明慧法会|「ゼロ行動」に直面し 大法の中で心性を高める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年1月26日】私は自分がしっかり修めておらず、取るに足らないものだと思っていましたが、明慧からの毎回の求めに、積極的に努力しておらず、こうであってはならないと感じました。毎週の「厳正声明」について改めて考え、さらにあんなにも多くの修煉者がその渦中にいることについて改めて考え、今回の法会に当たり、私が「ゼロ行動」の迫害行為に直面したこの1年の心の変化の過程を同修の皆さんと交流し、私と同じような関と困難を抱えている同修の助けになれば幸いです。不足のところがあれば、同修の皆さんのご指摘をお願いします。

 「ゼロ行動」が始まると、中国共産党(以下、中共)が数ページに及ぶ秘密文書を発行し、一連の迫害策を制定し、それは一人一人をターゲットにした3年間の「攻撃計画」であることがわかりました。私はこのことを聞いた後、すぐに全般的に否定するのではなく、逆に人心を抱きながら「私たちはみな試練に直面している」と考えました。この時同修のYさんは率直に「邪党の言うことは正しくなく、すべて師父のおっしゃることが正しい」と言いました。自分の心性が基準に達していなかったので「あなたはそう言うが、中共はすでに会議を開いて明示的に規定しており、きっと実行されるに違いなく、私たちがそれを否定したとしても、否定することができるのか?」と密かに思い、その時は人心が重すぎて、人間の目で問題を見てしまい「ゼロ行動」をあまりにも文字通りに受け取ってしまいました。

 今(訳注:2021年11月)自分の問題を分析すると、主な問題はすぐに中共の按排を全面的に否定しなかったこと、師父のことを考えず、師と法をしっかりと信じなかったこと、修煉者にとって人間の中のすべての現象はみな虚像であることを信じなかったこと、「内を修めて外を安定させる」[1]という法理を考えなかったこと、その中で師父が法を正すお手伝いをし衆生を救い済度し、そして法を実証する必要があることを考えなかったことでした! 渋々ながらも旧勢力の按排を認めていました。

 結果は、職場が私を探し始め、友人に私を説得させ、それが無駄だとわかると連座政策で私の家族に圧力をかけ、私の子供に私を説得させました。私の娘は優しく善良で、 娘は幼いころから素直で良い子だったのですが、忍耐力がまだまだでした。現在(訳注:2021年11月)娘は最愛の母親と向き合い、また中共の暴虐に恐怖を感じながら、巻き添えで迫害され、さらに職場の上司と日々の仕事に向き合うために気合を入れなければならず、自分の舅姑と幼い息子にも向き合わなければならず、娘はパニックになって眠れなくなり、最終的に(外に出ないで)家の中で好きなだけ煉功するようしきりに私に哀願しましたが、表面的にはやはりそれは彼女の意志に反していました……

 私は娘に「私は違法行為や犯罪をしたわけではなく、自分の利己的な理由でサインに妥協することはできず、それは佛法への冒涜であり、中共を甘受することであり、迫害されている何千人もの修煉者とその苦悩する家族に無関心になることであり、さらには中共を助長させることになり、私は良心の呵責を受けることになり、あなたを害するだけでなく、関係するすべての人を害することになる」と説明しました。子供(訳注:私の娘)は私を思いとどまらせることができないのを見て、どうしようもなくなり涙が溢れでて、頭を壁にぶつけました ……。このことは私の心に強烈な衝撃を与えました。

 夫は口下手で、イライラしやすく気が弱い上に、心臓病や高血圧を患っており、私の大法への堅持が家族に厄介をもたらすのではないかと心配しました。私の家族はいわゆるまともな仕事に就いており、娘婿も将来有望な人であり、子供の夫婦関係や家族の幸せに影響を与えることを夫は恐れ、また外部からの差別や嘲笑をも恐れ、私に「どうしても続けるというのであれば、私と離婚してくれ」と警告しました。夫は一日中悲しみに満ちた顔をし、ため息をついていました。

 その過程で、妨害する要素やあらゆる執着心を正念を発して取り除きましたが、表面上の効果は明らかではありませんでした。私はできるだけ冷静さを保ち、夫たちと衝突しないようにし、夫たちを理解しているのだということを示し、私は自分が何かを得るために堅持しているのではなく、本当は夫たちと衆生のためであることを夫たちに理解してくれるよう頼みました。しかし夫たちは「私たちはあなたが言っているような良いことを望んでいるわけではなく、目の前の静かな一日を過ごしたいだけで、何度も何度も嫌がらせを受けずにいたいだけだ」と言いました。「3年間の攻撃」とはどのような考え方なのでしょうか? 内部者(訳注:大法弟子を含む関係者)に対して厳しく、外部者(訳注:部外者)に対して緩くすると聞き、考えると怖くなりました。実際には大法がすばらしいことを家族全員が知っており、家族は心の中ですべてを理解していましたが、中共を恐れ無力感に苛まれていただけでした。

 常人として家族は間違っておらず、私は家族に無理強いできず、また家族に誤解を与えるような強硬で過激な態度をとることもできませんでした。ある同修は私に「あなたは弱腰すぎてもダメです」と言いました。子供(訳注:私の娘)と私はとても仲が良く、そして一人娘でした。修煉者は自分が圓満成就するために愛と肉親の情を持たないと家族に思われるような行動はできないと思っていましたが、私たち修煉者の愛は常人の認識を越えているので、しっかり行わなければなりませんでした。私たちは救いを求めている生命を見るべきでした。

 家庭の魔難を前にして、うまく取り扱うのは手に余る難題だと感じ、時々湧き出てくる恐れる心と相まって、中共のさまざまな残酷な迫害手段を考えてしまい、それは私が直面しなければならない生死の大関であり、執着を放下し、家庭の中でしっかり行わなければならないだけでなく、生死も放下しなければなりませんでした。その瞬間に、他の空間から「フーッ」と分厚い物質が降りてくるのを感じ、私は特別に圧迫感を感じました。その時もすぐに正念を発して解体しその物質を取り除くことを思いつきませんでした。それからの数日間は、心が引き裂かれ、とても言葉で表わせないほどつらく、腸がいつもよじれて痛く感じていました。自分の修煉の悪さに私は心を痛め、この関は本当に心臓を骨の髄までえぐるかのようでした……

 学法場所で、私は自分が遭遇した問題と苦しい心の状態を率直に話し、 さらに涙を抑えることができず、隣の同修のWさんの手を握りしめ、私のこの崩壊しかけた心と困難な修煉の助けにして支えようとしました。

 私と一緒に法を学んだ2人の同修はどちらも法理が明確で、同修のYさんはいつも穏やかで理性的で、静かな湖水のように優しくて静かで、Yさんと一緒にいると心が穏やかになりました。Yさんは私に「この関を越えないと、これからは大きな魔難や関が加わるでしょう」と警告しました。

 その頃同修のWさんは苦労を厭わず、いつも私の家に来て、私が内に向けて探すのを手伝ってくれたり、私と法理の上で切磋琢磨し、さらにそれは棒喝でもありました。私の問題に対するWさんの分析が正しくないと感じることもありましたが、私を助けようとするWさんの真摯な心を感じ、それはとても貴重なものでした! その時私はこのように同修にしっかり棒喝してもらい、私が正念を発するのを手伝ってもらい、自分の問題がどこにあるのかを分析してもらうことが必要だと感じました。

 WさんとYさん2人とも師父の『精進要旨』と『精進要旨二』、そして2008年と2009年の説法と新経文をもっと読むようにと私に言ってきました。これは非常に重要なことだと私は思い、私は自分にもっと法を学ぶように強制しました。その時は「読んでも大して頭に入ってこない」と感じていたのですが、私はやはり堅持して読み、それでも頭に入らない時は声に出して読んでいました。後になってあまり効果がないように見えても、実は法には威力があることを体験しました。同修のWさんから「反迫害法律ハンドブック」をもらい、熟読した後「信仰は合法であり、迫害は犯罪である」ということを私はより明確に理解することができました。気づかないうちに、私の心は少しずつ良い方向に変化し法の中に向かって正されました。心の中で2人の同修の関心と援助に本当に感謝し、師父が残してくださった集団の修煉環境、そして師父のご加持と保護に感謝申し上げます! 

 実際、本当に師父のご加持であり、なぜなら私は当時何らかの執着を明らかに放下したわけではなく、何らかの人心を捨てたわけでもなく、ただ堅持し、堅持して修煉していきたいと思い、大法が正しく、師父が乾坤を正して衆生を救ってくださっていることを固く信じていたからでした! 私は師父の慈悲と偉大さに敬服し、 私は師父に浄化されることを望んでおり、師父は「天地を主宰し、人道を正す」[2]ことをお手伝いする大法徒になることを心待ちにされています。私にはただこの願いがあり、尽力して堅持したので、師父が助けてくださったのだと私は思います。突然、この生死の大関はすでに私を制約できなくなり、さらに私はあまり悩む必要もなく、ただ師父についていきたいという願望を堅持すればよく、師父が説かれた「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」[3]という法を実証しました。翌日、職場の上司3人が私の家に来ましたが、ちょうど私は不在でした。私は「回避することは合理的でも理性的でもなく、常人の理解を得られず、大法を実証することもできない」ということを知っており、私には向き合わない理由がないので、翌日私は師父にご加持を求め、正念を発しながら職場まで行って3人の上司に個別に会いました。

 職場の正局長は忙しく、私は廊下でしばらく待ち、やっと正局長に会いました。正局長はとても親切に、善意を以って私に(大体の意味で)、一生の間仕事を続けてきて、もうすぐ定年退職で、心の底から言えばこの30年間という時間仕事をしてきて以前から法輪功の統制について知っていたが法輪功が「政治的任務」に昇格されたことをはじめて知った、ということを言いました。正局長の言葉によって私はこの「はじめて知った」と「政治的任務に昇格された」ということが何を意味しているのかを考えました。私は「子供の将来や家族への影響を考え、本当に私の年金は止められ、これはなんと大変なことだろうか! 私は道をまっすぐ歩み、それから道を曲がり、弱者が強者に逆らってもとてもかなわず、不利な立場にならないようにしよう!」と間違った考えを持ちました。

 その時正局長の口調から正局長の善意を感じ、また当局による法輪功への迫害の深刻さを私は感じましたが、師父のご加持の下、私は全く恐れず、正局長の話を聞いてはならず、自分が主役にならなければならないことを私は悟りました。そこで、私は穏やかに正局長の好意にお礼を述べ、あらゆる可能性を考慮し法輪功の基本的な真相と大法の素晴らしさ、そして迫害の違法性を正局長に伝えました。最後に、私は正局長と別の1人の政法副局長に真相が書かれた手紙と真相ディスクを別々に渡し、正局長と政法副局長に、この中には私が正局長と政法副局長に話したいことが入っており大法と大法弟子について正局長と政法副局長にもっと知ってもらいたい、ということを伝えました。正局長と政法副局長は2人とも資料を受け取ることを拒否しました。今回正局長と政法副局長を救うことはできませんでしたが、私にとっては、ついに恐れる心を打ち破り、正面から向き合うことができました。

 この前に、私もかつて恐れる心を取り除くためのアドバイスを同修に求め、ある同修は師父が説かれた「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[4]というお言葉を暗唱し、ある同修は「師父は『正念の中で大法が皆さんとともにあり、これは絶大な保障です』[5]と説かれました」と言い、ある同修は「師と法を信じること、師と法を信じることです」と言いました。当時の私は本当に修煉不足で、同修たちの言葉は私にとってはまだ理解できず、私のその頑固な恐れる心をまったく動かすことができませんでした。

 後日、同修のYさんと一度深く交流しました。Yさんはその年にそのような極めて邪悪な状況下でどのようにして恐れる心に立ち向かい、パトカーが玄関先に止まっているかのような感覚を覚える状況下を克服し、真相資料を作り人々を救ったのか。またある同修が自分の子供を抱いて大法を守るために北京に行って陳情したことを思い出し、またさらに多くの同修が生死を恐れず、刑務所で拷問を受けても大法の偉大な壮挙を裏切らず、さらには多くの同修がお金と労力を提供し、一生懸命人を救う無私の善行を……

 私の心の中にこのような同修の輝かしい事例がまとめられ、私の恐れる心は何度も打撃を受け、同修たちがたとえ体が壊れても正々堂々と大法を守り、衆生を救い済度しようとする崇高な境地を私は目の当たりにし、大法によって生み出された生命の無私無我の姿を目の当たりにし、大法によって生み出された法を正す正覚の慈悲と責任を目の当たりにしました……。感服のあまり、私は「恐れる心が手伝い、自分の小さな家の安逸のためにおずおずし、まるで選択の余地がある修煉であるかのようであり、これは旧宇宙の特徴であり、旧勢力の現れではないだろうか? 悟ることと実行することにまだ大きな遅れがあり、 私はできるだけ早く私心と安逸を放下しなければならず、同修たちのように勇猛に修煉し、着実に修めることが本当の修煉であり、そうでなければ机上の空論と何が違うだろうか?」と自分の心の中を見つめました。

 さらにもう一つの出来事は、同修のWさんが私が心の中で苦しんでいるのを見た時、私が耐えられないのではないかと心配し、しばらく家を離れたらどうかとかつて私に提案したことでした。この時、同じように嫌がらせを受けていた別の同修の言葉に私は啓発されました。同修は「どこに隠れるのですか? 常人は見つけられないかもしれませんが、他の空間の邪悪はあなたを見つけることができ、隠れることが最も良い方法なのではなく、ただ出発点を正し、大法を実証し、衆生を救い済度すること、これこそが私たちが歩むべき輝かしい大道なのです」と言いました。私は隠れることを選ばず、苦難の中で堅持しました。

 またある修煉者は「まず(中共の)サインをし、その後『厳正声明』を出し、それからまたしっかりと修煉してはどうですか?」と言いました。私は同修のLさんが言った「厳正声明を出さなければならないのは何時なのでしょうか? このような時に『厳正声明』を出してもまだ有効かどうか私はいつも疑っています」という言葉を思い出しました。そうです、選ぶべき時は私たち次第であり、なぜならこれが修煉だからでした。私は「修煉したいなら、逃げずに、いつも自分を許してばかりいずに、人心の狡猾さを抱いてすり抜けようとしてはならず、法に則って律してこそ修煉であり、さらに大事な時に、私たちは後退するのではなく前進しなければならない」と思いました。

 ある夜、夫がどうしても遠方にいる高齢の両親に電話をかけ、私と離婚しなければならない、ということを言い、夫は両親に報告しなければなりませんでした。私は夫に「衝動的にお年寄りの家族を騒がせないでください」と忠告しましたが、夫は聞き入れませんでした。私はその場の勢いで、強い口調で夫に「私は離婚したくなく、あなたが離婚しなければならないのなら、私もあなたを手放さなければなりません! 人にはそれぞれ運命があり、子供たちはすでに結婚し、孫たちにはそれぞれ孫たちの福があり、福は徳と交換して来るものだと私は信じています。これまでずっと、私はあなたのために生きてきて、あなたたちにも申し訳が立ちます。私はもう年であり、もし修煉を放棄するとしたら、それは私のこの人生最大の後悔となり、あなたが理解し支持してくれることを願います。あなたが誰に電話しても無駄で、誰が来ても無駄です!」と言いました。

 私がこのように言うのを聞き、夫は一言つぶやいて騒ぐのをやめ、徐々に全てが落ち着いていき、私は他の空間の邪悪要素が解体されるのを感じました。これまで、私も夫に何度も「私は盗んだり奪ったりせず、悪事も行わず、良い人になりたいと思うことは間違っておらず、あなたたちが耐えてきたすべては私がもたらしたものではなく、中共の無神論が社会のすべての伝統文化を喪失させ、道徳を低下させ、人間性を堕落させたことがこのような残酷な迫害を招いているのです」と伝えました。実際に夫は大法が素晴らしいことに気づいていました。

 それ以来、私は自分と家族を師父に預け、心はもう苦しまず、 家族の不満や無関心に対して、私は最大限の理解と寛容を示し、最善を尽くして家族の面倒を見ましたが、私の心はすでにサインをせず中共の迫害に協力しない決心を固め、もう一歩踏み込んで法のために死んでもいいという願いがあり、半歩引いても良心をごまかして生きていくのではないという強大な信念がありました。

 今年(訳注:2021年)4月、中共による新たな嫌がらせが始まり、同修のWさんは私の状態を見て「去年はあんな調子だったのに、今年は金剛みたいです。1年という時間で、こんなにも大きく変わったのですか!」と言いました。

 ここで同修の励ましの言葉に感謝いたします。実際、私は自分が堅持していた以外に何も行っていないと感じ、私のこの頑固な恐れる心を取り除いてくださったのは師父であるということを私は心から感じました。そうです、以前のような頑固な恐れる心はもう私を制約できず、私は今では「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[4]を認識できるようになりました。「師と法を信じる」ことはもはや 「中身がない」ものではなく、さらに現実のものであり、真実の法の現れであり、また修煉における最も重要で最も有効な手段でした。

 この経験から私は「修煉中に、たとえどんな困難に遭遇しても、私たちが『大法をゆるぎなく修めて師にしっかりと付いていく』[6]限り、私たちが師父を信じることができる限り、私たちが敢えて向き合い、法に則ってしっかり修煉する限り、師父は私たちが道を歩むのを加持してくださり、最終的に私たちを自分たちの本当の家に送り届けてくださる」ということをさらに明確に理解しました。

 師父の慈悲とご加持に改めて感謝申し上げます! 同修の皆さんの惜しまぬ応援に感謝いたします! この強大な正念の場が私を鍛え、このいわゆるすさまじい勢いの「ゼロ行動」という迫害行為の中で絶えず自分自身を正し続け、家族の中で理性的にしっかり行い、また個人修煉が法を正す修煉に向かう道でさらに成熟し、大法を実証するための小さな役割を果たすことができるようになりました。

 以上は私の浅はかな理解と経験ですので、至らないところがあれば同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「内を修めて外を安定させる」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「預」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [6] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「心自明」

 (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/18/433261.html)
 
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