文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年12月20日】
師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
2018年、私たち地元での中国共産党(以下、中共)による大規模な不当な連行と迫害の中で、多くの同修が自由を失い、私もその中の1人でした。私は修煉を始めるのが比較的遅かったので、修煉の中で大きな魔難を経験しませんでしたが、多くの同修から「お手本」として褒められ、崇拝されました。しかし、私は着実に修煉するとは何かがわからず、人心を用いて大法と修煉を認識していました。そのため、様々な理由で旧勢力に隙を突かれ、わずか数カ月の間に拷問、洗脳、嘘、中共の圧力の下で妥協し、大法弟子としてやってはいけないこと、大法弟子として最もすべきではない、行ってはいけないことをしてしまいました。
6カ月後、解放され留置場から帰宅しましたが、無感覚で気がぼうっとしており、体調も非常に悪く、野菜炒めの匂いを嗅ぎ、吐き気がしました。体を検査するために、母親に無理やり病院に連れていかれました。医者は「胆嚢にポリープがあり手術が必要だ」と言いました。しかし私はきっぱりと断りました。その半分は正念によるもので、半分は捨て鉢になっていたからでした。
回帰
私は子供の頃から健康で活力に満ち、家族や友人、同僚からも認められていました。法輪大法を修煉した後、歩くのが速くなり力がつき、思考が速くなり、行動も迅速になり、普段は無口な私ですが、仕事をし始めた時の力強さに男性の同僚は驚いていました。しかし刑務所から戻ってくると、私の歩行速度は運動が好きな70代、80代のお年寄りにも追いつきませんでした。私は「どうしてしまったのか? これからどうすればいいのか?」と自問自答しました。私はもう修煉しようと思わず、もう大法を修煉する資格がないと思いました。早朝に目が覚めて眠れませんでしたが、それでも起きたくありませんでした。
ある朝の4時過ぎに目が覚めて目を開けると、壁に扇風機のような影が回っているのが見えました。それは、子供のころに銭湯で見た壁の上の換気扇のようでした。こんな時間に誰が扇風機を回しているのだろうと、不思議に思いました。私が再び目を閉じると、目の前に金色の光があり、耳からは風輪(訳注:宇宙を構成する地・水・火・風・空の五要素の一つ)の音が響いていました。私が再び目を開けると、壁にはたくさんの法輪が回転しており、黄色いもの、白いもの、さらに透明なものがありました。「師父はまだ私に関わってくださっている! 師父はまだ私を弟子にしたいと思っていらっしゃる!」と感動してすぐに立ち上がり、煉功を始めました。私はその日から、朝の煉功と学法を再開しました。
留置場から家に帰る前に刑務官は私に、他の同修のように私が明慧ネットに「厳正声明」を発表するかと聞き、もし私が声明を出せば、「刑務官たちにはすぐわかるのだ」と言いました。
家に帰って4カ月以上経っていましたが、私はずっと明慧ネットに「厳正声明」を送りたいとは思っていませんでした。ある日、私は市場である同修に会いました。同修は私に、「明慧ネットに『厳正声明』を発表しましたか?」と聞きました。私は「いいえ」と答えました。同修は「あなたは必ず書かなければならない、そうしなければ邪悪がまたあなたを傷つけるでしょう」と言いました。家に帰ると、心に大きな石があるような気がして、書きたいけれども書くのを躊躇してしまいました。私は「『厳正声明』とは自分の命をかけた新たな誓いであり、私にとっては生か死かの選択でもある…」と思いました。このようにして、数日が過ぎました。
そして10月初旬の休日を迎えました。10月1日のその日、私は気分が極端に落ち込み、一人で寂しく家におり、生きていけないような気がしましたが、一つだけはっきりしていたことがありました。それは「たとえ私が今日死ぬとしても、まず『厳正声明』を明慧ネットに送らなければならない」ということでした。その日の夜、私はすべての力を振り絞って「厳正声明」を書き終えました。不思議なことに、書き終わった後、私の心は落ち着いて、重くのしかかっていた心の中のあの巨石はなくなっていました。
しばらくして、一人の年配の同修(以下、Aさん)と偶然出会い話をしました。Aさんは遠く離れた郊外に住んでおり、私の家からは遠く、これまでに一度か二度しか会ったことがなく、お互いによく知りませんでした。私はAさんに深い印象はなく、Aさんはとても素朴で、高学歴ではありませんが、どんな苦労にもよく耐えられることだけを知っていました。当時、私の周りにいた同修はみな私のもとを去りましたが、私がAさんに会ったことを同修たちが知ると、私に「Aさんとは関わらないように、他の人に迷惑をかけてしまいます」と警告しました。
しかし、Aさんは、私のことをとても真剣に考えてくれました。Aさんに連絡することには何の不安もなく、安心してあまり考えすぎないようにしました。私たちは同修であり「お互いに支え助け合うべきだ」と明言しました。Aさんは私を励まし続け、週に一度私と一緒に法を学び、さらに毎日決まった時間に2時間の発正念をすることを約束しました。
これを1カ月続けると私の修煉状態は正常になりました。これは師父の慈悲深い按排であり、師父は私が破滅するのを見たくないと思っていらっしゃり、私を再び地獄から引き上げてくださったのだ、とわかりました。
補う
私は「厳正声明」を書いたことがなく、どう書けばいいかわからず、今回はただ自分の懺悔に満ちた言葉を明慧編集部に送りました。明慧の同修が校正した後、インターネットで発表しました。「大法に与えたダメージを補う」という言葉の中の「補う」という言葉を見た時、私は心が震え「どのように補うのか?」と自問しました。
その数日後、私が以前付き合いがあった高齢の同修(以下、Bさん)と再会しました。Bさんも2018年に連行され、後に執行猶予付きの判決を受けていました。Bさんは不当な拘禁中に「転向」し、ひどい状態になり、家庭の中の魔難も大きかったのでした。Bさんは一日中ボーッとぼんやりしており、学法、煉功、発正念でいつも寝ていました。中共の人員が長い期間私を尾行していた過程の中で、私はBさんと頻繁に連絡を取っていましたが、私が迫害された時にBさんも不当に連行されたのでした。
Bさんの現在の状況を見て、私の心は悲しくなりました。どうすればいいのでしょうか? 再び「補う」という二文字が現れました。そうです、私は補いをすべきでした。Bさんが迫害されたのは、Bさん自身にも漏れがあったからですが、この事の責任は私にありました。私がまず最初にしなければならなかったことは、正常な修煉環境を作ることでした。私はBさんと相談して、私たち2人で学法グループを立ち上げました。
学法グループを立ち上げて間もないころ、旧正月になると同時に中共ウイルスが発生し、地元の地域の社区がすべて封鎖されてしまいましたが、私はBさんと学法を堅持しました。私が住んでいた社区はもともと比較的落ち着いており、私は自由に出入りでき、Bさんも、何の問題もなく私の家に来てくれました。Bさんの社区の通行証を私にくれたので、私も何の問題もなくBさんの家に行くことができました。疫病が発生しても私たちは一緒に法を学ぶことをやめませんでした。この期間、私の職場は10カ月間の休暇を設定し、私たちはほぼ毎日、法を学んだり、法輪功の資料を整理し、その後配りに行きました。疫病の流行期に、私たちは2人で1万部以上の法輪功迫害の実態の資料を配りました。
Bさんと一緒に法を実証する過程は、心性を向上させる過程でもありました。Bさんは、長年主意識がはっきりせず、子供の頃から時間の概念がなく、思考のロジックが混乱していました。Bさんと一緒に法を学んでいる時、Bさんは眠くなって数時間で1講の法しか学ぶことができませんでした。しかし、常人と話をする時は精神が充実し、滔々と話が止まらないのですが、正念を発すると寝てしまうのです。そして真相を伝えるために出かけると、私に真相を伝えさせず、「真相を伝える必要はないですよ。現在人々はもう真相を聞かなくなりました」とさえ言うのです。交流する時は時間の概念がないので、彼女は混乱した方法で物事を説明するのです。いつも足が痛いと言い、一緒に資料を配布していると私が速く歩くのを嫌がって怒りだしたり、さらには叫ぶことさえありました。
ある時、二回目の真相を伝えるために夜になって出かけました。Bさんの主意識がはっきりしていない時に、他の空間の邪悪な生命はBさんを強く地面に転ばせました。Bさんは、いつもどうすれば少ない歩数で歩くことができるかを計算していました。数歩でも歩数が減れば大喜びし、 法を実証することを行うことは、まるで誰かのために行っているかのようでした。少なく行えるのであれば少なく行い、少なく行えないのであれば行わず、少し辛かったり、面倒だったり、少しプレッシャーがあったりすると、行いたくなくなりました。しばらくの間、Bさんの社区は規制が厳しくなっていましたが、私の家の社区は緩和されていました。そのため私は法を学ぶためにBさんに私の家に来てもらうことにしました。20分ほどの距離を歩くのは、Bさんにとっては大変だったので、私が車で迎えに行きました。私が最も耐えられなかったのは、Bさんが自分の「転向」は他の人とは違うと思っていたことでした。なぜならBさんは「三書」にサインした時、心の中で師父に「私が修めているのは正法です」と申し上げたからでした。自分の行為は「転向」とは言えないということでした。私は悩み、本当に我慢できず「私自身ももともと良い状態ではなく、あなたがこんな状態で、どうするの?」と思いました。一時期、もうBさんとは付き合いたくないと思ったこともありました。
その後、私は多く法を学び、法を暗記しました。迫害を受ける前、私は『轉法輪』を20回以上暗記し『精進要旨』の中の多くの経文も暗記していました。私はこれらのことに満足していました。誇りを持ち、同修と交流する時は、自信にあふれた口調で法理に満ちていましたが、着実に修めることが、向上の基本であることを忘れていたのでした。私が改めて心を静めて『轉法輪』と『精進要旨』を読んだ時、私は衝撃を受けたのです。それは、自分を間違った道に、導いてしまった執着を目にしたからでした。 大法に照らしてみると、大法の基準に反する多くのことを行っていたのですが、それに気づいていませんでした。自負、傲慢、利己的、名を求め、虚栄心が強く、安逸を求めるなどなど、私は旧勢力が仕掛けた幾重もの罠に一歩一歩入っていき、主意識がはっきりせず、旧勢力に思いのままに翻弄され、得意になって有頂天になっていたのでした。
私は釈迦牟尼の時代の提婆達多(だいばだった 訳注:釈迦牟尼の弟子。釈迦牟尼に違反して新しい教団を作る)の話を読んだことがありますが、やはり提婆達多のために痛惜しました。まさか提婆達多が私の鏡であったとは思いもよりませんでした。師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と説かれました。大法と師父だけが、この暗黒の淵から抜け出させることができることを私は知っていました。私は法を学び続け、法を暗記し続け、法に照らして自分を探し、考え続け、内に向けて探し続けました。そして徐々に、どうしようもない混乱と苦しみと絶望から抜け出し、無関心と無感覚から抜け出すことができたのです。私の体力はすぐに元に戻り、以前よりも忍耐力がつきました。
私はあらためてBさんの状況を認識し、これは師父が私のために用意してくださった修煉環境であり、私の心性を高めるために按排されたものであり、私は逃げるのではなく、向き合うべきであることを悟りました。自分が大法に与えた損失を補う決意をしなければならないのではないでしょうか? 自分をしっかり修めてこそ、補うことができたのでした。Bさんと同じ問題を、私も抱えており、私はこの機会にしっかりと自分を修め、師父の慈悲深い済度を無にしませんでした。
私は心の扉を開き、率直に交流しました。トラブルが生じた時、私はすぐに内に向けて探し、その後すぐに法に則って交流し、自分の心の中にある本当の考えを伝え、このようにして修煉の機会を逃さないようにしました。私は毎日明慧ネットにアクセスし、同修の交流文章を読み、さらに交流の音声版をタイムリーにダウンロードし、家事をしている時に聴き、運転中にも聴きました。同修たちの精進と着実な修煉、正しい念と正しい行いについての実体験は、自分との距離を私に認識させ、心の容量が少しずつ広がっていくのがわかりました。
私はこのような資料をタイムリーにTFカード(訳注:小さいメモリカード)にダウンロードしてBさんに聴いてもらうと大いに感動しました。だんだんとBさんも変わり、また率先して内に向けて探すようになったのです。こんなにも長年自分が着実に修煉しておらず、トラブルに遭遇するといつも逃げており、いつも苦しみを恐れていたことによって、現在このような大きな魔難につながり、このような大きな損失につながったことに気づき、Bさんは後悔しました。
そしてBさんは、居眠りによる妨害を克服するために、狭い寝室のベッドの横にテーブルを置き、法を書き写すことに専念することにしたのです。テーブルには大法書籍が置かれ、夜何時に目が覚めても本を手に取って読み、第五式の功法では、坐禅の時間が1時間から2時間に延長されました。Bさんはいつも「修煉とは本当に厳粛なことですね!」と言いました。Bさんは自分の修煉状態がよくないと気づいた時、すぐに正念を発しました。私たちが一緒に法を学ぶ時、Bさんが起きている時間が増えていきました。これは私がBさんと知り合って10年来、こんなによい状態を見たのは初めてのことでした。
次第にBさんの体の中に、輝く光が見えるようになりました。Bさんの修煉の道は歩むのが困難であり、経済的に非常に苦しい生活を送っており、結婚生活は満足のいくものではなかったのです。息子も離婚し、息子の嫁は孫を連れて出て行き、一家には多くの借金がありました。教育水準が低いため、経文の表面的な意味がいつも理解できないことがありました。20年以上に及ぶ迫害の中で、いくつも回り道をしてきました。それでも、Bさんは修煉を諦めることなく続けてきたのです。どんなに苦しくても、修煉状態がどんなに悪くても、生活環境がどんなに悪くても、ただ修煉し法を学びたいだけで、師父が関わってくださると信じていたのです。Bさんはいつも私に、「現在ここでは2人だけではなく、全方向に素晴らしい環境が広がっています!」と言うのです。
このように着実に修煉する環境の中で、私は自分の容量も広がっていることを実感しました。ある時、私が刑務所から戻ってきた後、他の同修の前で私を非難し、私を辱めた同修の家族は、大きな魔難を受けており、同じくその同修の妻も同修であり、深刻な病業状態が出現し、手当てをするために入院しました。その同修は妻のために正念を発してほしいと私に頼みました。その後私は自分の心態を整え、同修の妻のために毎日長時間正念を発し、同修の妻が危篤状態を乗り越えるまで発し続けました。その期間、恨む心と人心を放下する過程で、私は無私無我であり、人のために特別な賢者であることの素晴らしさを実感するとともに、他の人の欠点を覚えず無私無我であることは、未来の新宇宙の正法正覚の神聖な境地であるだけでなく、法を正す時期の大法弟子が必ず到達しなければならない基準でもあることも実感しました。私は現在(訳注:2021年11月)まだ十分にできていませんが、私はこの基準で私とBさんは簡単には手に入らないこの修煉環境を大切にし、私たちはお互いを思いやり、お互いを戒め、比して学び比して修し、修煉の道を着実に歩み、穏やかな法の光を浴びています。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」