明慧法会|恨みを捨て誓約を果たすため世に来た (一)
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文/河南省の大法弟子  

 【明慧日本2021年12月9日】私は修煉する前、結婚や家庭上の紆余曲折を経験し、心身ともに大きな打撃を受け、悲しみと失望で、生きていく自信を失っていました。その後は幸運なことに大法修煉に入り、人間の一切のことは因縁関係があると分かりました。唯一大法の修煉だけが返本帰真できるのです。

 13年の修煉過程を振り返り、師父の慈悲なる済度に感謝しています。迷いの中で生命の回帰の梯子を見つけたのです。

 一、魔難の中で苦しみもがく

 前夫(以下、F)には浮気相手がいて、2007年に私は子供を連れて離婚しました。そのとき子供は6歳で、小学校に上がったばかりで、毎日登下校に送り迎えが必要で、夜には子供の宿題を指導しました。私の職場は家から比較的遠く、仕事は忙しく、頻繫に残業がありました。

 私は毎日朝早く起きてご飯を作り、家を片付け、子供を学校に送ってからバスに乗って仕事に行きました。バスから降りて、15分の道のりを、遅刻しないように小走りで仕事場へ行き、毎日疲れて息が切れ、働き過ぎてめまいがしました。また家庭が順調にいかないので、私は機嫌が悪くなったり、不機嫌になったりして、仕事も上手くいかなくなりました。

 子供は小さい頃から身体が弱く、頻繫に風邪をひき、咳をし、熱を出し、薬を飲み、注射は普通のことでした。私は1人で子供を連れて病院を往来し、心配で怖くて、内心とても苦しく辛かったのです。また私自身もしょっちゅう病気になり、薬が欠かせませんでした。ある日、私は酷い風邪を引き、熱を出し、ベッドに寝込んで3日間起きられず、私と子供はご飯も食べられませんでした。心身はとても疲れ、頻繫に夜起き、その時、次の日には自分は起きれないかもしれないことを心配し、疲れて死んでしまうのではないかと思いました。私は故郷から離れていたので、頼れる人もなく、苦しみをだれにも言えず、泣ける場所もなく、30過ぎの私は、白髪が多くなりました。

 二、幸運にも大法に出会い 心がほどけた

 2008年、私は幸運にも大法に出会いました。最初『轉法輪』を読んだとき、私は泣きました。自分がなぜ泣いたのか分からず、しかし泣きたくなりました。私はよく法理が分からず、読んでも多くの分からない所がありましたが、しかし読みたくて、大法の本を読んだ後、私の心はとても明るくなりました。その感覚はどんな本でも、どんな人でも、自分の父母でさえ与えることが出来ないものでした。

 離婚後の苦しい日々の中、私はどんなことがあっても、『轉法輪』を開いて読めば心は落ち着き、静かになりました。何気なく『轉法輪』を開いても、まず目に飛び込んでくるのは必ずそのときの心の矛盾を解決できる法なのです。大法の法理は瞬時に私の心の奥深くに入りました。常人が放下出来ない恩讐や憎しみは、『轉法輪』を読むと、一回一回、ますます小さくなっていきました。

 師父は「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」[1]と説かれました。

 法の中で、私は人間の本当の目的が分かり、自分の生命の源は天上にあると分かりました。修煉する前、私の人生はまるで断崖絶壁にいるようで危険極まりなかったのです。法輪大法の博大な法理は私を救い希望を与えて下さり、私に勇気と生活する力を下さいました。

 師父は「一人が法を得れば、全家族が受益します」[2]と説かれました。

 私と子供の身体はますます良くなり、仕事と生活もますます順調になりました。

 三、修煉する中で執着心を放下する

 前夫のFは離婚後、経済が逼迫し、会社も倒産し、仕事を失いました。以前の不倫相手も彼から離れました。彼はときどき私からお金を借り、いつも返すと約束して、私に彼の銀行カードに入金するように言いました。ときに子供を連れて遊びに行き、帰るお金がないことを口実に、私からお金を要求しました。

 私は彼と争いたくなく、彼にお金を渡しましたが、今まで返ってきたことはありませんでした。それからは彼にお金を貸すことをせず、もう彼からの電話を取るのをやめました。彼はショートメッセージを送って私を脅迫し、罵り、ドアまで来て騒ぎました。このことはいつも私と子供を心配させ怖がらせました。私は心の中でとても苦しく、彼を恨み、彼を嫌いました。私はたまに同修にFのことを話すと、同修は「あなたがこれら心の怨みを全て放下すれば師父はあなたを助けて下さいます。あなたが放下出来なければ、師父はどうすることも出来ません」と言いました。しかし私はどうしたら放下出来るでしょう? どうやって放下出来るというのでしょう?!

 私が第五式の煉功を始めたばかりのとき、エネルギー場がとても強いと感じ、師父が私の身体を浄化して下さっていることを感じることが出来ました。しかし第五式の煉功が40分になると、私はいつも堅持できず、長い間突破出来ずにいました。

 ある日、私がちょうど足を組む準備をしているとき、Fからのショートメッセージを受信しました。彼はまた私を罵り、私の職場へ行って騒ぎ立て仕事が出来なくさせてやると言いました。私は心の中で耐えられないほど苦しく、この苦しい生活はいつになったら終わるのか、涙が止まらなくなりました。このとき、私は同修に言われた「放下するように」を思い出し、彼に返事をせず、彼と争いませんでした。泣いてから、私は継続して足を組んで静功しました。しかし坐禅のとき、私は全く静かになれず、心の中で強く思い出して、悔しく、怒りは私の心臓を痛くさせました。坐禅して40分になっても、私は足を下ろさず、なぜなら足の痛みは、心の痛みに比べればすでに痛くないからです。私の心はとても痛み、悲しみ痛みました。

 師父は「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません」[1]

 「煉功する時、業力が転化されなければなりません。『失わないものは得られず』、しかも失っていくものは悪いものなので、あなたはその代償を支払わなければなりません」[1]

 「なぜかと言えば、あなたの身体に業力があり、相手が消去するのに手を貸してくれたのに、あなたは喧嘩を買ってしまって、それを拒否したので、消去されませんでした」[1]と説かれました。

 私は絶えず法を思い出し、涙が汗に変わり、思想もだんだんと静かになりました。ついに、私は1時間の坐禅が出来ました。煉功が終わってから、私は突然思いました。Fはもしかして私の修煉を助けに来たのではありませんか? もしそうであれば、私は彼に感謝すべきでしょう! ここまで思って、私は心の中で一気に釈然とし、心臓もそんなに痛まなくなりました。

 それからまもなく、路上で見覚えがある人を見かけましたが、誰だか思い出せませんでした。この人が去ってから思い出しましたが、Fではありませんか?! 私は意外にも彼を覚えていませんでした! それまでの私は骨まで彼を怨んでいましたが、私の心に彼はいなくなり、私は本当に彼を怨まなくなったのです。私は笑い、また師父の説かれた「一挙四得」[1]の法理が分かりました。

 それから、Fはだんだんと私に面倒を起こさなくなり、仕事を探し始めました。子供が中学生になったとき、彼は学費の一部を負担し始めました。私は分かります。私が怨む心を放下したから、師父は私の良くない物質を取り除いて下さっただけでなく、私の生活の問題まで解決してくださったのです。

 四、人を救うことは私の責任

 子供が高校に上がってから、私の時間が増え、集中して師父の各地の説法が多く学べました。

 師父は「男女の結婚は神が決めたことで、人類の存在方式、生活方式もそうです」[3]

 「大法弟子は法にのっとって修め、大法弟子の三つのことをしっかり行なって初めて、道を正しく歩み、自分の不足を洗い落とすことができます」[4]と説かれました。

 師父の説法は大きく私の心を動かしました。私は自分の結婚のことを思い出し、たとえFに間違いがあっても、彼は離婚したくなく、私が強く離婚したがったのです。それは私が神の按排に背いたからではありませんか? 私は心の中でとても悩みました。私が悟ったのは、私とFが今生で夫婦になったのは、大きな縁があるからで、あるいは縁を結んで法を得に来たのかもしれません。私はすでに法を得ましたが、Fは私たちが離婚したことで法を得られないかもしれず、さらには救われないかもしれず、それは私の間違いではありませんか? ここまで思って、少しも気が休まりませんでした。こんなに長年、Fも苦しみ、固定の仕事がなく、安定した収入がなく、家もありませんでした。いつも外で仕事をして、走り回るのも容易なことではありません。私たちは縁があり、私は彼を探すべきで、彼に真相を伝え、救うことは私の責任です。

 これらのことを悟りましたが、本当に見つけるのはとても難しいと思いました。以前の怨恨心が絶えず思い出されます。子供が生まれたときFに愛人ができ、家にあまりおらず、離婚して10年間、私は1人で子供を育て多くの苦労をしました。Fは大法を修煉する私に間違った見方をしないでしょうか? そのことで職場で騒ぎを起こさないでしょうか? 私は彼に会いたくありませんでした。

 師父は「個人修煉の中でのあなたの敵を含む全ての人を許すまで心を広くすべきです」[5]と説かれました。

 私は師父の法を思い出し、師父が私たちに、他人を先に自分は後にと教えて下さった事を思い出し、何かをする時はまず相手を考慮するのが覚者です。心の中で恥ずかしく思いましたが、しかしまだジレンマがあり、1年ほど前から悩んでいました。自分は良く出来ていないと思い、師父に申し訳なく、いつも師父の写真の前でひざまずいて泣きました。

 この1年の時間の中で、 Fは頻繫に私に電話してきて、子供に物を送ってきたり、子供の大学受験について相談したりしてきました。私は分かっています。これは実際には師父が私に真相を伝える機会を与えて下さっているのです。しかし、私の心にはまだ放下出来ていない執着があり、その怨恨の物質が取り除かれておらず、チャンスをつかめませんでした。

 子供の受験の前日、Fがまた電話してきて、子供にご飯を送ってこようとしました。私は必ずこの機会を逃さないようにしようと思いました。子供は復習の授業があるため、私は子供に代わって受け取りに行き、この機会にFに真相を伝えようと思いました。

 Fに会ったとき、まず彼に中共邪党の邪悪さ、乱れた社会で様々な悪事をおこなったことを話すと、彼は同意しました。私はまた彼に幾つかの伝統文化を話し、彼に人間として神佛の存在を信じるべきだと言うと、彼は信じると言いました。私は彼に三退に同意するかをききました。「獣の印を消せば、神佛の保護を得て平安になることができますが、どうしますか」と聞くと、彼は大きな声で「同意します!」と言いました。

 それからFはまた、「自分は信仰を持ちたい」と言いました。私はすぐに、「それなら法輪功を信じたらいいですよ!」と言いました。私はその流れで大法の真相を伝え、私が大法を修煉してから心身ともに受益した幾つかのことを話しました。彼はとても真剣に聞き、またこんなに長年私が子供の世話をしてきたことを感謝してくれました。最後に、私は彼に一つの大法の真相のお守りと、真相小冊子を何冊か渡し、彼に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えるように言いました。彼はすぐに真剣に念じて、お守りを念入りにしまいました。

 これらのことを終えて家に帰ると、まるで夢をみているようでした。全てが不思議にも順調に進み、長年来、この時を待っていたようです。私は師父が全てを按排して下さり、ただ私はそれを行っただけだと知っています。師父の慈悲なる加持で、私は私心を放下し、Fが救われ、私が向上する機会を与えて下さったのです。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「済南での説法 質疑応答」
 [3] 李洪志師父の著作:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『二〇一二年米国首都国際法会での説法』
 [5] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/19/433158.html)