私は『明慧週刊』を配るのが好きです
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 文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年12月11日】中国では公に法輪功の資料を配ることができません。そのため、私達は資料を配るとき、その資料の体積が小さく、内容が豊富で、読まれる可能性の高いもの、説得力のある資料を望んでいます。

 私は『明慧週刊』が適していると考え、新聞のように大法の国内外での報道記事があり、記念日に関する報道もあり、例えば、『共産党について九つの論評』が発表されて17周年についての報道では、中国共産党の邪悪さを暴いた事により、脱党ブームを引き起こしました。さらには「珍文寄語」の項目に掲載された文章『私の2人の爺ちゃんの実体験』、さらには法輪功学習者の修煉エピソード、さらには中国で受けている迫害と迫害制止に関する報道、あるいは中国国内での重大なニュース、鄭州市の水害、武漢の疫病について適時な報道がありました。

 内容はよく編集されていて、ただ単に修煉の内容だけでなく、大きな社会問題にも決して無頓着ではなく、衆生への配慮、大法の普及、衆生を害する邪悪の暴露と非難に満ちています。

 『明慧週刊』は、A4用紙2枚を折りたたんだもので、一度に何十部持っても目立たず、配布にも便利です。 そこで私は、『明慧週刊』の内容が良いと分かってからは配り続け、天気の良い日には配りに行っています。この場を借りて『明慧週刊』の編集者に「お疲れ様です」と一言を申し上げます。心から『明慧週刊』がますます良くなるように願っています。

 他に話したのは、『明慧ネットはただの無料の資料庫なのでしょうか?』という文章の中で、「私達は見たのですが、学習者自身のメディア、個人メディア、ウェブサイト、書籍、さらには個人の学術論文などは頻繁に、明慧ネットの文章、真相資料、明慧報告、年賀や祝辞を大量に引用しています。しかし、公開する前に明慧ネットと明慧記者の名前を削除して発表しているため、明慧ネットがこの文章、資料、統計の原著者であることが抹消されました」と述べられました。

 私の考えでは、学習者自身のメディアの権威や方向性の把握は、明慧ネットと比べようがありません。明慧ネットの文章を使用して、明慧ネットの名前を削除して発表するのは、人を救うためですが、その行いはすでに純粋ではなくなり、多かれ少なかれ利己的な目的があるのではないでしょうか? このように行い続ければ、名声は大きくなり、読者がこのメディアを信じるようになり、不純の要素をもつ文章が人を救うことができますか?

 『明慧週刊』が選んだ文章内容は、世人を救うために非常に適切であり、非常に純正で、政治に参与することなく、邪悪を見逃すことなく、これはほかのメディアができないことです。学習者として人を救うことにおいて、まず正しく行わなければならず、同時に自分の名利心を取り除かなければならず、特に人を救うプロジェクトにおいて、私(し)のための名利心があってはなりません。

 個人の浅はかな見解であり、不適切なところがあれば、ご海容ください。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/4/434297.html)
 
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