヒーターから離れている気がするのですが?」というので、見てみると彼女は自力で立っていました。我が家に来たときは、4本足のベンチに乗って移動していましたが、それが必要なくなりました。 3日後、おばあちゃんは1人で歩いて帰りました。

 おばあちゃんが家に帰る日に、息子も帰ってきました。 それを聞いたおばあちゃんは、「水を汲みトウモロコシのお粥を作って可愛い息子に食べさせよう」と言って、 しばらくすると、おばあちゃんはお粥を持って私が家に来ました。 私の家の肉まんを買いに来た近所の人はそれを見て驚き、「お姉さん、治ったのですか?」と声をかけてくれました。 おばあちゃんは、「走って見せましょうか」 と言って、 我が家の広々とした中庭を、東の端から西の端まで走ってみせたのです。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/14/433255.html)
 
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