17年間、迫害され続けた王香菊さんが死亡
■ 印刷版
 

 【明慧日本2021年11月18日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省丹東市の法輪功学習者・王香菊さんは、相前後して9年間拘禁され、また2回にわたって拘束され、家宅捜索や尾行、嫌がらせを受け、年金も停止されるなどで、累計17年間迫害を受け続けてきた。長期間の迫害と精神的プレッシャーの中で、王さんは体に大きなダメージを受け、脳出血を起こして自力での生活ができなくなり、2021年8月5日に無念な思いを晴らせないまま亡くなった。享年70歳。

'王香菊'

王香菊さん

 1998年に法輪功を学び始めた王さんは、心身ともに健康になった。1999年7.20、中国共産党による法輪功への狂気じみた迫害が開始された後、王さんは法輪功迫害の実態を人々に伝えたとして、何度も迫害を受けた。

 2000年3月、王さんは「真・善・忍」の信念を放棄せず、煉功を続けたとして、丹東市白房留置場まで連行され、1カ月間拘禁された。当時、興東派出所の警官は王さんの家へ行き、すべての法輪功書籍を押収し『轉法輪』に掲載されている師父の写真を剥がして、足で踏みつけた。

 2001年秋、王さんは市場で法輪功の資料を配布していた際、地元の興東派出所の警官に再び連行され、5日間拘束された。

 懲役5年を言い渡され、遼寧省女子刑務所で拷問を受けた

 2002年8月末、王さんは資料を配布していたときに若い交通警察官に通報され、丹東四道橋派出所まで連行された。その夜、王さんは靴を脱がされ、両手に手錠をかけられて吊るされ、つま先だけを地面につけたまま、三日間連続して吊るし上げられた。警官はまた家宅捜索を行い、王さんの夫と息子を連行し、一晩拘束した。

中共酷刑示意图:吊铐

拷問のイメージ図:両手に手錠をかけられて吊るされる

 同年、王さんは振興区裁判所に懲役5年の実刑判決を宣告され、瀋陽市にある遼寧女子刑務所に拘禁された。

 刑務所に拘禁されていた間、王さんは独房に閉じ込められてトイレも制限され、長期にわたる超負荷の労働を強制され、侮辱されたため、心身ともに疲弊して栄養失調に陥り、血圧が上昇した。また、冬の寒い時期は、靴を履くこともできないほど足が腫れ上がってナス色になったにもかかわらず、足を引きずって労役を続けさせられた。

 2007年8月、王さんは刑期を終えて自宅に帰ったが、法輪功を放棄しなかったため、地域のコミュニティと派出所の関係者による電話の盗聴、尾行、自宅での嫌がらせを受けていた。

 再び懲役4年を宣告され、遼寧女子刑務所で半身不随に

 2009年3月、王さんは市場で迫害の実態を伝えていたところ、地元の警官に連行された。

 2009年7月29日、元宝区裁判所は王さんに懲役4年の実刑判決を宣告し、王さんを遼寧女子刑務所の第7監獄区と11監獄区に拘禁した。刑務所では睡眠を剥奪され、トイレや洗面も制限された。王さんがちょっと目を閉じると、すぐに頭や顔に物を投げつけられ、身体を押さえられたり服を引っ張られたりした。

 2010年2月28日の午前3時頃、麻薬密売罪の受刑者は、王さんに立ったままの姿勢を強要し、そばでピーナッツを食べ、酒を飲んでいた。王さんが目を閉じているのを見て、受刑者は人を呼んできて、王さんの頭と顔に水をかけたり、耳を捻ったり頬をつまんだりするよう指示した。また、王さんの胸部を殴り、服を掴んで二段ベッドの鉄筋の梯子にぶつけさせ、当たるたびに王さんの背中に激痛が走った。

 その後、刑務所の病院での検査で、王さんの腰椎が粉砕骨折していたことが分かった。ますます深刻になったので、王さんは寝たきりになった。家族は仮釈放を求めたが、刑務所側は仮釈放の条件を満たしていないと主張し、応じなかった。

 2013年、王さんは4年間の冤罪を終えて帰宅したが、身体が衰弱して歩行困難になり、家に帰って間もなく脳出血を起こした。その後、3回の頭蓋骨を開く大手術を受けて以来、自力での生活ができなくなった。

 最終的に、王さんは無念な思いを晴らせないまま、この世を去った。2016年12月以降、王さんの年金はずっと停止されており、累計8万元以上が支給されていないという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/14/433605.html)
 
関連文章