明慧法会|青年大法弟子の修煉体験(1)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年12月1日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 母は1998年に法輪大法の修煉を始めました。私は2000年に生まれて、母と一緒に今日まで修煉してきた経歴を皆さん、特に私と同年代の若い修煉者と分かち合いたいと思います。

 「ですから、終始一貫して、絶えず精進することこそ本当の精進なのです。このように話していますが、行なうことは本当に難しいのです。ですから、初心を忘れずに修煉していけば、必ず正果を得ることができると言われています」 [1]

 「先の見えないこの修煉環境、長期の寂しさの中では最も忍び難く、人が最も緩みやすくなります。これは修煉の中の最大の試練です」 [1]

 今になって師父のその言葉を吟味し、歩んできた道を振り返ると、修煉とは複雑な環境の中で、最後まで修煉を続けられるかどうか、常人の中に迷い込むかどうか、修煉の決心を固めたかどうかに対する一連の試練であると思いました。

 1、魔難の中で正念を保つ

 母によると、私が母のお腹にいる時、2つの小さな法輪が母の下腹部の前で毎日回っていたそうです。私が生まれてから、2つの法輪は見えなくなりました。私はまだ歩けず、喋り始めた頃から『洪吟』の中の詩を暗唱することができて、当時は師父の法身も見えました。小さい時から、大法弟子の家に生まれた子供は法を得るために生まれて、重大な使命を背負っていると母に教えられ、私も師父から与えられたこの栄光を大切にしています。

 2002年から母の勤務先は大法弟子に対する迫害に加担し、私の父、父方の祖父母も母の修煉に反対して、このような厳しい環境の中で、とうとうある日、母は退職し家を出て、ほかの都市に行きました。母と再会したのは2年後で、私が4、5歳の時でした。母は隣の都市に住んでいたので、私に会いに来られるのは週末だけでした。毎回会う時に、母は私と一緒に学法煉功をして、私を連れて大法の資料を配っていました。

 中国共産党が発動した迫害は、私から安定した成長の環境を奪っただけでなく、私の修煉環境も壊しました。母と一緒に安定した暮らしの中で修煉することができたのは、私が17歳になってからです。

 2、新型コロナウイルスが流行中に生死の関を乗り越える

 2019年の冬休みに、私は学校から家に帰り、もうすぐ旧正月という時に、新型コロナウイルスが勃発しました。すると突然、私に新型コロナウイルスに似た症状が出ました。咳をすると一日中止まらなくて、夜は咳で眠れませんでした。咳をする時に出した音が大きくて、息切れもして、頭がくらくらして熱もあり、心臓はとても重い感じがしました。私にできることは、今までよりもっと学法と煉功に励むことです。そして、ずっと内に向けて自分の問題点を探していました。

 師父が法を正す期間の終了をずっと遅らせておられるのは、多くの大法弟子の修煉がまだ合格に達しておらず、多くの衆生はまだ救われていないからだと思いました。同時に、私のような大法弟子の家に生まれて、今は青年大法弟子にまで成長した若者に修煉を急ぐ機会を与えられているためだと思いました。周りを見てみると、法輪功迫害の真実を理解していない同世代の若者がとても多く、私たちのような若い大法弟子は彼らに真実を伝える責任があります。これは私たちの使命です。

 小さい時から、ずっと自分は次の段階の大法弟子だと思って、そのため修煉はそれほど精進していませんでした。今、自分は法を正す時期の大法弟子で、幼い頃の基準で自分に甘く要求してはならないと考え直しました。十数年間に逃がした学法と煉功の時間を、これから取り戻さなければなりません。私は母のそばで修煉に励んで、病気の観念を捨てました。そのように巨大な生死の関を、1週間で乗り越えました。

 体調が回復すると、私は出かけて対面で真実を伝えました。以前、母が修煉するのを見て、自分はまだ若くて、これから時間も修煉の機会もまだたくさんあると思っていたのですが、今回の「病気」を経験してから修煉の厳粛さを意識し、大法の要求がますます高くなり試練もますます厳しくなっていることを実感しました。

 ある時、洪水に出くわした夢を見ました。洪水は後ろから追ってきて、私は一生懸命に走って、前方には船があり、自分の手には船のチケットを持っていること、船に自分の席があることを夢の中でとてもはっきりと分かっていました。この夢は師父からのご教示で、急いで皆さんに追いついて、さらに精進するようにと師父は私に教えて下さっていたのです。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/21/433166.html)
 
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