学法し、心性を修めて衆生を救う
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文/オーストラリアの大法弟子  

 【明慧日本2021年12月8日】私は、この1年間の「三つのこと」を通して体得したことを師父にご報告し、同修と交流したいと思います。

一、学法し、心性を修める

 のどが乾いたら水を欲し、お腹が空いたらご飯が食べたくなるように、学法は心から望んでいることです。もし学法がよくできていれば、人の少ない所にいても、たとえ交流する人がいなくても、決して孤独を感じないと思います。

 常人ならば、名、利、情が満たされないと喜べないでしょう。しかし学法を重視する人なら、大法の助けでその束縛を突破することができます。法から得られる喜びは、人間の本質にある愚かなものを深く抑制し、修煉者が常人社会のものに誘惑されないようにすることができます。

 法を読むと、多くのものが自分に語りかけていると感じます。大法が良いと言うだけでなく、それに従ってしっかり実行することが重要だと思います。

 魔難の中、悩みを抱えている修煉者は平静でいられず、考え方が法から逸脱しやすいのです。しかし、困難な状況にあっても、法から一歩も外れない修煉者もいます。なぜでしょうか? それは、その人がしっかりと大法を学び、困難に遭遇しても恐れないからだと思います。私は、法を学ぶことが好きです。肝心な時、他人に私の考え方と合わせて欲しいと要求するのではなく、自分の修煉の意志を磨きたい気持ちになります。

 私は学法するたびに、「人がこの世に生まれてくるのは、ただ生活を送るためではない」という道理を繰り返し考えるようになりました。この認識のおかげで、私は何事に対してもエネルギーが湧き、時の流れに抵抗できるよう大法が導いてくれました。大法をよく学ばなければ、精進する気持ちにはなれません。

 集団学法は、師父が残した修煉形式の一つです。ある晩、学法グループの学法に参加したとき、大法の内包や大法の弟子になるということの内包を、知らず知らずのうちに少し理解したと感じました。その日、「春夏秋冬さえ忘れてしまうぐらい、途切れることなく学法できたらどんなに素晴らしいことだろうか」と、ふと思ったのです。これは突発的な思いではなく、師父が救い済度するために私に与えてくださった正念によるものです。それ以来、私は、いつでもどこでも大法を思い出すようになりました。集団で学法する素晴らしさを経験したおかげで、かつて執着していた常人のものを、今では全く欲しいと思わなくなりました。

 人類社会は迷いの空間です。心を込めて学法して初めて、悟りを得て、迷いの空間から抜け出すことができるのです。

二、現実の中で心性を修める

 2020年は疫病が蔓延し、多くの人にとって最悪の1年になりました。しかし私にとっては、修煉を新たな気持ちでスタートさせた1年となりました。

 この6年間、関が来るたびに、私はそれを避けずに乗り越えようと努力してきました。「忍とは心性を高める鍵です」[1]という師父の教えにもとづき、問題に遭っても向上する機会ととらえ、忍耐することができました。いつも「なぜ自分がこのことに遭遇したのか? どんな執着心がそうさせたのか? 自分をどれだけ変えられるのか?」と考えました。このような正しい考え方をすることで、私はいつも平穏でいられます。

 しかし思いもよらず、2年前から今までにない苦難に遭遇しました。私はいつも楽しんで学法し、トラブルの中で他人に目を向けることはほとんどありませんでした。「ではなぜ、このような苦難が現れたのだろうか」と、不安な気持ちになりました。そんな時、ある同修から「あなたなら乗り越えられる。きっと乗り越えられる。全知全能の師父がいらっしゃるから」という励ましのメッセージが届きました。

 私は、苦難を乗り越えるたび、その過程での正念と正しい行いを振り返ります。しかしこれによって長期的に魔難の中で修煉するという観念を受け入れてしまい、旧勢力の罠にハマっていたと気づきました。このような回顧と自己肯定は、自分に重きを置き、自分の意志を優先し、師父と大法を二の次に考えることになります。個人の修煉に重点を置きすぎて、大法を人為的に自分から切り離してしまい、大法の威力を発揮させることができませんでした。私は「関を乗り越えることは、もちろん行わなければならない。しかし決して自己満足であってはならない」と気付きました。その後、大法を一番に考えるようになると危険はなくなりました。

 修煉者は「三つのこと」を重視し、修煉を疎かにしてはなりません。さもなければ本末転倒になってしまいます。執着心がある限り、大小にかかわらず難が必ず現れます。執着心が取り除かれると、当然ながらそれは現れず、根本的な問題まで解決してしまいます。

 執着心を取り除くには、2つのことが重要だと思います。1つ目は、学法を続けることです。頭の中を大法で満たすと、常人の考えが入る隙がなくなります。2つ目は、現実社会の中で錬磨することです。

 師父は「人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」[2]とおっしゃいました。

 何か悪いことに遭遇したとき、「すぐに師父のことや大法のことを思い出せるか、他人のせいにしないか、或いは他人が自分に向上させるチャンスを与えてくれたことに感謝できるか」という心の動きが人間と神の違いです。

 他人から傷つけられたとき、内に向けて探すことを拒み、自分に厳しくなければ、口でいくら修煉者と自称しても、少なくともその点においては常人なのです。肝心なとき、本当の修煉者であれば平常心がとても重要です。我慢できずに相手を責めたりして、その後に謝罪するというのではいけません。大きな難関を乗り越えた後に、修煉の素晴らしさを体験することができるのです。

 生活や仕事で心を動かされることに出会ったら、それをとらえて、ごく小さな一念も見逃してはいけません。もし心が動じるのあれば、真正面から自分と向き合い、心にある問題を探すべきです。トラブルの中でも心が平穏であれば、大丈夫です。

 トラブルの中で常人の小さな一念は、別の空間では一塊の業力になっているかもしれません。その一念の根源を突き詰めると、相手のせいではなく、利己的な欲望だと分かり、それに気づくことがトラブルの解消につながるのです。

 もし闘争心に満ちていたら、悟りの境地に達することはできません。修煉者に敵はいませんし、自分が傷つけられたことを放下し、同修との隔てをなくし、より多くの衆生に大法の真実を伝えることが重要です。

 以前、あるプロジェクトで多くの時間を費やしたにもかかわらず、否定されたことがあります。確かに自分にも問題がありました。しかし、相手は私と直接コミュニケーションを取るのではなく、ただ横やりを入れてきたので、私は耐えられませんでした。そのことで、私は重い足を引きずって出勤し、その日の8時間をどう過ごしたか分かりません。何度も試練を乗り越えたのに、今度は泥沼にはまるのではないかと不安になりました。幸いなことに、次の日になると私は自分の内に向かって探し、答えを見つけようとし、奮い立たせる気持ちになりました。

 一つの念一つの考え、一つの言葉一つの行動、その全てを修め、最後まで続けることは容易ではありません。もし心が動じず、利己ではなく利他であれば、心はどれほど楽になるでしょう。それは大法を修めていると言えることです。法を正す修煉は終わりに近づいています。私たち大法弟子1人1人が、着実に修煉の道のりを歩んでいくことを願っています。

三、大法の真相を伝えること

 もしも今日、三つのことのうち二つを行わず、大法の真相を伝えることだけ努力したとしても向上した気がしますが、大法の真相を伝えず、他の二つのことを頑張って行なっても、向上した気になりません。当然三つとも大切ですが、真相を伝えることがとても重要だと思います。

 歴史上、修行者は俗世間から離れ、非常に長い年月で苦しみを味わいましたが、結果的に何も得られずに終わりを迎えます。一方、法を正す時期には集団学法やプロジェクトチームがあり、修煉者は常に交流することができます。これによって修煉の難しさが大幅に緩和され、真相を広めようという熱意を維持することができます。

 メディアは大規模に大法の真実を伝えることができます。私も昨年からプロジェクトチームに参加し、そこも広い世界だとを知りました。チームの活動は、道で出会った人に、直接に大法の真実を伝えることとは違います。私は一人暮らしですが、プロジェクトのチームワークのおかげで、ある種の困難を克服することができました。その困難は、独修の人には乗り越えられないものだと思います。私は毎週、協調人を安心させるために、できるだけ早く仕事を終わらせようと考えています。修煉は毎日、毎週、毎年、天体の軌道のように止まらずに動くのがとてもいいと思います。

 修煉者としては、協調人に迷惑をかけないようにすることが大切です。翻訳者の私は「もし担当する記事が現代社会を超えて面白いものなら嬉しい。社会情勢に関する記事はあまり翻訳したくない」と思っていました。ところが、協調人が私に最初に与えた仕事は、社会情勢に関する記事ばかりでした。

 しかし、大法は私の良くない考えを正し、政治に関与したくないという考えが消えました。その間、私は社会情勢に関する記事を心を込めて翻訳しました。

 翻訳者の仕事のほか、私は直接に大法の真実を伝えることも行なっています。 2020年、武漢で肺炎が発生した後、ある医師と出会いました。彼女は1950〜60年代の知識人に見えたので道徳水準が高い人だろうと思い、彼女に「うちの両親から聞いた話ですが、昔の医者は薬を処方するとき、よく考えてから出したそうです。薬はとは言え、みんな毒があるからですね。でも、今の中国の医者はみんな儲けのために、患者さんに西洋の薬や漢方薬を使いまくっていますね」と言いました。彼女はうなずきました。

 私は「大長今は朝鮮の歴史上、最も有名な医者です。なぜ彼女は疫病蔓延地区で感染した子供を抱っこしていたのに、自分は大丈夫だったのでしょうね」と言うと、彼女の表情が変わって「そういう可能性もありますよ」と答えました。彼女の表情から、この人は医療倫理を認めている人だと感じました。彼女も大長今は高徳な医者で、徳を持っているから病気に侵入されないと認識していたようです。無神論の人がこのように理解するのは難しいでしょう。そこで私は急いで、肺炎の初期の流行のことと、万能薬とは何かを彼女に話しました。彼女は私と別れる際に、「これからもっと大法の真実を理解していきます」と約束してくれました。

 昨年、パンデミックが発生した直後、私は中国にいる音楽の先生に電話をして、共産党による疫病の隠蔽の話をしました。1回目は、彼女が家庭の雑談のことばかり話したので、私は伝えたいことが話せずにイライラしてしまい、冷静な会話ができませんでした。そして彼女に「あなたは外国にいるので電話でこのような話をしてもいいが、私は中国にいるから、安全上の問題があります」と言われました。

 2回目は「落ち着いて話そう」と思い、まず心配そうな口調で「疫病の流行はまだ終わっていないので、必要がなければ旅行には行かない方がいいですよ」と言うと、彼女はすぐに私の話を受け入れました。彼女は今度は家族のことをほとんどしゃべらず、「今年(2020年)は27の省と市が洪水に見舞われました」と言いました。彼女の話に続き、私は「三峡プロジェクトは有害です。ある水資源工学の専門家は、『30分あれば、このプロジェクトの危険性を説明できる』と言ったのです。彼が語った12の危険のうち11は、すでに実現しているようです。共産党は専門でない人にプロジェクトを担当・管理させているからです。それなのに、専門家には30分の時間も与えません。共産党の傲慢さがこのことからも分かるでしょう」と話しました。彼女は気候変動に関心があり、三峡プロジェクトが長江中下流域の生態系を変えてしまったと分析し、「重慶の夏は火炉(酷暑)だったのですが、今は温暖な気候になりました。この異変は、三峡プロジェクトがもたらしたものかもしれません」と言いました。

 大法の真実を伝える過程で、量的、表面的な効果を求めることは、常人の次元で仕事をすると同じです。音楽の先生は今回、些細なことではなく、自分が関心する問題について話してくれたことから、「先生は救われる人だ」と思いました。電話を切ろうとしたとき、彼女は「一緒にこの災難から抜け出して、この災難の目撃者になりましょう」と約束してくれました。

四、終わりに

 この世で生きること自体が容易ではありません。常人は「良い暮らしは3日も続かない」とよく言いますが、修煉者も、1日もゆっくり過ごす日がないかもしれません。しかし必ずしもこの人の業力が多いとは言えず、恐らくこの人が修煉できる人で、しかも重い責任を背負っていて、佛から試練を与えられているからかもしれません。

 大法弟子1人1人が誓約を果たし、師父や衆生の大きな期待に応えられるように頑張りましょう。

 以上、不適切なところがあれば、同修の慈悲なご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/12/433540.html)
 
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