文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年1月25日】
慈悲で偉大な師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
部隊から復員する前、私はずっと部隊の機関で勤務していました。1996年5月のある日、部隊のある友人が私に大法を紹介してくれました。また私が『轉法輪』と師父の説法の録音テープを購入することを手伝ってくれました。その時から私は法輪大法を修煉し始めました。二十数年来、慈悲深い師父がずっと私を見守ってくださったからこそ、私は師父を助け、法を正す道で今まで穏やかに歩んで来ることができました。
大法を固く信じ動揺しない
1999年7月20日に中国共産党(以下、中共)と江沢民をはじめとする邪悪な集団は法輪大法に対する狂気じみた迫害を始めました。中共悪党はすべての国家機器を利用して 大法を誹謗中傷し、大法弟子を残酷に迫害し、虚言をでっち上げて世の人々を毒害しました。突如やってきた邪悪な迫害を前にして、私は絶えず自分に戒めました。「私が修煉しているのは正法であり、歩んでいるのは正しい道であり、私の選択は間違ってない」と。そして私は心の中で確固たる一念を発しました。「邪悪がいかに狂気じみていても、私は決して師父を裏切らないし、大法から離れない」と。
当時各部門は毎日士官や兵士を集めて、中共邪党から通達された文書を勉強させ、大法を誹謗中傷する虚言を注ぎ込んでいました。さらに一人一人に体験を書くように要求していました。回避できない邪悪な圧力に直面して、必ず参加しなければならないその会議で、特に大法を誹謗中傷する人がいた時、私は心から絶えず否定し排斥しました(その時はまだ発正念のことを知りませんでした)。私は新聞を読まず、テレビを観ず、ラジオのニュースも聞かず、常に冷静な頭脳を保つようにしました。
その後部隊の上司らは私が法輪大法を修煉していることを知り、それぞれ私と話し合い、修煉を放棄するよう勧めました。私は少しも動じることはなく、逆にその機会を利用して彼らに法輪大法とは何か、自分が大法を修煉して、どのような恩恵を受けたのかを穏やかに説明し、彼らに大法の基本的な真相を分からせました。
一部の上司は真相がわかってから、邪悪に協力して大法弟子を迫害することをやめたばかりでなく、危険に晒されながらも大法弟子を保護してくれました。同修の一人は仕事の関係で上司と一緒に北京へ出張しましたが、持っていた大法の書籍がホテルのスタッフに見つかり、ホテルの責任者に告発されました。その上司はこのことを聞いて、ホテルの責任者を探して書籍を取り戻し、大法弟子を保護してくれました。その上司は後で善の報いを受けて昇進しました。
当時私は部隊で一定の地位がありましたので、親や、兄弟、親友など各方面からのプレッシャーが非常に大きかったのです。彼らは悪口を言ったり、ことば巧みに忠告したりするなどいろいろな方法で私に圧力をかけました。親は私のことを心配するあまり、泣きながら私と親子関係を断絶することで修煉を放棄させようとしました。肉親同士の情による試練や名利の誘惑に直面して、私は熟慮してからきっぱりと自分の選択を決めました。「私は揺るぎなく師父を信じ、最後まで揺るぎなく大法を修める」ということでした。
心を清め執着心を無くす
私は部隊で資金があり、物資も豊富な部門を管理していました。ぜいたく三昧の生活を送っている今の腐敗した社会で、部隊も非常に大いに汚染されています。もてなしたり贈り物をしたりすることや権力と金銭の取引、お金や贈り物がなければ事を処理してくれないのが日常茶飯事になっていて、食ったり、飲んだり、買ったり、打ったりしています。業務の経費は一層一層押さえ、一層一層差し控えられて、本当に訓練や後方設備などに使える費用は非常に少なくなっています。
このような堕落した環境の中で、私はそれに誘惑されず、大法の法理に従って自分を厳しく要求し、貪ったり、自分のものにしたり、貰ったり、贈ったりしませんでした。部隊での正常な保障物資や経費は決して押さえず、差し引かず、差し控えず、留めませんでした。一度、部隊のある上司は「くよくよしないで。車を引きながら、道をきちんと見てください」と言いました。私は気にもとめずにただにこりと思わず笑いました。
私の上司は人事異動で別の部門に行くことになりました。彼は私を彼の職位に着かせたく、関連する上司に私を推薦してくれました。そして私にお金をもってその上司の家を訪れるように教えてくれました。私は上司の好意を断り、彼に大法の修煉原則について説明しました。この上司は大法の真相を知っていて、私の普段からの勤務態度にも非常に満足していたため、私のやり方に理解を示してくれました。
また一度、他所のある商店の人が私のオフィスに来て、彼らの商品を売りさばきました。夜になって彼は私の家に来て2本のマオタイ酒を置いたまま帰りました。彼が帰った後、私は瓶の下に一包みの現金があることに気付きました。私は大法弟子ですので、大法の要求に従って自分を厳しく要求するべきで、落ちていく社会道徳の流れとともに落ちてはいけません。翌日、私は運転手に頼んでその人の住んでいるところを探して、マオタイ酒と現金を返しました。
真相を伝えて世の人々を救い済度する
1999年7月20日以降、現地の同修らは世の人々に大法の真相を分からせるために、どうやって迫害されている環境の中で師を助けて法を正し、世の人々を救い済度するべきかについて何回も交流しました。大法を守り、衆生を救い済度することは大法弟子が背負っている神聖な責任で歴史的な使命でもあり、私たちは時間を大切にして、真相を伝え、人を救うべきだと悟りました。
最初は条件が限られていたため、私たちはコピー屋さんに行って真相資料をコピーするしかありませんでした。しかし邪悪な妨害の下、一部のコピー屋さんが閉店したり、一部は店の中で大法の真相資料をコピーしてはならないと警察に脅かされました。
その時、私営企業の社長だった同修が自らお金を出してコピー機を購入し、真相資料をコピーして、同修らに供給してくれました。そして同修らはその資料を現地の行政機関、部隊、団地、農村部などで配布することで、人々が大法の真相を知り、正と邪、良し悪しを分別できるようになり、救い済度されるようになりました。このことによって邪悪の勢いを大いに震え上がらせました。
その後明慧ネットでは資料拠点を津々浦々まで広めるよう提唱しました。2005年に技術を知っている同修の指導と助けの下、私はパソコンや、プリンターとCDバーナーなどを買って家庭資料拠点を作りました。私はインタ—ネットに接続する方法から、ダウンロードまで学び、必要な分の真相資料を印刷し、真相映像をディスクに焼き、周りの同修らに提供して、真相を伝え、人々を救うことに使わせました。16年間、資料拠点はずっと穏やかに運行されて来ました。
部隊家族の住む団地は一般の住宅と比較して閉鎖されています。私は自分がここに住んでいる有利な条件を活用して同修らに学法、交流する環境を提供した上で、ともに師父を助けて法を正し、世の人を救い済度する神聖な使命を全うするようにしました。ある同修は部隊家族の住む団地で真相資料を配る途中に人に気付かれ、告発されました。それを聞いた私はすぐその同修を見つけ出して自分の家まで連れてきました。警備の兵士が離れてから、私は彼女を部隊の区域から安全に連れ出しました。
その後私は部隊から復員して、現地の市に直属している企業に入りました。こうして同修らとの連絡が便利になり、人を救う全体的なプロジェクトに参加する機会も多くなりました。真相が書かれている横断幕を掛けることにも、真相資料を配布するにも、私はいずれも積極的に参加しました。
仕事で出張する時や友人の家を訪れるときなど、どこに行っても私は真相資料を持参し、現地の人々に配りました。この数年間は農民工が集まっている場所や、建築現場、バス停、公園や娯楽施設、遊園地などの人が多く、真相が広く伝播できる場所を重点にして真相資料を配布したり、貼ったりしました。
正念を以って正しく行い、邪な風を阻む
2004年の年末『共産党についての九つの論評』が発表されました。それを読んでから、私には共産邪霊の邪悪な本質をはっきり認識することができ、百年来それがやって来た数々の悪い行為がわかりました。私は妻(同修)と交流し、大法弟子としては必ず中共邪党と徹底的に決裂すべきだと認識しました。そして私たちは同修に頼んで大紀元の脱党ウェブサイトで邪悪な中共の党、団、隊の組織から脱退する声明を発表しました。そして私たちの三退(中共の党、団、隊の組織から脱退すること)声明を印刷して街と団地のよく見える場所に貼って世の人々を啓発しました。
その時、中共は全国でいわゆる「先進性教育」を行い、衆生に害を与え、毎日中共の理論を学ばせ、メモさせ、書かせました。邪悪が衆生を台無しにすることに協力しないため、私は学ばず、筆記を取らず、(体験を)書かず、関連するいかなる活動にも参加しませんでした。私は大法弟子として、自ら前に出て公に邪党の組織から脱退して大法を実証すべきだと思いました。そして私は職場の中共の党書記のところへ行って、中共から脱退したいと公に申し入れました。
私のこの動きに職場の幹部は非常に緊張し、また非常に怖がりました。数人の幹部が交代で私と話し合いました。彼らは仕事から、生活、子供の将来などを以って、私を脅しました。脅しに直面した私は怖がらなかったばかりでなく、この機会を利用して、彼らに大法の真相を伝えて、自分の良心に反することをやめるように伝えました。
局長クラスの幹部と関係者は午後2時に集まって、私と話し合い、いわゆる「処理」をする予定でした。私は師父の説かれた「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]を固く信じていました。師がおり、法があれば邪悪は私を動かすことができないと固く信じていました。同時に私は発正念の回数を増やしました。正しくない考えが私の空間場に入った途端、直ちにそれを消滅し、ずっと正念を保っていました。その時私は明らかに師父の加持を感じ、自分の身体がこの上なく大きいと感じ、すべての邪悪を滅することができそうな勢いを感じました。師父は同僚の口を借りて私を励ましてくださいました。「あなたはなぜこんなに高くて大きいのですか?」と。後で分かりましたが、真相を知っている上司が私のためにほかの人達を説得してくれたそうです。正と邪の闘いで、邪が正を圧することはできませんでした。師父の慈悲なるご加持と保護の下、午後1時半に電話がかかってきました。「今回の談話はなくなりました」と。それから、このことはうやむやのうちに終わり、この件で私のところに訪れる人はいませんでした。慈悲深い師父が弟子のため、今回の魔難を解決してくださったことを私は知っています。私の感謝の気持ちは言葉で言い表すことができません。両手を胸の前で合わせて師父の浩大な佛恩に感謝します。師父のご加持と保護に感謝します。
2015年、江沢民に対する告発の大きな波が始まりました。全国各地の大法弟子は大法を迫害し、大法弟子を迫害した元凶である江沢民を告発し始めました。地元の同修らは数回の交流で江沢民を告発する緊迫性と責任感を認識しました。江沢民はこの迫害を発動した元凶です。彼は中共邪党を利用して大法弟子を迫害したばかりでなく、全国ひいては全世界の人々を欺き、迫害しました。これほど大きな罪を告発しないことは天理にも許されないことです。
江沢民を告発することは法を正すことが新しい段階に入ったことを意味し、大法弟子が一丸となって協力し合う過程でもあります。大法弟子として法を正す進展について行くべきです。私と妻、息子の家族全員はともに江沢民を告発する訴状を書き、最高法院へ郵送し、署名の入った配達証明書を受け取りました。私はまた地元の年配の同修らを助けて江沢民に対する訴状を整理してあげ、一緒に江沢民への告発に参加し、全体的に向上し、昇華しました。
師父の保護の下で無事に回避できた危険
修煉の道で私は何回も危険なことに遭遇しましたが、師父の慈悲なる保護の下、すべて無事に回避することができました。
1996年に私がまもなく修煉をし始めようとしていた直前、部隊の同僚がオートバイで私を連れて友人たちのパーティーに参加しました。帰る時オートバイはなかなか起動することができませんでした。やっとのこと起動しましたが、ある交差点で横から走って来たトラクターにぶつかりました。オートバイは速度が速すぎたため、ブレーキをかけることができませんでした。オートバイとトラクターの衝突により生まれた慣性で、私はトラクターのリヤーバケットに落ちてから、再び地面に放り出されました。
しかし、なぜだか私は転んでひっくり返りませんでした。私は走って行きオートバイを運転していた同僚を探しました。同僚は重傷を負っていたため、トラクターの運転手によって病院に運ばれました。検査の結果、脾臓と肝臓が破裂して、病院で半月間救急治療して危険を脱しました。しかし私は体内と体外に小さな傷さえもなくて本当に不思議なことでした。法を得てからやっとわかって来ましたが、慈悲で偉大なる師父はその時、すでに私を守ってくださっていました。
2005年私は息子を西安の大学に送りました。息子のことを按排し終えてから、私は友人のビュイックの自動車に乗って戻りました。途中で私は運転手に真相を伝えました。真相がわかった彼は三退しました。車が北京から上海への高速道路の山東路区間を走っていた時、車の右の前のタイヤが急にパンクしました。一瞬にして、車は左右とぶつかったりしてほとんど制御できなくなりました。この状態で500メートルくらい走ってから、横に転ぶとき、V形の鉄パイプにぶつかってやっと止まりました。
車が左右に繰り返しぶつかったため、車体はひどく変形し、扉はもう開かなくなりました。仕方なく私たちはサンルーフから出てきました。5人全員が無事でした。事故処理に来た係員は現場を見て感嘆しました。「あなたたちは絶対に偉い人に守られていますね。これほど大きい事故で、なんと一人も傷ついた人がいないなんて、本当に奇跡です」。私は心から慈悲深く偉大なる師父が弟子と車の中のすべての人を救ってくださったことにこの上なく感謝しました。
2020年10月、中共邪党が(北京で)会議を開いていたため、北京に向かって走っていた車両は一律検査を受けることになっていました。おばの息子が結婚するので、私は車を運転して妻と一緒に故郷へ戻って結婚式に参加しようとしました。東営区間に着いたら、検査処が一つあって、すべての車両と乗車している全員が写真を撮られ、身分証明書を確認され、車の中のすべてのものを検査されることになりました。私の車には一包みの真相資料がありました。しかも私と妻は中共のブラックリストに入れられていて、身分証明書は公安部門によりマークされていました。
その時彼らの検査を避けるのはもう不可能でした。私と妻は一緒に発正念しました。そして師父に弟子を加持してくださるよう求めました。私たちの車を検査する順になった時、誰にも私たちが見えなくなかったようでした。ある人が「この車は検査しましたか?」と聞いていましたが、誰も答える人はいませんでした。車両検査を指揮していた警官は私たちに早く離れるようにと言いました。私はすぐ検査所を離れました。私と妻は合掌して師父の慈悲な保護に、弟子を危険から脱出させてくださったことに感謝しました。
修煉の道で師父と大法に対する堅い信念があれば、乗り越えられない関はありません。精進して着実に修めさえすれば、上手くいかないことはありません。この二点をやり遂げてから、やっと師父を助けて法を正し、衆生を救い済度する神聖なる使命をやり遂げることができます。残った修煉の時間は多くなく、非常に大切です。私は自分の一言一行、すべての考えを法に溶け込ませ、絶えず大法に同化し、自分をしっかり修め、時間を大切にして、衆生を救い済度し、合格した大法弟子になるよう頑張ります。
ずっと見守ってくださった慈悲なる師父に感謝します!
同修の激励と助けに感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)