修煉してから、姑に対する恨みを放下した
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2021年11月28日】結婚後、姑との間に深い葛藤が絶えませんでした。姑は私と私の実家を見下して、意地悪をし、私が何をしても、姑からは良い評価をもらえませんでした。出産した時、私は病気になり、1997年に法輪大法の修行を始めたのですが、精神的、肉体的な二重の苦を軽減したかったからです。

 娘を出産して4日目に、夫におむつを洗ってもらいたかったので頼むと、姑に暴言を浴びせられました。当時は、使い捨てのおむつはなくて、柔らかい布で作ったおむつを洗って繰り返し使っていました。特に冬場に、おむつを洗うことはとても大変な労働となります。姑は私の身の周りの面倒を見ないだけではなく、夫にもさせません。仕方がないので、80歳を超えた実母に数日間来てもらってお世話になりました。しかし、姑は母に笑顔一つも見せず、母から挨拶しても返事もしません。私のために肩身の狭い思いをする母親の姿を見て、とても胸が苦しく、姑に対する憎悪はいっそう強くなりました。娘がはじめて産着を着る時、現地の風習では父方の祖母(つまり私の姑)が子供を抱き、母方の叔父が髪を切るのです。しかし、何回姑を呼びに行っても来てくれず「あの娘の爺ちゃん、婆ちゃんになるつもりはない」と姑は言いました。

 ある年の旧正月、娘を連れて夫と義実家(ぎじっか:夫の実家)に帰省しました。ちょうど姑が餃子を茹でているところで、姑は3人の息子、2人の孫(私の娘を含めて)にそれぞれ餃子をお椀に入れたのですが、私には一つも餃子をくれませんでした。また、真っ青な顔をして「食べたいなら自分で蒸しパンでも取ってこい、食べたくないならそのままでいなさい。餃子はあなたの分はない」と言いました。私は苦笑して「大丈夫です、何も食べないから」と答えました。

 その時、私はまだ修煉に足を踏み入れていなかったので、姑への恨みは言葉で言い表せないほど深かったのです。姑が私にしたことを思い出すたびに、夏場でも背中に冷気が走って震えます。姑が年をとったら、私は絶対に面倒を見ない、その時は、姑にも冷遇されて虐待される気持ちを味わってもらおうと、よく思いました。

 1997年、法輪功を修煉して全身の病気がなくなり、気持ちも少しずつ明るくなりました。

 師父は『轉法輪』に「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません。もう一つは、トラブルの中に業力転化の問題が絡んでいるので、具体的に対処する時、われわれは大らかな態度を保たなければならず、常人と同じようにしてはなりません」と説かれています。姑は常人で、私は修煉者、昔のように姑を恨んだり憎んだりしてはならないと悟りました。それから、進んで姑との関係を修復し心から姑を思い遣るようになりました。

 ある年の6月、姑が転倒して足を骨折したので、私と夫は姑の面倒を見ることになり、責任を持って引き受けました。夫は仕事を辞めて24時間、姑のそばを離れず、数日経った時、夫は体力が尽きて倒れました。夫の5人兄弟は、誰一人として姑の家に来ません。私は夫の代わりにすべてを引き受けました。大小便する時の手伝い、お風呂に入れること、洗濯、すべて私一人でやりました。姑の体重は100キロ余りもあり、エアコンがないため、ベッドにいる姑の体を30分おきに起こして、シーツを扇風機で冷やしてからまたその重い体を下ろします。また、足を叩いたり肩を揉んだりしなければならず、動作が少し遅くなると姑の機嫌が悪くなります。特に夜、姑は「ここが暑い」とか「そこは具合が悪い」とか私を呼んで、一晩中一睡もできません。私は師父のお教えを肝に銘じて心性を守り、優しく姑の面倒を見ていました。私は姑の世話に全力を尽くして、何の文句も言いません。夫も夫の兄弟もそれを目にして、法輪大法の良さをもっと知りました。その後、私は中国共産党の迫害に遭った時、大家族の全員、誰も私の修煉に反対する人はいません。

 2018年秋、80歳を超えた姑は突然、今住んでいる一軒家には暖房がないためマンションに住みたいので、5人の子供たちに金を集めて買ってほしいと言い出しました。しかも、我が家の経済状況はほかの兄弟より良いため、私と夫に1/5でなく、2/5の資金を出してほしいと言いました。それを聞いて少し心のバランスが取れなくなりましたが、いつでもどこでも良い人を目指し、相手のために考えてあげるという師父の教えを思い出して、姑の願望を満足させようと心から思うようになりました。それで私は夫に「全額を出して我々の名義でマンションを買おう、多少借金をしなければならないが、これから少しずつ返済しよう」と言い出すと、夫も姑も、ほかの兄弟もみんな喜びました。

 今、姑は一人で120平米の大きい家に住んで、家の内装や設備に気に入らないところがあると、例えば、今の湯沸かし器は具合が悪くて危険なので交換したいとか、暖房器が小さいので大きいほうに替えたいとか、私と夫はすぐお金を出して購入したり修理したりします。姑がどんな要求を言い出しても、私と夫は満足させます。私と夫は未だに50平米の小さい家に住んでいて、娘の4人家族が来るととても窮屈になりますが、しかし修煉者としての私の、心の底はいつも明るいです。

 ある日、なぜか分からないけど、自分に実は10万元(160万円相当)の貯金を持っていることを姑は自ら私に教えました。それを聞いて私はチラッと「なるほど、自分には貯金があるのに、マンションを買う時に一銭も出さないで、また私たち夫婦に2人分の金を出させたかったのだ」と思っただけで、心は動じませんでした。これは私に引き続き心性を高めて向上させる機会だと悟ったからです。師父のお教えがなければ、大法を修めていなければ、私はどうしても姑に対して優しい息子の嫁にはなれませんでした。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/21/433640.html)
 
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