【明慧日本2021年11月21日】(黒龍江省=明慧記者)ハルビン市の法輪功学習者・譚鳳鳴さん(82)は、中国共産党による法輪功への迫害により11月9日に死亡した。譚さんが亡くなる数日前にも、地域の役員と派出所の警官らが家に来て嫌がらせを働いたという。
譚さんは1998年に法輪功を学んでから、気管支炎、腰と足の痛みなどの多くの病気が知らず知らずのうちに治り、短気な性格も良くなり、タバコやお酒、麻雀をやめるようになった。その後、妻の李興傑さん、息子の譚広豊さん、娘の譚広梅さんも次々と法輪功を学び始め、家族4人が本当の健康と幸せを実感した。
1999年7月20日を境に、譚さん一家は平穏な生活ができなくなり、20数年にわたる迫害の中で、何度も生離死別を経験した。
譚鳳鳴さんが受けた迫害
1999年7.20、譚さんは他の学習者と同じように省政府部門に行き、省の指導者に法輪功の素晴らしさを伝えた。その後、連行されて10時間後に解放されたが、毎日、派出所にサインをするよう強制された。
2001年、譚さんは法輪功の資料を配布したとして、松江派出所の警官らに連行され、賓県第二留置場に40日間拘禁され、家族が要求された4000元を支払ってから解放された。
賓県公安局、現地の派出所、居民委員会の関係者が、2020年の夏から何度も電話をかけたり、ドアを叩いたりしたため、譚さん夫婦は大変なプレッシャーを感じ、家に居る勇気がなかった。
妻の李興傑さんが受けた迫害
譚さんの妻・李興傑さん(77)は1999年7月20日、他の学習者と一緒に省政府に行って法輪功のことを説明した後、連行されて10時間以上拘束された。以来、警官による嫌がらせが絶えなかった。
2000年の元旦前後、自宅で法輪功の本が見つかったという理由で、李さんは連行され、賓県第二留置場で18日間拘束された。また、家族が皆それぞれ迫害を受けたため、特に息子と娘が連行された後、李さんは肉体的にも精神的にも大きな打撃を受けた。
娘の譚広梅さんが2018年11月9日、自宅にいる時に両親の前で連行され、拘禁された後、李さんの左目が失明した。
息子の譚広豊さんは未だに行方不明のまま
息子の譚広豊さんは少なくとも4回連行され、迫害を受けたことがある。
1999年10月、広豊さんは北京に行き法輪功の無実を訴えた。翌年の正月14日、広豊さんは2回目北京へ陳情に行く途中、列車の中で警官に連行され、賓県第一留置場で約7カ月間拘禁された。解放される前に、留置場は家族に1000元を支払わせた。
2000年の元旦前、広豊さんは再び自宅から連行され、賓県第二留置場で5カ月以上拘禁され、保証書に署名しなかったことや囚人服を拒否したことで警官から激しい暴行を受けた。その後、家族が2000元を支払わされてから、広豊さんは帰宅した。
その後、広豊さんは別の場所でアルバイトを始めた。2004年5月2日夜10時頃、広豊さんは資料を配布するために居住地から出かけたが、そのままずっと帰ってこなかった。現在に至るまで行方不明になっている。
娘の譚広梅さんが受けた迫害
広梅さんはかつて、1999年10月、2000年旧暦4月初旬、2000年12月末、2002年冬の11月、2003年春の旧暦4月末に5回連行されたことがあり、4000元の罰金を科され、鉄の椅子に縛り付けられて灌食されるなど、様々な拷問を受けた。
警官が度々家に来て嫌がらせをするので、広梅さんはほとんど家におらず、放浪生活をしていた。
2018年11月9日、広梅さんは自宅で両親の前で再び連行された。2019年5月23日、依蘭裁判所に懲役4年の実刑判決を宣告された。
広梅さんは現在も黒龍江省女子刑務所に収容されている。
もともと幸せだった家族は、息子の広豊さんが失踪した後、娘の広梅さんが家族を支えていた。現在、父親の譚鳳鳴さんが亡くなり、娘の広梅さんが拘禁されているため、高齢の母親だけが家に残されている。
ここで、この残酷な迫害を一刻も早く終わらせるために、国内外の正義のある人々に関心を寄せて頂けるよう呼びかける。