寧夏70代の馬雄徳さん夫婦 再度拘禁される
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 【明慧日本2022年2月12日】寧夏回族自治区呉忠市の法輪功学習者・馬雄徳さんと妻・鄭鳳英さんは2021年9月14日、2人とも利通区裁判所に1年6カ月の実刑判決を言い渡され、それぞれ罰金5千元を科された。2022年1月初め、馬さん夫婦は寧夏刑務所「入監教育センター」に拘禁された。

 馬さんは73歳。元寧夏呉忠計器工業労働部のエンジニアでかつ幹部であった。鄭さんは70歳で、同会社の元職員であった。

 法輪功を修煉する前、馬さんは深刻な腎臓結石を患い、2回の手術を受けたことがある。鄭さんは深刻な関節リウマチ、腸炎、胃下垂などの病気を患っており、様々な治療を受けたが、効果はほとんどなかった。1997年5月、友人の紹介で馬さん夫婦は同時に法輪功を習い始め、わずか数カ月後、2人の病気は次々と完治した。

 1999年7月20日、中国共産党が法輪功に対する迫害を開始した。それ以来、馬さん夫婦は何度も連行され、労働教養を強いられ、判決を下された。

 一、真実を伝えたとして拘禁され、迫害された

 1999年7月20日、中国共産党は法輪功に対して狂ったように迫害し始めた。2000年2月、馬さん夫婦は国家陳情局や寧夏陳情局に手紙を書いたとして、同年3月1日、呉忠市利通区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に連行され、15日間拘束された。

 2000年10月20日、馬さん夫婦は法輪功の迫害実状の資料を配布したとして再度国保の警官らに連行され拘禁された。1カ月後、鄭さんの足の指先が炎症を起こし壊死状態になったため、警官は責任を恐れて鄭さんを帰宅させた。鄭さんは48日間、今回は馬さんは56日間拘禁された。馬さんは現金3千元(当時、現地では50歳エンジニアの6カ月以上の給料に相当)を強制的に取られた。

 二、2年以上の労働教養を強いられた

 2001年2月9日、呉中市国保大隊長・王文と警察官・馬宝鎮は、呉中テレビ局の記者とカメラマンを連れて、呉中計器会社でいわゆる批判の現場会議を行い、会社側がすべての法輪功学習者を集めて、態度表明を強要した。 鄭さんは一言も言わなかったとして、当日午後、何の法的手続きもないまま会議室から連行され、2年の労働教養を強いられた。2年を満了した後、また2カ月間延期され、2003年4月にやっと解放された。

 同年9月、馬さんが鄭さんに衣類を送っていた際、衣服の中に法輪功の経文が入っていたとして、2年の労働教養を強いられた。

 三、夫婦2人も以前2回にわたって判決を下された

 2004年8月、馬さん夫婦は連行され、その後、馬さんは実刑判決5年、鄭さんは判決3年(猶予3年)を下された。2005年3月、鄭さんは連行されて洗脳施設に1カ月間拘禁された。2008年12月、5年の牢屋迫害が終った馬さんは続いて洗脳施設に移送されて14日間拘束され引き続き迫害された。

 2009年3月、鄭さんは青銅峡市国保の警官らに連行され、翌日裁判待ちとして一時解放された。同年11月、当局は鄭さんに対して裁判開廷を行おうとしたので、鄭さんは家を出て放浪生活を余儀なくされた。

 2010年7月、警官らは馬さんの家に押し入って鄭さんの居る場所を強制尋問したが、馬さんと息子は提供しなかったとして、派出所まで連行された。翌日、息子は解放されたが、馬さんは留置場に拘束された。

 2012年9月1日、3年近く放浪した鄭さんは呉忠市古城派出所の警官らに連行された。馬さんも同時に連行され、夫婦2人は呉忠市留置場に入れられた。

 鄭さんは2013年1月に青銅峡裁判所により7年の実刑判決、馬さんは同年同月23日に呉忠市利通区裁判所により7年6カ月の実刑判決を下された。鄭さんは2018年11月、馬さんは2019年1月に出所した。

 四、夫妻2人は3回判決を下された

 2021年2月22日、馬さん夫婦は利通区公安支局により拘束され、同年9月14日、2人とも1年6カ月の実刑判決を言い渡され、それぞれ罰金5千元を科された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/6/438636.html)
 
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