明慧法会|危険な状況から復帰して誓約を実現する(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年2月12日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は男性の大法弟子で、32歳です。自分が歩んできたこれまでの歩みを振り返ると、ただこの1年半くらいだけしか、本格的に修煉していませんでした。師父は迷いの中から私を目覚めさせてくださり、時間を無駄にせず人を救い、精進し着実に修煉するよう、何度も私を悟らせてくださいました。

 法のために来た生命

1996年、私は母と一緒に法輪大法を修煉しました。当時、私は7歳でした。母が毎晩学法グループに法を学びに行く時、私もついていきました。私はまだ字が読めませんでしたが、いつもみんなと一緒に法を学びました。母は、私が法のために来た子供だと言いました。母は私を身ごもった時、中絶のために病院に行こうとしていましたが、その後偶然にも中絶が実現せず、私は生き残りました。

 修煉を始めた後、師父は私の天目を開いてくださり、私は他の空間にいる佛が見え、佛はみな非常に慈悲深く、威厳がありました。また多くの法と功に関する荘厳な光景もありました。私は修煉は本当にとても美しいと思いました。

 本性を失い きわどいところで助かる

 大人になるにつれ、私は常人社会の七情六欲に次第に誘惑され、少しずつ大法から離れていきました。毎日どうすればお金を稼げるか、どうすればお金持ちになれるかを考えていました。私は同年代の友人たちとゲームや麻雀をして、食べて飲んで楽しい毎日を過ごしていました。その後、私は法の勉強をやめ、常人のようになりました。母はいつも私に「このようなすばらしい大法を逃すと、二度とチャンスはありませんよ」と言いました。しかしその時は世の中に迷ってしまい、まったく聞きいれることができませんでした。

 2007年、運転免許を取得して1カ月後、私は中古車を売ってお金を稼ぎたいと思いました。私は親戚一家3人と北京に中古車を買いに行き、帰りには、保険のない(エアバッグなし、自動車保険なし)中古車を運転して道路を走りました。その結果、事故多発地帯である山海関で、大きな交通事故を引き起こしました。

 その時、私はどういうわけか高速道路の分離帯のコンクリート製の仕切りを反対側の対向車線に倒し、私が運転していた中古車は廃車になってしまいました。反対方向から来た2台の車はそのままコンクリート製の仕切りに衝突し、その場でアウディのセダンが廃車になり、現場の光景は凄まじいものでした。車は大破しましたが、奇跡的に誰も怪我をせず、私と親戚も無傷でした。

 私が事故処理のために交通機動隊に行くと、事故の多いこの地域ではその夜、たつ年生まれの3人のドライバーが事故に遭い、そのうちの1人が亡くなったと聞きました。私の心は「私もたつ年生まれでもあり、 もしかしたら死神が捕らえたのは私だったかもしれない?」とショックを受けました。同じ車に乗っていた子どもが帰る時に「死者2人に負傷者1人、死者2人に負傷者1人」とずっとブツブツ言っていたのを私は突然思い出しました。死神は本当に私の命を奪いに来たようでした。

 しばらくして、私は「夢の中で悪魔が私の命を奪いに来る」夢を見ました。その時は大佛様が手を振って私を守ってくださいました。目が覚めた後、師父のおかげで私はこの災害を生き延びることができ、そうでなければ私はすでに異国の地で死んでいただろうということを私は知りました。私は心の中が羞恥心でいっぱいになり、自分はこんなにも精進していないのに、それでも師父は私を見捨てられませんでした。

 その後、しばらくの間私は精進しました。しかし、世間の誘惑に負けて、また常人の中に引きずられ、好き勝手なことをやってしまいました。

 道を踏み違え棒喝の下まともな道に立ち返る

 私は10年以上も混乱した気持ちで過ごし、2020年に中共ウイルス(武漢肺炎)が発生するまで続きました。旧正月の4日目あたりから、私は胸が詰まって息苦しくなり、汗をかき、その症状が中共ウイルスに酷似していました。私は感染していると思いましたが、怖くて病院に行けませんでした。食事をすることもできず、言葉にならないほど心の中で恐れていました。私は母親に通帳のパスワードを伝え、葬式のことについて説明しました。

 恐れとは別に、私は心の中では罪悪感や後悔の念がさらに強かったのでした。こんなに長年、私はしっかりと修煉せず、師父が私のために延長してくださった命を大切にせず、10年以上の人生を無駄にしてきました。私は師父に「師父、どうか弟子を救ってください。弟子は必ずしっかり修煉しますので、弟子にもう一度チャンスをください!」とお願いしました。この時私の体は非常に辛くてたまらなかったので、大法の書籍を読むことができず、母が師父の説法に録音を私に聴かせてくれました。

 その後、天目が開いた祖母(同修)が私の母親に、私が息苦しいのは私が荷物を運んでいる時に荷物が私の胸にぶつかり私の胸腔内の骨折を引き起こしたために私が痛みで息苦しいのだ、ということを伝えました。母親は私が普段修煉していないことを考慮して、常人の方法を用いて私のために薬を買ってくれました。私は「私はしっかりと修煉することを選択したので、もう常人として自分を扱うことはできない」と考え、薬を全部捨てました。その結果数日後、私の胸はよくなりました。私は師父のご慈悲に感謝し、自分に「今回はしっかりと修煉しなければならず、以前のように二度とちゃらんぽらんにするわけにはいかない」と言い聞かせました。

 師父の経文『理性』が発表され、師父は「精進していない大法弟子、極端に走る大法弟子は直ちに、自分自身を正し、誠心誠意に法を勉強し、修煉してください。なぜならば、このような弟子は最も危険だからです」[1]と説かれました。

 私は深くショックを受け、なぜなら私こそその最も危険な弟子だったからでした。私は「ここで追いつかなければ、私には本当に修煉の機会はなく、億万年待っていたことが台無しになってしまう」とわかりました。私は「これからは私は自分を厳しく律し、心性を修め、三つのことをしっかり行い、師父と一緒に家に帰らなければならない」と決意しました。

 私は何かをすると言ったら必ず実行し、物事をごまかすことはできませんでした。それ以来、常人のめちゃくちゃなものを私はすべて切り捨てました。私は毎朝2時40分頃に起きて煉功し、五式の功法を煉功し終えた後、急いで仕事に出かけました。時には急いでいる時には、1式か2式の煉功を行わず、昼間に補わなければなりませんでしたが、心の中で言い訳を探さないようにしました。私は自分の学法が少ないことを知っており、 毎日自分が『轉法輪』を二講学ばなければならないと決め、さらに『轉法輪』を暗記し始めました。私は多く法を学び、法を暗記しました。私は母と一緒に比して学び比して修し、大法の法理は常に私に啓示を与えてくださいました。

 私は「夢の中で大きな法船がまもなく出航しようとしていたが、私はまだ岸辺に立っていた。必死の思いで、法船に飛びつき、法船の上の柵を掴んだが、私自身はまだ船の外側にぶら下がっており、下側は黒い波の海水で、非常に危険だった」という夢を見ました。

 私がしばらく精進し修煉していると、私はまた「師父からチケットをいただき、私はすでに法船に乗っている」夢を見ました。これは師父が私を励ましてくださり、もっと勇猛に精進するようにと言ってくださっているのだと思いました。

 急いで人を救い誓約を実現する

 私の母と2人の年配の同修はよく真相を伝えるために出かけて行きました。ある日、私が真相を伝え終えた母を家まで送り届けようとしたところ、母は車の中で私に「今日は人を救うには不十分であり、あなたは先に帰りなさい、私はやはり真相を伝えに行かなければなりません」と言いました。

 私は母が去っていく姿を見て、心の中で「私たちは2人とも大法弟子だが、その差はとても大きい」と感じました。母は人を救うのが足りないために、まだ外に出て真相を伝え続けるというのです。師父は私を救ってくださり、今は人々を救うことが急務であり、さらに私はまだこんなに若いのに、どうして家にいて、法を実証し人々を救うために立ち上がらないでいられるでしょうか? 私は自分が恥ずかしくなりました。「師が法を正すことを手伝い、法を正すことは必ず成功し、誓約を果たし、使命を全うする」という言葉が私の頭に浮かびました。

 師父は「人を救うことは大法弟子の責任です。あなたは決して言い逃れできません!」[2]と説かれました。師父が私に急いで人を救わせようとなさっていることを私は知っており、私は誓約を引き受けており、私は次の日には真相を伝えに行こうと決心しました。

 それ以来、私は特別なことがない限り真相を伝えに出かけ、雨の日や風の日でも止めることはありませんでした。午前中に仕事が終わって家に帰り、服を着替えて(大法弟子は真相を伝える時、身だしなみに気をつけなければならない)、私は真相を伝えるために外に出ました。午前中に行かないと、午後に出かけなければなりませんでした。ある時、午前中に真相を伝えて救った人があまりにも少なく、午後から再び真相を伝えに出かけ、自分を緩めませんでした。

 最初の頃、私は真相を伝えたことがなかったので、心理的なプレッシャーが特別強く、恐れる心も強く、口を開くことができず、とても難しいと感じました。私は心の中で「私は30歳の若者だが、どうやって人と話をすればいいのだろうか?」と思いました。しかし心の中に使命感があり、私を絶え間なく駆り立てました。

 師父は「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です。つまりこの違いです」[3]と説かれました。

 この1年半という時間の中で、私は生死を放下することの意味を体験しました。神の念があってこそ人を救うことができるのであって、人間の念では人を救うことはできない、ということを私は理解しました。毎回真相を伝えるために出かける前に、私は師父の写真の前に行き、師父にご挨拶申し上げ、自身を清め、縁のある人が私に出会えるように、弟子を加持していただくよう師父にお願いしています。恐れる心が強い時、私は「本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」[4]、「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか?」[5]という師父の法を唱えました。

 私は真相を伝え人を救うことをごまかさず、縁のある人には誰にでも丁寧に接し、真相をしっかり伝えました。私はもっぱら人が多い場所を選んで伝え、たとえば駅や市場、大きな農産物市場、大きな取引市場などでした。このような場所には人が多いので、歩き回りながら伝えることができました。最初の頃は、1日に3〜5人にしか伝えることができませんでした。

 法を学び、正念を発し続けることで、より多くの人を救うことができるようになりました。徐々に私の真相を伝える道が開かれていきました。師父のご加持の下、私が伝えた真相を人々の心に響かせることができましたが、自分でも一体どのように話したのかわからないようなこともありました。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『理性』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [5] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/20/433267.html)
 
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