文/中国河北省の大法弟子
【明慧日本2021年12月20日】私はどのようにして邪党の監視カメラを気にすることなく正々堂々と「三つのこと」を行ってきたのかについて、交流したいと思います。
先日、私が住んでいる都市のすべての交差点や道路に監視カメラが設置されました。私がいる団地は100戸もない小さな団地ですが、玄関から出た先の道にはすでに4台のカメラが設置されました。
最初は出入りするために視野に入ってくる監視カメラを不愉快に思い、そのうち、恐怖心が沸いてきて、大法弟子を監視するために設置されたと思うようになりました。
私の戸籍と住所が同じ場所にないため、付近の警察官は私が大法弟子であることを知りません。しかし、カメラを見る度に、「顔認証システムで私のことを見つけられるのではないか」「警察が嫌がらせに来たりしないか」もし、「ゼロ活動」とかと言って署名を強いられたらどうしょう」などとあれこれ考え始め、様々な良くない考えが浮かび上がってきました。
あの頃は毎日怯えていて、出かける際は、マスクと帽子を必ず着用していました。
ある日、ふとこれらの考えが正しくないことに気づいたのです。私は大法弟子であり、正々堂々としていなければなりません。私がやっているのは最も正しいことなのに、一体何を怯えているというのでしょうか。常人の理から考えても、私は毎日、自分の家を出入りしているだけなので、どこもおかしくないのです。
邪党のものに影響されたことに気づいてから、毎日学法の時間を増やし、恐怖心と良くない妨害を消し去るために発正念をし続けました。監視カメラを重く考えすぎたために、執着心が生じました。恐怖心を取り除かずに執着していたら、自分から監視されることを求めているのではないでしょうか。はっきり言えば、迫害を求めているのです。
師父は私たち大法弟子に対して、「三つのこと」を行うよう要求しています。「三つのこと」を行っている以上、邪悪による妨害や迫害は私たちに近づくことができず、全て除去される運命なのです。ですから、私は常人の執着心や、良くない考え、恐怖心、配慮などを取り除き、自分の修煉の道を歩まなければなりません。
認識が向上してからは、何も怖くなくなりました。カメラに撮られてもびくびくしなくなり、正々堂々と胸を張れるようになったのです。
最初は、カメラが壊れるよう発正念しましたが、しかし、これらの監視カメラは、悪事に使われるかもしれませんが、私たち大法弟子の正念が足りず、漏れがあるから、利用されるのだと悟りました。
師父は「どんなものにも命があります。人間が言っている有機と無機は人間が視覚的に表面で見た現象に過ぎません。如何なる物体にも、工場で製造された製品も含めて、どんなものにも命があるのです」[1]と説かれました。
カメラも命があるものです。大法弟子の正念が強ければ、カメラも真相を知ることができ、邪悪に利用されなくなるのです。そう思った私は視界に入る全てのカメラに、「大法弟子を迫害するために邪悪に利用されてはいけない、自分たちを大切にしなさい」と伝えました。
それ以来、私は大法弟子としてあるべき正念を持ち、正々堂々とやるべきことをやっています。
後で知ったのですが、製品の問題と、工事の者が設置するときに手を抜いたため、これらのカメラは正常に作動することができず、また、監視側も全く成績にならない監視作業を面倒だと思って、誰もモニターを見ておらず、カメラはただの脅しのための飾りつけとなったのです。
カメラに対する心配と恐怖心を取り除いてからは、慈悲なる師父のご加持を感じることができ、また、心性が向上したことも切実に感じました。
師父に感謝いたします!
注:
[1]李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』