文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年11月30日】
尊敬する師父、こんにちは。修煉者の皆さん、こんにちは。
私は1997年に法輪大法の修煉を始めました。年数だけで言うと長く修煉者していますが、当初はあまり真剣に修煉していませんでした。多くの苦難から目を覚まし、地道に修煉を始めたのは2016年になってからでした。
私は56歳で、山の中で育ちました。私の故郷は、中国東北部の山奥にある森林の中にある農場です。山は高く、森は鬱蒼としていて人里離れています。私の両親は林業で生活していました。
私は林業の労働者と結婚しましたが、彼の収入では家族を養うことができませんでした。私は山の中で3ヘクタールの土地を一生懸命に耕しました。2人の子供の学費を稼ぐために、農業の収入で生活をしていました。
私たちの地域は遠隔地ですが、それでも法輪大法の加護は私たちに届いていました。1997年、ある友人が、彼女の夫が法輪大法を修煉していて、元気で年齢よりずっと若く見えると言っていました。その言葉は私の心に響きました。私は1人で畑仕事をしていましたし、家事もたくさんありました。大法が私に活力を与え、能力を高めてくれるのであれば、それに越したことはありません。そこで、友人は私に一冊の『轉法輪』をさしだして、読んでみてくれと言いました。
昼間は仕事をして、夜は『轉法輪』を読みました。この本は、人が良い人間を目指すための指針となる本だと感じました。仕事に追われていた私は、一回読み終えたところで読むのをやめました。冬農業の仕事は忙しくない時、私は仲間と一緒に煉功をして、法を学び始めました。農繁期の時、本をあまり読まず畑の仕事に専念しました。家の外の仕事はすべて私が引き受けて、姑の農業の仕事も私が手伝いました。私が大法を繰り返し読んだわけではありませんが、「真・善・忍」の原則を守り、相手を思いやることができるようになりました。
夫はその後、森林農場のマネージャー職に昇進しました。彼は毎日、朝早くから仕事に行き、夜は遅くならないと家に帰りませんでした。もう彼は家族とは一見何の関係もないように思えました。その間、私は毎日一生懸命働き続けました。
私にとっての修煉とは、師父が説かれたように、「中士、道を聞けば、存るが若く、亡きが若し」[1]ということです。
しかし、私の努力と謙虚さと優しさでは、夫を引き留めることはできませんでした。現代社会の大きな染物の中で、彼は浮気をしてしまったのです。私は何とか結婚生活を続けようとしましたが、夫は聞く耳を持ちませんでした。結局、2014年に彼は私を捨てて、離婚しました。
大打撃を受けて覚醒
離婚のショックで、私は自分が不当に扱われていると感じ、苦しくて落ち込みました。泣くことしかできませんでした。私と子供たちに対して無責任な元夫が憎くてたまりませんでした。「何年も家族のために頑張ってきたのに、こんなことになってしまって」と思いました。離婚後、彼は再び昇進しました。私はその変化を冷静に受け止めることができませんでした。体重も大幅に減り、本当に落ち込みました。
2016年1月には、母が亡くなり、これもまた大きな痛手となりました。母は私にとって最も身近な存在であり、私の支えでした。いつも私のそばにいて、私のために、毎日、食料品の買い物や料理、家事を手伝ってくれました。私が外で仕事をしている時、子供たちだけになるので、母はこれらをすべて引き受けてくれていました。母がいなくなると、私は独りぼっちになってしまいました。私はそれに耐えられなくなり、倒れてしまいました。1カ月間寝たきりになり、その間に私は人生の意味を考え始めました。
人間は愛のために生きたり死んだりしますが、私は修煉者です。名声や利益、情への執着を排除しなければならないのです。ふと、自分は大法弟子であり、衆生を救う使命があることを思い出しました。私は1人ではありませんし、私には師父がいます。
師父は、すべての大法弟子がしっかりと修煉し、遅れている人が追いつけるように、何度も時間を延長してくださいました。私はこれまで、しっかりとした修行ができず、社会の中で迷子になり、この世に来た目的を忘れ、自分自身を破滅させそうになりながら、多くの時間を無駄にしてきました。師父は慈愛に溢れた思いで、私たちを待って下さっているのです。それを裏切ることはできません。私は感傷的で利己的な気持ちを捨てて、修煉の道で精進しなければなりません。
師父はこう説かれました。
「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません。あなたはこれらのことを行うべきですが、一部の人は自分が修煉しているという気持ちさえ薄れてしまい、常人のことを重く見ています。皆さんにとって、それは大法弟子の修煉の道から離れてしまったのではありませんか?」[2]
資料の配布
2016年春、現地の資料点が破壊され、現場を運営していた修煉者が連行され、刑務所に送られました。私は、明慧が各地に小規模な資料点を設けることを推奨していたので、それを待つことはできませんでした。他の修煉者の助けを借りて、私は自宅に資料点を設立し、法輪功迫害の実態を明らかにする資料を印刷して配布し始めました。近くの年配の修煉者にも配りました。
当時の私は、夏の間、自転車に乗って田舎の村や町を一軒一軒回って資料を配っていました。私が住んでいるところから何十キロも離れたところまで行きました。これにより、後に人々に直接「三退」を勧める道が開かれ、彼らが中国共産党組織を辞めるきっかけとなったのです。
冬の間は、私は住宅地を回りました。すべてのドア、すべてのフロア、すべての建物に自分で資料を配りました。持ち運びしやすいようにパンフレットを作りました。師父のお守りで、毎回無事に行って帰ってくることができました。
私が大法弟子としてこのような活動をしている間、師父は私に経済的な援助をしてくださいました。2016年8月、地元の林業局は、過去にはなかった林業従事者の子供に退職金を納入する機会を与えました。私の両親は森林農場で働いていたので、私は資格を得て、2017年に退職金を受け取り始めました。それ以来、生活費の心配をする必要がなくなりました。その結果、大法弟子に求められる三つのことに集中し、修煉の道に精進することができるようになりました。
2017年の初め、私は隣の村の修煉者のAさんと知り合いになりました。彼女は長い間、田舎で戸別の法輪功迫害の事実を伝えていて、多くの経験を持っていました。私が住んでいるところは、中国東北部の農業県で、まだ法輪大法が何であるかを知らない農村住民が多くいます。ですから、田舎をカバーすることはとても重要でした。Aさんと私はチームを組んで、一軒一軒法輪大法のことを伝えたり、資料を配ったりすることにしました。効率を上げるために、私は中古のバイクを買いました。
中国北部の典型的な田舎では、春の田植えの季節になると、若者たちはみな畑に出て、お年寄りや子供たちだけが家に残っています。私とAさんは、まず彼女の故郷に行きました。私たちが真相を明らかにすることで、村人たちは法輪大法が体調を改善し、健康で幸せをもたらす良いものであることを知りました。私たちは、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」(心からの九文字)と書いているお守りも持っていきました。お守りはきれいに作られていて、みんな欲しがっていました。
私は村人たちに、上述の言葉を心に留めておくように言いました。ある女性は「私はこの言葉が好きだし、とても意味がある」と言いました。法輪迫害の事実を知って、彼らは資料をとても大切にし、私たちの努力に感謝しました。Aさんは、私たちが法輪大法の学習者だからこそできたことだと話しました。ある村人は「法輪大法は素晴らしいですね!」と声をかけてくれました。
道路の両側では農民たちが耕したり、種をまいたりしていたので、私たちは彼らと法輪大法について話しをしながら行ったり来たりしました。田舎の人たちは純粋で親切で、ほとんどの人が私たちの話を受け入れてくれました。中には家に招いて食事をしてくれる人もいました。私たちはお礼を言いましたが、招待は断りました。
畑で働く人たちに話を聞いた後、村の一軒一軒を回って真実を伝え、誰も残さないようにしました。繁忙期には多くの人が畑で働いていたので、真実を伝えるには好条件で、9日間で650人を説得し、共産党の組織から脱退させました。私たちは、すべてが師父によって行われていることを知っており、私達はただ心を込めて実践していたのです。
師父は、私たち大法の修煉者に全体としての向上を求めました。最初は2人で地方に行って法輪功迫害についての情報を流したり、迫害の実態を伝えたりしていましたが、その後、2人で向上するだけではダメで、全体で協力して人を救いに行くべきだと考えました。
私の住んでいるところは、省の森林局と大きな地方都市で、線路が分かれ道になっていて、線路の両側には修煉者がいるのですが、誰も直接会って人に法輪功迫害の事実を伝える人がいません。 そこで協調人でない私は、協調に行きました。交流した後、Aさんと私は、さらに2人の同修を連れて、4人が2台のバイクで真相を伝えに出かけました。 Aさんと私は手分けして、それぞれ1人の同修を連れて行きました。 この2人の同修は、以前から迫害の実態を伝えたことがありましたが、ただ臆病なだけだったのです。
最初の2日間、2人は、Aさんと私が「三退」のリストを書くのを手伝ってくれたり、私たちのために正念を発してくれたりしました。2日後には、2人とも自ら人に真実を伝えることができるようになりました。4人で2つのグループに分かれて作業をしていました。私たちが村に行って真実を伝えるたびに、70、80人、多いときには100人以上の人が共産党の組織から脱退していました。
私はバイクに乗って近いところから遠くまで、村の家々を回り、真実のことを話し理解してもらった後に法輪功迫害に関する資料を渡して帰りました。
私たちが真実を伝えるために田舎に行くと、邪魔をする人によく出会います。ある人は、自分が話しを聞かないだけでなく、他の人が聞くのを邪魔して、私たちが人々を救うことを妨げます。私は、大法には威厳があり、大法に対して罪を犯す人は許されないことだと思います。
ある日、私たちが人々に法輪功迫害について語っていると、宗教を信仰している人が迫害の実態を聞いているのを邪魔をしている場面に出くわしました。 私は「あなたが聞かないのは構わないが、あなたには他の人が真実のことを聞くのを止める力はありません。仏教だけでも八万四千の教えがあり、それぞれの法門を信じる人がいますが、その人たちの信仰を止められますか?」と厳しく言いました。彼はそれ以上言う勇気がなく、その場を離れました。
もう1人の真実を知らない人は、嘘に騙されて善悪の区別がつかず、私たちが渡したカレンダーを受け入れたものの、命を守るために「三退」の話しをすると、怒って私たちを家から追い出してしまいました。 私は彼に厳しく言いました。「私たちは法律に違反していません。法輪功は合法です。私たちを不当に非難したあなたは法的責任を問われます」、 彼はそれで萎縮してしまい、家に引き返しました。
私たちのように田舎に行って法輪功迫害の事実を話すことができない同修は、町でそれぞれの役割を果たしていました。年配の同修は家の近くで真実を話し、できない人は外に出て法輪功迫害の実態を伝えるステッカーを貼っていました。 しばらくすると、どの地域でもほとんどの建物に法輪功迫害に関するステッカーが貼られていることに気づきました。字が読めない人には、町の中で資料を一軒一軒配布しました。地区内の建物の通りや路地にすべて配られていました。
三つのことに集中していると、師父が夢の中で法を正し遅れずについていく様に啓発してくださいました。夢の中では、私と同修たちがそれぞれレーシングカーに乗って一列に並んで急速に前進していました。
(続く)