出所当日に連行された大連の学習者・劉希永さんが死亡
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 【明慧日本2022年1月5日】遼寧省大連市金州区石河村出身の法輪功学習者・劉希永さん(80歳男性)は、懲役3年の不当な判決を宣告された。2021年4月9日の出所の日に、刑務所で金州区の警官に連行されて金州三里留置場に送られ、再度、懲役4年の不当な判決を宣告されて大連市第三刑務所に拘禁され、2021年12月29日に、迫害により死亡した。

劉希永さん

 2021年12月9日、劉さんは重体となり大連市中心病院に送られた。当日、警官4人が劉さんを監視した。医者は劉さんが胸水、脳血栓などの症状があると診断し、胃の切除手術をやろうとしたが、劉さんの体の状況を見て断念した。12月20日、劉さんの家族は劉さんを家に迎え入れたいと要求したが、警官に拒否された。警官は「病院が危篤の通知を出したら、2、3万元の治療費をかけて応急措置をやってもらう。でも帰宅はできない。生きている限り帰宅できない」と答え、劉さんの病気は留置場で罹ったもので、第三刑務所とは関係ないと責任を転嫁した。

 また、劉さんの家族は何度も一時出所を求めたが、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に断られた。2021年12月29日午前10時ごろ、劉さんは大連市中心病院で亡くなった。大連市第三刑務所の警官は、家族に訴えられないように、遺体は劉さんの息子に渡さずに、劉さんの遺体を金州区南山斎場に送ったという。

 12月31日午後、劉さんの家族は斎場で劉さんの遺体の顔を拭いた時も2、3人の警官に監視された。劉さんの妻の話によると、2022年1月1日に遺体を火葬した時も警官がいたという。

 劉さんは1941年に生まれ、幼い頃から貧しい生活を送り、多種の病気を患っていた。特に脚の痛みはひどく、病院で何度検査しても病名がわからず、治療しても効果がなく、結局のところ、仕事もできなくなった。1997年8月、劉さんは法輪功を学び始めた。「真・善・忍」の教えに従い、荒い気性を改め、自ら隣人との長年のトラブルを解消した。また十数年も苦しめられた脚の病気も消え、健康を取り戻した。劉さんは楽観的になり、村中の誰でもが困っていると、劉さんに、お願いすることになっていた。劉さんは苦労を惜しまないし、果樹の栽培技術も持ち、村民に高い評価を博している。

 1999年7.20以降、中国共産党による法輪功への迫害が始まり、劉さんは自ら法輪功から恩恵を受けたことを世の人々に伝え続けた。劉さんはかつて金州石河派出所及び石河鎮政府から3回も迫害を受けたことがある。劉さんは2002年4月に不当に連行され、2年の労働教養処分を科された。2008年7月24日に身柄を拘束され、懲役3年6カ月の実刑判決を宣告された。2017年10月24日に懲役3年の不当な判決を宣告され、合計8年6カ月間拘禁された。その期間、劉さんは非人道的な迫害を受けた。

 2021年4月9日は、劉さん(80歳)が刑期満了日を迎え、出所する日であった。しかし、この日、家族は劉さんを迎えることができなかった。劉さんは瀋陽東陵刑務所から金州公安支局石河子派出所の警官に連れられて、強制的に健康診断を受けさせられてから、直接、大連金州三里留置場に拘禁された。

 114日間、劉さんの音さたがしれず、家族はとても焦った。2021年9月3日、家族に留置場側から送金の連絡が来て、はじめて劉さんが金州漢方病院にいることがわかった。当時の劉さんは病床で手枷・足枷をかけられ、体が衰弱していた。家族は病院から、劉さんは、胸水がたまり、糖尿病があると告げられた。

 2021年9月27日、家族が見舞いに行った時、劉さんは9月28日に刑務所に送られていることを知った。紆余曲折を経て、やっと劉さんは大連市第三刑務所に拘禁され、すでに懲役4年の実刑判決の宣告が出さされたことを知った。

 第三刑務所は、家族に12月9日に劉さんと面会するように知らせた。当日、家族は大連市中心病院の入口で劉さんを乗せたパトカーがやってきたことを目撃した。劉さんはケージから車椅子で病院に送られた。

 劉さんは警官4人に監視され、家族は近づくことができなかったが、医療費の支払いを要求された。家族は一時出所を求めたが、警官に転向しない限りできないと拒否された。

 その時の劉さんは顔、手、脚が全て腫れて、身の回りのこともできず、言葉もはっきりしない状態だったという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/2/436313.html)
 
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