明慧法会|弁護士を立てて同修を救出する中で衆生を救う(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年2月3日】(前文に続く)

 3、心を修める体験

 (1) 恨む心

 最初、現地の同修が迫害された同修を積極的に救出していないと私は不満に思っていました。救出を主導しようと決心してから、やる事が多すぎて誰も分担してくれないとまた文句を言うようになりました。私1人で弁護士に連絡する、迫害された同修の家族とコミュニケーションをとる、迫害状況と迫害加担者の情報を把握する、案件の進展を追う、迫害の真相をビラやパネルに作成する、弁護士の送迎のために車と運転手を探す、様々な法律文書を書くことを学ぶこと、などなど。

 ある日、違う時間帯に様々な交通手段を使って、なんと一日に4人の弁護士と接触しました。私はやるべきことを一つ一つ述べて、「皆さんも、何かができるなら、すぐに引き受けてほしい」と言うと、「あなたは独り身で何も気に掛けることはないが、私たちにはみな家庭があって、とても忙しい。私たちはそういう仕事が苦手で、対面で真相を伝えることしかできない」と答える同修もいました。その瞬間、どう対応して良いのか分からなくなりました。私には気にかかることがないのでなく、自分の使命が分かっているので、生活上の細々なことは気にせずに放下しただけです。その頃、私は働いておらず、1年に3000元(54000円相当)程度の生活費しかありませんが、多くは行ったり来たりする旅費や食事に使っていました。忙しい時は、1日に1食しか食べず、食べたのはご飯と漬物だけです。ストレスとプレッシャーが大きい時、「怠惰になってはならない、独善に陥ってはならない、極端に走ってはならない、焦ってはならない、穏やかで理性的い、全力を尽くそう」と自分に言い聞かせました。

 一緒に救出の仕事をしていた同修が突然、「あなたの言いなりにならないように、よく考えなければならない」と言い、私はとてもショックを受けました。でもすぐに「こんなことは、やり出す前から予想もしたので、気にしない、気にしない」と思い直しました。その日、徹夜で『轉法輪』を一通り勉強し、翌日にもう一回勉強しました。1週間のうちに私は2007年の『オーストラリアの学習者に対して法を説く』のビデオを5回見て、ショックから立ち直りました。

 その後、逮捕された同修のCさんが釈放されました。私の不足分を補ってくれるほか、何よりも、迫害された修煉者の家族(彼女の夫も学習者で、その時は拘禁中だった)として公安、検察、裁判所の役人たちに堂々と接触して真相を伝えることができます。しかし願いは叶わず、Cさんは表に出たがらず、一緒に留置場の近くで発正念に行くほかには、私が希望していた仕事を全然分担してくれていません。彼女に対する失望は一気に頂点に達しました。

 開廷の後、同修は私に「今後の予定は?」と尋ねたので、私は「止めるつもりだ」返事しました。メッセージを発信した瞬間、「恨み」という魔性に敗れて、同修との間に隔たりが生じたと分かりました。分かっていても、すでに魔性に動かされて理性を失ったので、不平不満の気持ちは収拾がつかなくなり、同修に不満があり、同修の家族にも不満があり、弁護士にも不満があったので、自分がきちんとしていないところも恨んでいました。同時に、この救出行動から脱退するという決定がどれほど無責任であるかも知っています。開廷の後に弁護士は何回も留置場で面会しましたが、私は一度も同行していません。万難を排除してこのことをやり遂げるという初志を忘れていました。

 しばらくして、ある同修の家族が夢を見て、夢の中で、Dさんが師父のそばにいたそうです。その時、私は不平不満と恨む心をとっくに放下しました。師父はすでに最高のパートナー(Dさん)を私のために按排してくださいましたが、私は「彼が常人で、修煉していない」という理由で彼を断ろうとしたこともあって、師父の按排こそ最高であることを忘れていました。

 Dさんは確かに救出の仕事に非常に協力しています。私が彼に連絡した時から、彼は外国での仕事を辞めて思い切って帰国しました。今日に至るまで、彼は依然として仕事をしていなくて、根気よく救出のために奔走していますが、一言も文句もありません。私は自分が苦手な仕事を彼にやってもらい、彼はすべて引き受けて、しかもとても良くやり遂げました。とても悪徳な裁判官に対しても、彼は微笑で穏やかに道理を話すことができます。裁判官に侮辱的な言葉を浴びせられてもあまり怒らず、「彼は私に共産党の邪悪をリアルに分からせてくれている、彼に感謝しなければならない」と言いました。「結果がどうであれ、努力したなら後悔することはない」というのが彼の口癖になっています。肉親の迫害を軽減させるために彼は最善の努力を尽くしました。

 旧勢力は私たちが互いに文句を言って、互いに隔たりを生じ、協力しないことを望んでいます。私は必ず師父の教え「恨み言を言わず あなたの善を守って」[1] を覚えていこうと思います。

 (2) 嫉妬

 私の修煉の経歴には、嫉妬心に駆られて大きな過ちを犯したことがありますが、嫉妬心をきれいに除去していませんでした。今回の活動で、嫉妬心が再び表れました。例えば、一緒に今回の救出に携わったある同修が1週間の間に『轉法輪』の1講を暗記したと聞くと、自分は忙しすぎて学法の時間を作れず、仕方がなく一日の間に『論語』だけを心の中で何回も暗唱することと比較して、彼女があれだけ学法の時間があることを妬んだ時があります。同修の家族が「良くやった」と皆に褒められるのを見て、私は彼のために喜ぶのではなくて、心のバランスがとれなくなる時もあります。

 以前、それは嫉妬心だと全く知りませんでした。ここ1年余りの修煉を経て、今、嫉妬心が念頭に出てきたら、すぐにそれをつかんで除去することができるようになりました。決して嫉妬心に衆生を救い済度する道を邪魔させません。

  (3)恐れる心

 恐れる心が出てきたら、本当に誰を見ても私服警官のように見えて、どこを見ても監視カメラが取り付けてあるように見えて、どこに行っても安全ではないと思ってしまいます。

 ある日、私、弁護士、同修家族がレストランで食事をしました。食事を終えて外に出た時、外にパトカーが停まっているのを見て、「ここまで尾行してきたのか」と推測して、恐れました。すぐにマイナスの考えを捨てて落ち着きました。結局、パトカーが来たのは、私たちと全く関係のないことでした。

 またある日、朝起きる前に、靴が山ほど積まれた夢を見ました。中国語で靴の発音は「邪」と同じなので、靴の夢を見るのはとても縁起の悪いことです。起床後、夫(同修)に「この夢は師父からのお告げだろうか、今日は悪いことに遭うのを私に注意を喚起しておられるのだろうか」と話しました。しかし弁護士と裁判所に行く約束をしたので、行かざるを得ませんでした。

 出かけてから、本当に諸事が不調でした。道がよく分からないので何回も道を間違えました。これは師父からのお告げだと思って、引き返そうとしました。同行した同修に「これは、邪悪があなたに行かせないために作った虚像だ」と言われて、私はやっと我に戻りました。大遅刻して着いた時、弁護士は既に用事を済ませて裁判所から出ていたのです。恐れる心とその夢に惑わされて大遅刻をして、とても反省すべき一日でした。

 最悪の一回は、修煉して20年以来も経験したことのない恐れる心が出てきて、どこに身を置いたら良いのか分からなくなりました。理由は、同修の家族数人と案件のことを話す前に、携帯電話の盗聴防止対策を教えて、その通りにやってもらいました。終わってから、私が教えた防止対策はまったく役に立たないことを知りました。たくさんのことを話したので、警察に盗聴されたら大変なことになると思うと、恐れる心が浮かび上がりました。

 予定では、翌日、同修の家族と現地の法律事務所を一軒ずつ回って今回の救出案件をメインに作った真相資料を配ります。しかし2軒の法律事務所を訪問したら車が壊れてしまい、同修の家族が店で車を修理して、私は1人で帰りました。帰ってから、恐れる心が生じて、家から出られなくなりました。「もうこの案件からしばらく手を引いて、家で修煉状態を調整しよう。恐れる心を除去してから出直そう」と思いました。結局、翌日、私の依頼を受けたが3カ月も私に会う時間を作れなかったある弁護士は、突然「今日は時間があるので、会おう」と連絡してきました。突然な事に呆然となって、「今は家で恐れる心を除去しているので、出かけたくない」と思いました。

 しかし、ここ3カ月、私は週に1回この弁護士に案件を引き受けてほしいと伝え続けて、彼は私たちの誠意に打たれて、やっと会うことに同意したので、会う機会を逃したらだめです。今回、逮捕される同修が多いため、必要とする弁護士も多くなります。いろいろな面で私たちのニーズに合わせ、時間がある弁護士は本当に少ないのです。また、ウイルス流行のため多くの場所が封鎖されたため、弁護士が次にいつ来られるか分かりません。この時、「いかなる困難にも阻まれないほどの固い決意をもっていれば、何の問題もないでしょう」[2]を思い出しました。固い決意をもって弁護士に会いに行こうと決めました。家に隠れて恐れる心を除去しようとしたら、いつまで経っても除去できません。

 私はすぐに弁護士と会う時間と場所を決めて、同修の家族にも連絡して、当日に車を出してくれる同修も見つかりました。すべての連絡は異常なほど順調で、結果も最善の結果になりました。この弁護士が代理した同修は、後に不起訴になって釈放されました。

 「恐れの心は、人々に間違ったことをさせることができ、人々に機縁を失わせることもできます。恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です」[3]

 修煉者として、理性を持って安全に注意することと、恐れる心ゆえに取った慎重な行動を区別しないといけません。恐れる心を隠すために理由を探すのは、修煉上の汚点だと思います。この1年間の修煉体験は私を生まれ変わらせました。

 (完)

 注:
 [1]李洪志師父の詩:『洪吟四』「あなたの迷いを解き開く」
 [2]李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3]李洪志師父の著作:『精進要旨三』「至難の関から抜け出す」

 (明慧ネット第18回中国大法弟子修煉体験交流会の原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/13/433171.html)
 
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