信--同修と2回交わした会話の実記
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文/中国の大法弟子

明慧日本2021年12月25日】

 (一)

 私は生まれつき片耳が不自由で、片耳しか聞こえません。 少し前に、この正常な耳に中耳炎の症状が現れ、聴力が急低下したのです。 この耳も聞こえなくなるのではないかと心配になり、病院に行くと鼓膜に穴が開いていることがわかりました。

 それを知った同修たちに「昔、小道の修行者は自分で業を作ることを恐れて、目と耳を痛めつけて自分を盲聾にしたが、あなたは大法の修煉者なのに、まだ耳が聞こえないことを恐れるのか」と言われたのです。

 私は「あなたは聴力に問題がないから、当然他人の痛みがわからないと思うが、私にはこの片耳しかないんです」と言いました。

 彼は「迫害を受けた時に転倒し、脳に瘀血ができました。 ある日、両耳同時に何も聞こえなくなったので、MP3にヘッドホンをつないで法を聴いたんです。 17時間聴いた後、ヘッドホンを外すと、耳から瘀血の大きな塊がいくつも出てきました。 その後、耳は治り、鼓膜は無傷だった。 医学的に見ても、奇跡としか言いようがないです」と教えてくれました。

 私は言葉を失いました。

 (二) 

 2日前、出先で気絶してしまいました。 電動自転車に乗っていたら、突然ちょっとめまいがしてブレーキをかけました。 たまたま道端に電柱があったので、転ばないように自転車を降りて電柱をつかんだら、電動自転車が持てなくなって倒れてしまったんです。 2分くらいしたら、正常になりました。

 その後、また同修に会い、そのことを話しました。

 同修は「めまいがするということは、主意識がないということなのに、なぜめまいを誘うのか? なぜ主意識で自分をコントロールできなかったのですか?」と聞かれました。

 私は「めまいがするのですが、どうすれば抑えられますか?」と質問しました。

 彼はこう言いました「気絶はあなたではない、それはあなたを気絶させただけで、あなたは降伏して、あなたはそれに従ったからです」

 私は「では、どうすればいいのですか?」と聞きました。

 彼は「2日前にコップを二つ買いました。 洗わずに水を注いで飲んでいたのですが、有害な重金属が含まれているとは知りませんでした。 眩暈がして、気絶しそうだったのです。 気絶してはならないと思い、すぐに座り込んで落ち着かせました。 その眩暈を解体させようと思い直ちに強い正念を発し続けたところ、眩暈はどんどん弱くなり、最後には消えてしまったのです」と話してくれました。

 私は「だけど、あなたはできるが、私はできない」と言いました。

 彼は言いました「あなたのこのできないという考え方はすべて認識であり、多分それは旧勢力によってあなたに課せられたもので、あなたは降伏してまたそれに従ったのだろう。」

 私は[私にはまだこの空間に表面的な肉身がある」と答えました。

 そして、「実際、多くの同修がこの『表面的な肉身』を理解することに問題があり、心性の関を乗り越えたくないと諦めて言い訳をしているように思えます。 もっと深刻に言えば、これは邪な悟りであり、あなたがやっていることもこれです。 私が理解する『誰かの肉身がここにある』というのは、刃物で切れば血が出ますが、心も気持ちも不動で、大法に対する信念も金剛不壊だということなのです。 修煉とは、自分の心と自分の考えを修めることです。 それができないのであれば、漏れがあるということです。 漏れがあると、円融不滅の新宇宙に到達できないのです。 師父は「佛性に漏れがない」[1]と仰いましたが、それでは悟りを開いたことにはなりません。

 康熙帝が幼少のころの話を聞いたことがありますか? 子供の頃、天然痘にかかったが、痘痕にならなかったのは、痒いところを掻かないという強い定力があったからでした。 李世民の話を聞いたことがあるでしょう。 李元済と李建成は彼を殺めようとして毒を盛りましたが、李世民も毒殺されたわけではありません。 なぜか? 彼は極めて強い定力をもって、毒を溶かしたのです。

 広大な宇宙、天体、それぞれの惑星は、何十億年も前から決まった軌道を回っているのだから、定められて決まった軌道を回らなければいけません。定まらなければずれていき、最終的には破壊されてしまいます。

 あなたは大法弟子です。大法は全能です。なぜ信じないのですか? 立ちくらみって何? 解体してみてはどうですか?

 王様や殿様になったら、どれほど多くの命を受け入れることになるのだろう、眩暈すら受け入れることも出来ないのですか?」と話しました。

 そして、その同修は「私の修煉の出来も悪いのですが、一番優れたところは、あなた方より固く信じていることです!」と言ったのです。

 私は言葉を失い、同修との修煉の出来の差はとても大きいものだと感じました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/9/434512.html)