数えきれないほどの迫害を受けた黒龍江省の呉東昇さん死亡
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 【明慧日本2021年11月18日】1999年7.20、中国当局が法輪功を迫害して以来、呉東昇さんは何度も連行され、拘禁され、指名手配されたり、家宅捜索を受け、脅される、殴打される、洗脳されるなどの様々な拷問を受けた。中国共産党の迫害により、呉さんは長年にわたり収入がなく、毎日当局人員らの監視下や嫌がらせの下で生活を送り、血圧が上がったり下がったりして、2021年10月21日にこの世を去った。享年57歳。 

呉東昇さん

 呉さんは1965年に生まれ、黒龍江省の農場の従業員であった。呉さんは1998年9月に法輪功を修煉し始めた。当時、呉さんは心臓病、リウマチ関節炎、婦人科病、腎臓炎、低血圧など数種類もの病気を患い、長年にわたって薬を飲んでおり、気分も気性も悪くなった。法輪功を修煉して真・善・忍に従って自らを律し、しばらくしてすべての病気が消えた。性格も変わり、楽観的で、優しく、常に他人を優先に考えるようになっていた。

 紅興隆留置場で不明薬物を注射された

 旧暦2000年12月25日、政法委員会の2人が呉さんの部署に行って呉さんを連行し、家宅捜索を行った。呉さんを公安局に連行し、尋問した後に解放したが、3日後の夜、現地派出所の警官3人がまた呉さんを連行し、そして大晦日に紅興隆留置場に送って2カ月間拘禁した。

酷刑演示:打毒针(注射不明药物)

拷問のイメージ写真:不明薬物を注射

 呉さんが拘禁に抗議して断食していた間、所長・鄭万生が5人の刑務官に指示し、呉さんに薬を無理やり注射した。翌日、副所長・李玉が7、8人の刑務官を連れてほかの学習者・林煕傑さんと尹玲さん2人に注射しようとしたが、学習者たちは拒否した。そのため、刑務官らは2人の学習者を引き摺って、車に乗せて病院に行った。2人は引き摺られる過程で、ズボンがずれ落ち、靴下も破れた。病院に着いた後、2人は注射を引き続き拒否したとして、副所長・李玉に顔を蹴られた。

 10日後、学習者3人は再度病院に運ばれて注射を強要された。学習者の1人が4、5人の刑務官に押さえられ、1人の警官が尹さんを椅子に押さえ、尹さんの首を回し、髪の毛を掴んで尹さんの頭を椅子にぶつけるように繰り返し、顔中血だらけにさせた。数人の警官がまた林さんをほかの部屋に引きずり込んで、ベッドに押さえつけた。運転手が林さんの身体の上に座った。林さんは「私は女性ですから、私の身体の上に座らないで」と言った。すると、運転手は罵り始めた。

 ジャムス労働教養所で殴打され、灌食された

 2001年9月、呉さんは人々に法輪功迫害の真実を伝えていた際、連行され拘禁された。留置場で煉功したとしてよく殴打されていた。呉さんは断食して殴打に抗議したとして、無理やり灌食された。ある日、刑務官らが呉さんを精神病院に入れようとした。呉さんは「私は精神病ではない」と医者に言った。医師は問題を出して、問題は計399個あり、呉さんは1時間あまりかけて全部解答した。医師は「彼女は病気ではないので、受け入れられません」と刑務官らに言った。

 2002年1月、呉さんは労働教養の刑期を満了した。だが、現地の公安局長が呉さんを洗脳施設に入れた。「法輪功を練習したら、無期限で拘禁しても良い。お前らに対しては、法律に従わなくても良い。やりすぎても問題ない」と局長は言い放った。

 建三江七星農場洗脳班で受けた迫害

 2002年9月19日、呉さんは連行され、1週間留置場に拘禁された。同月27日、呉さんは洗脳班に拘禁され、そこで法輪功を誹謗中傷するビデオを見るように強要された。当時、10数人の学習者がそこで拘禁されていた。ビデオを見た後、感想文を書かなければならなかった。指示に逆らったら、暴力を振るわれる。ある60代の女性学習者は視察にやってきた610弁公室の李主任に殴られたり蹴られたりし、腰を負傷して動けなくなり、1か月以上ベッドから起き上がれなかった。劉譲芳さんは殴られて倒れ、刑務官に髪の毛を掴まれて身体を引き摺られた。呉さんは公安局の副局長に顔を平手打ちされ、顔が腫れあがり、4本の歯が抜けた。

 洗脳班で指示に逆らった学習者は他の拷問も受けた。呉さんは独房に拘禁された。独房には窓がなく、真っ暗で、直径10センチぐらいの道気口があるが、紙で封じられていたので、室内は換気できず、常に臭かった。コンクリートの床の上で座ったり、寝たりして、布団がなかった。呉さんは独房の中で20日以上、洗脳班で2年以上拘禁された。その2年間、高校に優秀な成績で合格した娘はアルバイトで自立しなければならなかった。

 ジャムス労働教養所で3年間にわたって迫害された

 2006年8月26日、宝清県留置場は呉さんをジャムス労働教養所に移送した。呉さんはすでに宝清県留置場で1カ月間断食したので、身体が非常に衰弱しており、ジャムス労働教養所の劉医師に受け入れを拒否された。しかし、宝清県警官らが劉医師にご飯をごちそうして、呉さんを無理やりジャムス労働教養所に入れた。

 ジャムス労働教養所に入った当日、警官らはすでに用意していた書類を出して、呉さんにサインを求めた。警官5人が一斉に行動し、呉さんの頭を机の上に押さえて、片手を背中に回し、片手を掴んでサインを強要した。

 呉さん達学習者はジャムス労働教養所で様々な拷問を受けた。1年半が過ぎた頃、呉さんの体は衰弱し、常に血便が出て、痛みを伴っていた。診断により、子宮筋腫だとわかった。

 今なお続く迫害

 国民の合法的な権益を守るために、呉さんは弁護士に依頼して迫害に加担した人員らを告訴したとして、2014年3月21日、呉さんは再度連行された。同月29日、呉さんは嘔吐し始め、血圧は230mmHgに上がり、しかも発熱し始めた。病院と留置場側は責任から逃れるために、呉さん家族に通知し、呉さんを家に帰らせた。

 2020年、武漢中共ウイルスの流行期間中、警官らは何度も訪れて呉さんにサインを求めた。

 2021年5月、中共の人員らはまた何度も嫌がらせをしに来た。

 2021年10月21日、長年の迫害を受けた呉さんはこの世を去った。  

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/2/433126.html)
 
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