長春市の崔玉芳さん 迫害されて死亡
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 【明慧日本2021年12月3日】(吉林省=明慧記者)長春市の法輪功学習者・崔玉芳さん(以下、学習者)は、1994年に法輪功を学び始めた。1999年7月20日に中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害した後、崔さんは迫害の実態を人々に伝えたとして、何度も連行されて労働教養を強いられた。それ以来、嫌がらせが絶えなくなり、2021年10月20日、崔さんは迫害の中で亡くなった。享年62歳。

 1999年7.20、中共による法輪功への迫害が始まった後、崔さんは北京へ陳情に行ったところ、不当に連行され長春に連れ戻され、八里堡拘置所で15日間拘束された(正確な日付は不明)。

 二度労働教養を強いられる

 2000年12月、崔さんは他の2人の学習者と一緒に長春市第一留置場の壁に法輪功迫害の実態が書かれた資料を貼ったところ、警備員に見られ、武装警察に通報された。3人が武装警察の正門を通りかかった時、出てきた武装警察官らに連行され、長春市の寛城区興業街派出所に送られた。当日の夜、3人は八里堡拘置所に拘束された。10日後、崔さんは1年3カ月の労働教養を強いられ、他の2人の学習者はそれぞれ1年と1年6カ月の労働教養を強いられ、3人とも吉林省黒嘴子女子労働教養所に拘禁された。

 2005年5月、崔さんと他の2人の学習者は、寛城(かんじょう)区の長新住宅地で、迫害に関するパンフレットを配布していた際、真実が分からない人に通報された。3人は資料を配布終了後、住宅地から出て来た時、すぐ寛城区凱旋路派出所の警官らに連行された。派出所で、3人は両手を後ろに回して手錠をかけられ、上に持ち上げられ、平手打ちをされるなどの拷問を受けた。1人の学習者は暴行を振るわれた時、目を負傷してしまい、今でも文字を見るためには目を本にかなり近づけて(3センチくらい)読まなければならない。翌朝、崔さんと1人の学習者は長春市第三留置場(双陽奢嶺留置場)に送られ、もう1人の学習者は長春市第一留置場に拘禁された。

中共酷刑示意图:吊铐

拷問のイメージ図:両手を後ろに回して手錠をかけられる

 20日後、崔さんは吉林省女子労働教養所に送られ、1年6カ月間拘禁された。 他の2人の学習者は、1人が長春市朝陽溝労働教養所で2年間拘禁され、もう1人は15日間拘束された後、解放された。

 再度、2回連行される

 2012年初冬のある日、長新街派出所の警官と名乗る数人が崔さんの家にやって来て「同じ名前の学習者を探している」と言い、崔さんを見たあと「探している人は彼女ではない」と言って帰った。

 翌朝、寛城区柳影路派出所の警官は崔さんの自宅に侵入し、崔さんを柳影路派出所まで連行した後、午後に家宅捜索を行い、法輪功創始者の写真とパソコンを押収した。武装警察病院で身体検査を受けたところ「崔玉芳は脳血栓症で入院が必要だ」と診断された。しかし、柳影路派出所の警官は崔さんを留置場に送った。留置場は体調が原因で崔さんを拒否したため、崔さんはその夜に帰宅した。

 2016年の春、崔さんは他の学習者に頼まれ、真相紙幣(法輪功の文言が印刷してある紙幣)の両替を手伝っていた。ある学習者が紙幣を持って来た途端、警官らは崔さんの家に押し入り、紙幣1万元(約18万円)を押収し、2人を柳影路派出所まで連行した。当日の夜、2人は葦子溝拘置所に送られたが、体調不良のため入所を拒否され、深夜12時頃に帰宅した。現在に至るまで、 1万元は未だに返還されていない。

 中共の迫害により死亡

 崔さんは2015年に迫害の元凶・江沢民を告訴した。それ以来、中共が打ち出した2017年の「ノック運動」、および2019年の「ゼロ行動」の中で、 崔さんは警官による電話や自宅での嫌がらせを絶え間なく受けていた。

 崔さんには子供がおらず、数年前に夫を亡くして悲しみに暮れていた。2021年5~6月から、崔さんは体調が急に悪化し、階段を降りられなくなった。その時でも、寛城区興業街コミュニティの関係者と寛城区興業街派出所の警官らは、引き続き嫌がらせの電話をかけてきた。

 中共による長年の迫害を受け、肉体的にも精神的にも追い詰められていた崔さんは、2021年10月20日に亡くなった。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/28/434142.html)
 
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