文/Arnaud H.
【明慧日本2021年12月3日】(前号より続く)
紫色の吉祥と尊貴
伝統文化で黄金色と同列に論じられる色は、紫色です。この色は、「紫気東来」(紫の気が東から来た)という典故でよく知られています。中国人は、紫の気が吉祥で縁起の良い代表だと思っています。道家も紫の気を重んじます。例えば、仙人が住むところは「紫府」といい、道家の経文は「紫書」と言います。
その源が非凡であるため、紫は伝統文化で「尊貴」を象徴しています。『後漢書』の巻48に「天有紫微宫,是上帝之所居也。王者立宫,象而為之」とあります。日本語に翻訳すると、「天上に「紫微宫」という宮殿があり、上帝が住むところだ。地上の王は宮殿を建てる時、天上の宮殿を真似て作る」となります。中国の古代人は、「天人合一」と重んじ、都市計画も天道に合わせなければいけません。天上の上帝は「紫微宫」に住みます。「紫微星」(しびせい:古代中国の天文学で、紫微垣(しびえん)に属する星。北斗の北にある)は「帝星」と見なされます。地上で天から受命する「天子」の住むところは、天上の「紫微宫」と対応します。歴史上、隋唐の時代に「紫微城」、明清の時代に「紫禁城」と呼ばれるのはこのためです。
このように伝統文化では、金も紫も貴いのです。この二つの色は表面的には全く異なりますが、実は何ら矛盾していません。この二つの文字はよく一緒に使われることもあります。『大蔵経』の諸佛についての記載に、大量の「紫金」という言葉が見られます。例えば、『観佛三昧海経』で釈迦牟尼佛に関して「迦牟尼佛身長丈六,放紫金光住行者前(紫の金色の光を放ち行者の前に現れた)」とあります。他の佛についての記述でも「紫金」という言葉が多く使われています。例えば、「毘婆尸佛」には「身紫金色八万四千相」と形容し、「迦葉佛」には「身紫金色相好具足」と形容されています…。
修煉界の多くの人々が「同じ色でも異なる次元では色彩が異なる」ということを知っています。一般の人でもこれを体験することがあります。例えば、赤をじっと見つめ、しばらくして目を閉じると緑の残像が現れます。そしてある研究によれば、黄金色が紫に見える現象が見つかりました。
皆さんもご存知のように、物質は、ミクロの粒子で大きい粒子を構成しています。黄金の場合、もしミクロのナノメートル(1ナノメートル=0.000001mm[ミリメートル])級の微粒子の大きさを変えれば、例えば、ナノメートル級の黄金粒子を流体培地(流体培地は水、或いはゲルのもの)に入れてコロイド状ゲルの金粒子懸濁液とすると、溶液の中で黄金の微粒子のサイズが100ナノメートルより小さい場合は溶液が赤色になり、100ナノメートルより大きい場合は、溶液が青色や紫色になります。もちろん、どんな色であっても、この物質は本質的に黄金です。
赤から紫まで変化する金の粒子 (上段)大きさの異なる金の粒子が入ったボトル(下段)ナノスケールで大きさの異なる金の粒子 |
この現象は、修煉の書籍に記されたものを彷彿とさせるでしょう。そこに記された神佛の世界では、すべてのものが輝いて光を放ってますが、よく見れば、中の物質や生命には独自の色彩があります。現代の機械的な思考方式にとらわれた人は、伝統的な経典の内容が矛盾しているように思うかもしれません。しかし低い次元の平面的な思考方式が、高い次元の立体的な時空に触れることを閉ざしてしまう可能性に注意する必要があります。そして金にも異なる次元の金があり、各次元へ奥深く見ていくと、その色も異なります…。
美術界には、紫磨金という顔料があります。例えば、19世紀中頃のイギリスの物理学者マイケル・ファラデー(Michael Faraday)の研究によると、17世紀ドイツの「カシウス紫」(Cassius'scher Purpur)という顔料の成分は、極めて細かい金の粒子なのです。
もちろん、黄金を使って紫色を作ることはしませんが、近代工業文明が発達する以前、顔料の原料は基本的に天然材料から取り出していました。そして東洋でも西洋でも、紫色の原料は非常に稀でした。中国古代の紫色染料は、産量が低い「ムラサキ」という草の根から取り出していました。しかし大量のムラサキを数回にわたって加工し、しみ込ませる工程が必要で、しかも退色しやすいのです。西洋の初期には、形が小さいアクキガイから紫色を取り出していました。しかし、一つのアクキガイから取り出せる量は非常に少なく、工程もかなり複雑なので、とても高価でした。またヨーロッパのブルーベリーの汁液から取り出すこともありましたが、色は青に近く、その産量はとても僅かでした。
これらの希少で高価な原料は、古代の市場での紫色の位置づけを高いものとし、東洋でも西洋でも、とても貴重なものとなりました。例えば、中国唐朝では、三品以上の官吏だけが紫色の官服を許されており、民間には許されませんでした。西洋ではユリウス・カエサルが全て紫色のローブを好みました。そして徐々に紫が貴いという考えが伝統となりました。数世紀後の東ローマ帝国の王族は「紫に生まれる(皇帝の嫡子)」(Porphyrogenitus)という言葉を用い、自分の出自が正統と表しました。
(続く)